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ファストフードのように消費される言葉たち

YouTube や voicy を雑に聞いている自分にふと気づきました。散歩しながら聞いて、数分前に話されていたことは記憶のかなたに飛んでいってしまっている。そんなことってありませんか?

他人が無料で発信しているコンテンツであり、どのように聞こうが自由なのは確かです。

家事をしながら。
通勤をしながら。
運動をしながら。

割と「ながら」で消費されることが多くなっているように感じます。と同時に、「僕の言葉もこんな風に消費されているのか」とふと悲しくなりました。

言葉よりも情報に注目が集められている現代だからこそでしょうか。昔の人はもっと「言葉そのもの」に焦点を当てていたように感じます。知らんけど。

そこで思うのは、「人が時間を費やして紡いだ言葉は、もっと大事にされてもいいのでは」ということです。言葉はその人の命そのものだから。

情報過多の現代において、言葉の価値は下がっている気がします。伝えられた情報を覚えていたとしても、その言い回しは覚えていないし、まったく興味がない人が多いかもしれません。

そもそも、その人が時間を使ったのではなく、AIによって生成されたものかもしれないから、確かめようはないのですが。

言葉を使える僕らは
誰かの一言一言に対して
もっと意識を高く飛ばすといいのかも。

「今日も言葉を紡いでくれてありがとう」

そんなふうに思いながら、今日も皆さんのnoteを読んでいます。

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