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長文を書けない人が増える世の中の構造

もしあなたがnoteを書き続けたいのならば、スマホを燃やしたほうがいい。

最近、日記がてらに1,000字程度を書き溜めている。これが日課になってくると、情報感度が高くなる。「何をネタにしようか」と考える癖がつく。僕の尊敬する前田裕二さんであれば、「毛穴むき出し」で生きると言うだろう。普段であれば何てことはないもの、例えば、看板、がネタに見えることがある。

これを理解した上で生きていると、ネタは溜まってくる。それは間違いない。世の中の構造と言うと大げさだが、スマホとSNSの存在がnoteを書く上での邪魔になる。だから、冒頭で燃やしたほうがいい、と言ったのだ。

まず、スマホがあることによって、長く物事を考える機会が少なくなる。横断歩道の待ち時間という数秒、せいぜい数分であっても、スマホを眺めている人を見たことがあるのではないか。少しの暇ができると、スマホに手が伸びるだろう。相当な意志力がない限り、スマホの誘惑にやられると思う。

そして、そのスマホを開くとSNSを目にすることになるだろう。SNSに時間を使うという表面的なことが悪いのではない。本質は、SNSは代表的な短文文化であること。それを発信する側も、受信する側も、短文思考になってしまうのだ。

これが危ない。140字程度の思考しかできなくなる。思考体力が鈍る。思考のスタミナがなくなる。すると、1,000字程度の発信が難しくなってしまう。

これを書いている僕自身、SNSでの発信が大好きで、いつしか「できるだけ短く発信する」ことに慣れてしまった。言葉を削ぎ落とすことやコンパクトに発信することが悪というわけではない。

これらはあくまで仮説ではあるが、長文を書く体力を育てにくい世の中になっているように思う。

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