見出し画像

当たり前に感謝する

「日記が止まった」ことに気づく。

8/17に書いた一連の出来事が、あまりにも衝撃的すぎた。39年生きてきて、ベスト3に入るインパクトである。それほど驚いたことで、気が動転したがためか、今の静けさから日記を書く気になれなかった。

そんな日々からまたnoteの手を取ったのは、次の記事が始まったから。この本に出会ったからこそ、「日記を書く」という何気ない日々を愛でる行為が始まったと言える。

この一週間と少しを振り返って、書けばよかったことはあるように思うが、特筆すべきは「普通」の日々が戻ってきたことが大きい。

妻と娘と楽しく暮らす。それだけ。

僕は日常を「当たり前」と捉えていた。享受するどころか、消化していたような感覚かもしれない。

今思えば、なんと贅沢なことか。

「ご飯を食べるのが大変な人たちもいるのだから、ありがたく思うんだよ」

このような教えを伝えることはよくあるだろう。娘がご飯を残すと、僕もこの言い回しを使ったように思う。

でも、「一緒に楽しく暮らすことができない人もいるのだから、ありがたく思うんだよ」というのは、指摘内容として挙げられない。

なぜだろうか。家族というまとまりで過ごすこと自体が奇跡であるのに。

当たり前の日常をありがたく受け取ることができれば、人生がもっと豊かになる気がする。心の底から気づくことは、きっと、難しいのだろうけれども。

この記事が参加している募集

この経験に学べ

もし内容に共感をしていただき、有益だと感じていただけたら、サポートをお願いできますと幸いです。情報を広める手段として使用させていただきます。