会社が5年でなくなった話

予想はしていたが、遂にその日が来てしまった。2019年2月13日、いつも通り自転車で恵比寿のオフィスに出社をするとイギリスにいるはずの上司が入口に立っていた。来るという話は聞いてない。

辛そうな顔をしながらイギリス訛りで一言「Good morning Yui」と言った。

「ああついに終わったんだな。」上司がそこにいる意味は瞬時に理解できた。韓国も中国もシンガポールもずっと前に同様のやりかたでオフィスを閉じられていたからだ。

説明としてはこうだ。親会社の組織効率化の方針に従い、全グループにおける世界中の支社の役割を見直しをした。その中で日本のマーケティングは本社に移管する事が決定した、との事。

それから会社の状況説明、個人毎に会社との交渉、条件提示、グループを辞めるという決断、サイン。関係各位への説明、挨拶。本社、支社への引継ぎ、解散送別会、と2末の退社日までたった2週間。ことKingにおける売上は堅調、ジャパンの成績も良好の中でこれだ。噂には聞いていたがこれが外資なのか。ぶっちゃけたまげた。ぶったまげすぎてなんとnoteを書き出してしまった。

5年前、スマホゲームは絶頂期を迎えていた。日本ではパズドラ、モンストといったタイトルが月間何十憶円を稼ぎ、世界でも複数のゲームタイトルが同様の売上を得ていた。

そんな中電通で同期だった枝廣に誘われて入ったのがキャンディークラッシュの開発元でロンドンに本社を持つ会社King Japanだ。Kingは世界的なキャンディークラッシュの成功があったものの、日本での売り上げが伸び悩んでおり、マーケットに精通している日本人を雇って世界で稼いだ売上を日本に投下するタイミングだった。

当時僕はスマホゲームに関してはずぶの素人だったが、ゼロから立ち上げを経験できるという事、外資企業に興味があった事、そして何よりも誘ってくれた枝廣の「ゲーム業界に詳しい俺と、メディアに強い唯が組んで失敗したら他の誰も成功なんてできないんだからチャレンジしようよ!」という意味不明で全く根拠のない誘い文句に不覚にも心震え、入社を決めた。お互い社会人10年目が終わろうとする2014年の冬だった。

時は飛んでそこからちょうど5年、当然筆舌に尽くしがたい様々なことがあったけど、とりあえずここで一旦終わりとなった。無職になったのは初めてだし、こうなりゃ怖いものは何もない。過去の事はもちろん、自分が経験して学んだマーケティングの事、外資と日本企業の事、給与や雇用条件について、面白いと言ってくれる人がいるのであればちょこちょこ書いてみようかと思っている。プー太郎だし。

~続く(かも)~

ちなみに僕はホテルを経営していてそこに住んでいる。こちらも良ければ見て欲しい&来て欲しい。
http://porthouse.jp

#退職 #リストラ #クビ #仕事 #会社 #転職  


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