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2023年11月前半

秋らしい日が少ないと言われるけれど、
今年はそれほど少なくもなかったように関東に住む私は思う。
急に夏に戻ったり、急に季節が進んだりしたが、
秋らしい晴天は何日もあり、気持ちよい美しい日だった。

これからは晩秋、そして冬。
空気が締まってくる。
今年の冬はどんな冬になるだろう。

(Photo shot at Houkoku-ji, Kamakura)

20231101 Wed.

実家で迎える晴天の朝。

まずは落ち葉掃き。つつじの茂みの上に枯葉が乗っかっている。バサバサと振ると脇へ落ちるもの、茂みの中に入っていくもの。外に落ちたものは集めて、茂みに潜ったものはそのまま肥料ということにする。

枯葉が積もると昆虫の卵が産み付けられ、害虫発生のもとになるから放置しないほうがよいと植木屋さんが話していた。一方で枯葉をきれいに取り去ると土が乾く。どの程度が丁度よいのかよくわからない。枯葉はいつまでたっても形を保っていて、簡単には肥料になりえないようでもある。

通路の枯葉は適当に掃いて、適度に残して、踏んで細かくする。これがどれだけどのような効果があるのかよくわからない。

枯葉の一部はコンポストに入れて肥料にすることを試みている。しかし生ゴミよりも発酵が遅くコンポストの下には、枯葉が残った状態で土と混じっている。枯葉混じりということは腐葉土だとすればいい、としている。

夫の家では畑脇に囲いがあり、枯葉を入れて土をかけて数ヶ月かけて肥料にしていたなぁ。


母がお芝居を観たいと話しだして、チケットがネットでないと取れないようだというので「私のスマホで取って渡すよ」という話になった。もう少し話をきくと、かなり間近に行われるお芝居の話だった。いますぐやらなきゃ!

いまスマホが使えないと不便なことが多い。
それは操作ができるかどうかだけでなく、
個人情報登録や支払いをスマホ経由で強いるデザインになっている。
そうしたくない人にとっては障壁になる。

DX化が進むのは良いことでもあるのだけど、
選択肢が持てないのはデメリットではないだろうか。
アナログアクセスが無いことで、遮断され残念に思う人がいるだろうな。
アナログとデジタルの二重投資は勿体なくもあるが
選択肢は広がる。

私がもっと老人になったとき、スマホでの事故、たとえば意図せず支払ってしまうとか、反対にやりたいことを出来ない等の事態に陥りそうで不安だ。

・個人情報を無為にさらしていないか
・パスワード管理ができるか
・スマホやパソコンのトラブルに対処できるか
等など考えられる。

今回は母は、11/4(土)13時と18時の2演目を予約し、コンビニへ一緒に行き紙チケットを手に入れた。スマホ電子チケットは不安とのこと。扱えるものがよい。

3日後、明々後日だ!
決断力もあり、元気もあるなぁ。

20231102 Thu.

AM宅急便を受け取る。
夏に亡くなったRの旦那さんから”白ワインとクルミっ子”が届いた。

Rも旦那さんもワイン好き。Rが買い集めて呑み切れなかったものを形見分けとして友人に配っているのだという。ブルゴーニュの白ワインが来た。

クルミっ子は私の地元鎌倉のお菓子。
Rが好きだったそうだ。
甘いものが好きなイメージがあまりなかったからちょっと意外。でもクルミはチーズやワインと合う。だからかもしれない。


友人とお喋りすることになっている。
その人は先日100kmウォークの沿道応援してくれた人。

近頃、友人が亡くなって葬儀に行ったり、バレエを観にいったら天皇皇后両陛下もいらしたとか何かと出来事があり話のネタは尽きなかった。

お目当てはその人が目を付けていたカフェ、東白楽にある「Iconic」。東白楽とは渋い。そこから近い六角橋商店街というところは人気があるらしい。カフェの後、商店街も見学してみようと楽しみだった。
おしゃれなデザイン。通し営業でカフェめしもあるのかと思っていたらランチ時間のみだった。おお、残念という風情で私達がメニューを見ていたら厨房にいる女性シェフがいいですよ、と言ってくれた。おかげでパスタを頼めて、美味しく頂いた。

Iconic 外観とお料理 すべてが居心地よくおしゃれなお店

六角橋は、ディープなお店が多いときいたことがあり、興味をもって行ってみた。東横線の東白楽から白楽の間。飲み屋、飲食店、地元商店(自転車、米、野菜、文具、本)、こどものお稽古場などなど。暮らしと大人の世界が混じっていて面白かった。

昨夜から今日にかけて、11/3、11/4と友人との予定が入った。
なんか不思議。
11/3は演奏会へ
11/4は学生時代の友人を鎌倉案内することに。


帰ってきたら、ポストに書類封筒が・・・。夫から来た、記入済の離婚届。
10月末に投函した様子。
便箋2枚に手紙というか彼の立場が書いてあった。お互い自分にとってポジティブな方向を向こうということでまとめられている。
ここまで来た。

やはり喪中はがきには連名で、と考えていた様子。
それは理解できる。

20231103 Fri.

日付が変わるころ目が覚めて4時まで起きている。
そこから2時間弱。6時前に起きて6:30から読書会。

ロングスリーパーの私らしからぬ寝方。年取ったのだろうか。
あるいは夕方早く疲れて眠たくなるのかもしれない。

ソニーの社長や会長をつとめた大賀典雄さんは22時くらいに寝て、3時くらいに起きてそこから明け方まで勉強して、もう一度寝て会社で仕事をしたという。それを思い出した。そのパターン (笑)?


14時からフィリアホール@横浜市青葉台にて演奏会。
ハーゲン・カルテットというオーストリア実力派の室内楽団。とはいえ初めて聞く。この弦楽四重奏団が2曲、もう1曲はピアノに藤田真央が加わる。藤田真央は大人気で若い才能あふれる世界的ピアニスト。こんなチケットを、またもや行けないから…と頂いた。

なんたる棚ぼた。それも突然。

藤田真央ファンの人が是が非でも取りたいチケットだろうなぁ。
演奏は、、、3曲とも良かった。尻上がりに面白くなった。

帰りがてら途中の駅から約10kmウォーク、16000歩。
せっかく2か月間歩いて身体が出来てきたので、このまま歩かなくなるのは勿体ないなと。大会など出るつもりはないが、歩き方・姿勢などはこのままキープかブラッシュアップしていきたい。

20231104 Sat.

11/1に連絡がついて11/4鎌倉観光をしようということが決まった。、徳島にいる学生時代の友人が東京へ来るので息子さんもいっしょに、ということが急にまとまった。

その友人とは卒業後、顔を合わせたことはなく、年賀状・手紙・電話だけ。
今年3月に難病にかかったという手紙をもらい、4月にお見舞いに柑橘類を送り、電話で久々肉声をきいた(今思うと、徳島県の人に柑橘類を送るというのはどうなのか?といえるが、ちょうど和歌山県新宮市にいて、そこも柑橘類が豊富なところで、病気=ビタミン必要!との発想だった)。別件で8月に電話したときに「東京へ秋に来るつもりなのでそのときは連絡する」といっていた。

10月中も連絡がこなかったので、もう来ちゃったかもな、と思いつつメッセージを送ってみると、ちょうど三連休に来るというのだ。

割り込んじゃったのだろうか? 
それはわからないが、息子さんと一緒に鎌倉へ来たいという。


丸一日たっぷり鎌倉観光!
連休中日なかびの鎌倉はこんなに混雑するのだということを思い知った。
地元の人は人出が多いときは鎌倉へ出ないようにしてあまり目にしなかったのだけれど、どこも行列・混雑。

最近平日にしか動いていなかったので、"観光地鎌倉"を実体験し、当たり前となっている混雑具合にとても驚いた。

丘のような山に囲まれ道が狭い鎌倉は車には向いていない。徒歩と交通公共機関が相応しい。ただ混雑していると公共交通機関にも人が集中するところが課題。

なるべく徒歩で、交通機関はなるべく空いている時間帯・交通機関を選択しよう。

友達だけなら山道のようななんでもない細い道をいきお喋り中心にするけれど、今年就職した息子さんが一緒なので、今後のデートや遊びに役立つような場所を回ってみた。

<行程>
9:30 北鎌倉駅集合
9:30-10:30 円覚寺 本殿、秋の宝物公開も見学、舎利殿

円覚寺 舎利殿も公開

10:30-10:45 電車で鎌倉駅へ移動
10:45-11:30 段葛だんかつらを通って鎌倉八幡宮へ 途中豊島屋本店
11:30-12:15 鶴岡八幡宮へお詣り、宝物殿見学、おみくじ
12:15-13:30 ランチ 釜上げしらす海鮮丼

八幡宮の前にたい焼き、八幡宮の後にしらす海鮮丼

13:30-13:50 報国寺

竹林が美しい
抹茶は混雑していてチケット発券停止中…

13:50-14:30 バスで報国寺~鎌倉駅、鎌倉駅~大仏前
14:30-14:50 高徳院 大仏

青空を背景に、なかなか凛々しいお顔!

15:20-15:33 江ノ電で長谷~鎌倉高校前
15:33-15:56 スラムダンクの坂・鎌倉高校・海岸の散策

もはやすっかり”スラムダンクの坂”・鎌倉高校前駅

15:56-16:04 江ノ電で鎌倉高校前~江ノ島
16:04-17:45 徒歩で江ノ島駅から江ノ島へ渡り島内散策、茶屋で休憩

(左) 鎌倉高校前からの江ノ島  (真ん中・右) 江ノ島からの眺め

17:55-18:20 江ノ電で江ノ島~鎌倉
      ここで友達親子とお別れ

<並んだところ・混雑具合> 
円覚寺 拝観料支払い 3分
報国寺 拝観料支払い 3分
バス  5分・満員
大仏 拝観料支払い 3分
江ノ電 長谷駅~鎌倉高校前 かなり混雑
    鎌倉高校前~江ノ島 かなり混雑
    江ノ島~鎌倉 18時過ぎて空いていた

かなり観光客が多いなか、多少それをかわして行けたのではないかな。
沢山歩いた。20000歩以上!!!

人疲れがして、別れた後は本屋で本を買い、横浜でカフェへ寄った。
友人親子も疲れただろうな~。難病については今はコントロール下、山岳部顧問の彼女にとって許容範囲内の歩きだったようだ。


熊出没

自警団に入った若手が行方不明になっていたところ、クマに襲われた状態で亡くなっていたところを発見された。この熊は、前日、クマに遭遇した登山者がナイフで切りつけて逃げた熊と同一と思われるとのこと。
人間がナイフで襲ったので、次にあった人間を襲ったのだろう。

よくないサイクルが作られてしまった。
熊との付き合い方は日本で培われたものがあるのに、忘れられている。

一度人間を襲った熊は、再び襲うため即殺傷対象となる。

熊は出没するのではなく、そこにいるのだ。
人間が出没、とは言わないだろう。

熊が街中に来るのは、エサが自分たちのテリトリー内にないからだ。
魅力的なものがある場所へ来るのだ。
山のドングリを今から増やすことは出来ないが、山間に熊が生息しやすいサポートを人間ができるのだろうか?人為的なことはやはり無益だろうか。

サルとクマの情報が掲載されている。

軽井沢では一部のクマに発信機をつけて、クマの居所を把握し住宅地に来る熊に対して、クマ対応犬や音を使って、警戒するよう働きかけ、山間の場所から出ないように働きかけているそうだ。

住宅地まで熊がやって来るにあたり、森・森と民家エリアにつながる藪、民家の屋敷林などを辿だどるという話が報道されていた。この事実に対して、屋敷林を伐採するというのは誤った対策だと思う。熊が身を隠しやすい場所であることは確かだが、それを無くしていくのは、ガザの対応と同じだ。

軽井沢はある程度限られた区域の話だし、財政が豊かではある。同じことを広い面積を抱える秋田県や富山県が行うことは出来ないが、ここにヒントがあるのではないだろうか。

森の手入れをすること、
今年は間に合わないが、軽井沢の例は参考になる。すべて同じでなくとも取り入れられることがあるし、一般の人が理解しておくと役立ちそう。

https://www.town.karuizawa.lg.jp/www/contents/1643589852350/simple/tukinowaguma.pdf


20231105 Sun.

7:00~ABD
ここではシステム思考について、書籍をベースに対話。


9:30~オンライン講演会 面白かった!
山際寿一先生と占部まり先生のオンライントーク。

山極先生の最新刊『共感革命』はとても面白い。ゴリラと人間だけでなく、自然の見方、社会について語られている。私と先生とは何も関係ないが色々な人におススメしている。


14:00~16:00 神宮外苑ウォーク

神宮外苑ウォーク、関連する場所をあちこち歩き、身体としては程よい疲れ。気持ちとしてはしんどかった。銀杏の色づき具合は、一部黄色くなりかけている程度。

シンボルとなっている銀杏並木
四列あるうち、現在営業しているレストラン側には、傷んだ木がすでに何本かある。
(右)銀杏並木と絵画館の間にある軟式野球場。ここは小学生がよく試合をしている。
軟式野球場にある大きな銀杏の木は、もともと伐採対象。
それを昨今の声を受けて移植対象としている。しかしこの木は2本か3本が一体となった大木で
地上と同じだけの根を張っているものを移植することは一般的にかなり困難。
(左)神宮外苑ウォークに集まった人達
絵画館前のヒマラヤ杉
植えた当初の写真(左)と現状(右)
こちらは伐採対象
(左) 新しい国立競技場 敷地内の樹木。幹割れして衰弱した状態。
幹割れは、生きている樹皮部(内樹皮)の水分が欠乏して衰弱・枯死するのが原因。
(右) 銀杏並木からだいぶ奥(絵画館前)に入ったところ。四角い建物が80m、その2倍以上の建物が2棟、そして銀杏並木まで8mに迫ると場所に野球場が建つ計画。


外苑の外周道路に停まっていた軽トラ「焼き芋屋」さん。見たのは今年初だ。
「PayPay使えます」と大きく表示してある。
少し先に焼き芋2つを買った女性2人組が、焼き芋を高く掲げて写真を撮っていた。おしゃれな青山に来て焼き芋とはどんな女性なのだろう?と目をやるとインドネシアなど東南アジアから来た観光客のようだった。それは納得。日本独特のものだろう。味わってほしい!

20231106 Mon.

今日はYeLLでの二人目のセッション初日。

事前におおまかな自己紹介をテキストでいただいていて、その方がこのセッションに求めるものも理解できた。
ただ初回はどのような対話になるか心配だ。

このYeLLでは何かTo DOを重視するよりも内省を深めたり、気づいていなかったことに気づくことをテーマとしている。お話相手のプレイヤーさんが具体的なTo DO重視だと、うまく進まないかもしれない。でもだからといってTo DO無しでは現実が変わっていかない。そのバランスが時と場合、人によって違う。

今日はどのような人なのか話して感じ取りたい。
そう思って始めた。

結果、設定時間が足りないほど多くの会話をかわせて、プレイヤーさんから終了時に良かったとの言葉があった。ほっとしている。

この方とは6回(隔週3ヵ月)のお付き合い。
To DOは多いけれど同時に内省したいし、実は薄っすら気づいていたことを言語化する意味がありそう。気づいていないことを指摘してもらいたいニーズもありそう。
毎回工夫して臨み、目の前で話すプレイヤーさんに集中して対話しよう。


クラウドファンディング。
9億円集まった国立博物館。

いい話でもあるが、国立の施設なのに予算が取れないという事態は見過ごせない。
私が通っていた国立の大学も、テニスコートの補修を仲間内のクラウドファンディングで行った。心温まる話でもあり、常態化するのはおかしい。

20231107 Tue.

今日で、ハマス攻撃が発端となったイスラエル・ハマスの戦いが始まって1か月。
犠牲者数は当初同等だったが、あれよあれよという間に、ガザ地区の犠牲者が何倍にも増えた。全く解決の見込みがない。休戦の見込みもない。

これだけ誰もが益が無いとわかっているのに止められない。

再度、グテーレス事務総長がガザの惨状を、
いますぐ、
「More food, NOW
 More water NOW
 More medicine NOW」
と訴えた。

日本は戦争をいますぐ止めないと復興支援をしない、といって彼らに交渉の席につくよう話すべきでは?

聖職者はどう行動しているのか? 何も言っていないのか?
 ユダヤ教のラビ
 キリスト教の司祭、バチカンの司教
 イスラム教の指導者

もし女性が会議を行ったら、特にパレスティナ、イスラエル、ウクライナ、ロシアの女性が会議を開いて停戦を話合ったらどうか?

世界中のこどもが会議を行ったらどんな結論を出すだろう?大人にどのようなことを求めるだろう?

多くの人が感情的に反応している。
感情的にこれは、おかしいことだ、間違っていると判断している。
それを判断軸として重視したうえで、論理的・具体的に手だてを組んでいかなくては。

戦いを止めること、犠牲者をこれ以上出さないことを
人間という種、全体でどうやって実現できるのだろうか?


京都アニメーション事件の裁判
犯人に責任能力がないという主張には、様々な出来事から10年来落ち込む精神状態だったということが理由になっていた。そんなことを言ったら、大勢の人々にとって犯罪を犯しても無罪になるではないか。

弁護士としては減刑を求めるための「責任能力がない」という主張だったのかもしれないが、状況からすれば「こういう厳しい10年間もあったので、やったことは非常に罪の重いことだが情状酌量を加えていただきたい」というべきなのではないか。


夫宛にカード送付、タイトルは「Be Happy」
記入ありがとう/ここまで諸般・関係者の調整が取れてのことと思います/これからの貴方と一族の繁栄を祈ります/事務連絡(届を提出したら連絡する、喪中はがきは5枚わけてださい、結婚する際の紹介者には連絡するかどうか、私宛の郵便物については転居届を出すが、届いてしまうものがあれば転送してもらいたい等)

言葉は丁寧でも、私の心はぐーんと離れている。

夫には元カノがいるので、めんどうを見合うひとがいる。私は去るだけ。

20231108 Wed.

暦の上では立冬
枕言葉が今年ほど必要な年は近年ないかもしれない。

日中は20度を越え、夜も寒くない。上着を持っていても着る必要がない。
富士山の雪は消えてしまったという。


庭仕事するには良いお天気で、風もなくまずは落ち葉掃きから始めた。

そして塀から外に伸びすぎた枝を切り、ツル性の雑草、たぶんヤマノイモをブツブツと切ってモッコウバラやツバキの木を救った。でもむかごは諦めたことになる。

ハナニラの細長い葉がところどころ散見される。
夏の間、彼らは地下で待っていて、他の夏草が消えていくと葉っぱを伸ばしてくるわけだ。

今年最初に抜いたハナニラ

1本は太った根っこから発芽しているが、ほかの2本は種から発芽したように見える。飛んできた種か、土に混ざってここにやってきた単発ハナニラさん達、たぶん。

今年初、抜いたハナニラ

この後、もう少し長い葉っぱを見つけてチャレンジしたら、土の上には3,4本の茎、土の中はぎっちり根っこが張っていた。掘り返すと、土中だが葉っぱを出して上を目指しているものがある。ここは数年がかりのハナニラ集団コロニーなんだな。

夏の間、根っこに養分を蓄え、夏の暑さから身を守り、秋の日差しが出てくるとひょろーっと葉っぱを伸ばしてくる。

立冬、ハナニラとの戦いの始まり!
(本当はあまりにも沢山あるハナニラに遊ばれる時期に入っただけ)

とはいえ、ハナニラを殲滅せんめつさせるとは思っていないよ。
"イスラエルにとってのハマス"と同じではない。
そしてハナニラの花は、ユダヤの星とも言われるからむしろイスラエル。
だけど私はイスラエルを疎ましいなんて思いたくない。

まぁ、ハナニラはおいておき、
将来、誰かマンションなどに住む友達が、たまに庭仕事したいということで手伝いに来てくれたら嬉しいなぁ。庭仕事・お昼ご飯・庭仕事・お茶という流れで過ごすひととき。悪くない。


電話で話すチャンスはあったが、母に話していなかった“夫から書類が戻ってきた”ことを報告し、便箋2枚も見せた。

それを読んで母は「まあ頑張ったのね」と。ニュアンスとしてはまぁまぁ頑張ったという意味。

母親としては、きちんと娘の形がついて安心しているという様子。
何歳になっても母親にとって子供は子供なのだ。

便箋に書いてあることは物事の一面だけなんだけどな~と思いつつ、そこは母に伏せているので黙っていた。

20231109 Thu.

朝読書会はベイトソン。
頭が動いていなくて、なんだかまとまらない時間だった。

あまりに動かない一日となり、夜、買い物を兼ねて散歩してきた。

11日に学生時代の人達と合うのでその確認や連絡。12日の友達との約束。それ以降のスケジュール。等々確認したり準備して過ごす。すっかりモードは年末に向いている。年明けについては、特にまだ勢いはないが探り出そうとしている感じ。

20231110 Fri.

年3回の歯クリーニングの日。
日常の歯磨きは概ねよいとの歯科衛生士さんのコメントだった。

最近2回ほど続けてクリーニング日の近くや直後に、糸ようじで詰め物を吹っ飛ばすことがあった。今回はその場所に糸ようじを使わずに、詰め物を飛ばすこともなく、小さなことだがホッとした。

帰りはそのまま帰りたくなく、有楽町へ寄り道して新橋まで歩いた。道すがらWESTで、ケーキ2個を冬模様のWEST紙手提げに入れてもらいぶら下げてきた。モカロールとシュークリーム。

たまに食べたくなるオーソドックスなケーキ。


これだけ多くの人が戦いの終結を望んでいるハマスとイスラエルの戦闘。
なんだんだろう。本当に人間という種はアホだ。

Shinobu Namaeさんの訳でシェアされていた、村上春樹さんのイスラエル賞受賞スピーチ(2009年)を読んでみた。
ガザの話が出ているが、これは2008年12月から2009年1月にかけてのガザ紛争のことだ。その直後にイスラエルへ向かった村上春樹さんの覚悟と、イスラエルへ・全世界の人へ向けたメッセージ。

村上春樹さん『2009年のイスラエル賞受賞スピーチ』
常に卵の側に立つ

こんばんは。
私は今日、小説家として、つまり嘘をつくことを生業とする者としてエルサレムにやってきました。
もちろん、嘘をつくのは小説家だけではありません。
政治家も嘘をつく。外交官や 将校も、中古車のセールスマンや肉屋、建築業者と同じように、時折、独自の種類の嘘をつく。
しかし、小説家の嘘は、嘘をつくことを不道徳だと批判する人がいないという点で、他の嘘とは異なります。
実際、作家の嘘が大きければ大きいほど、巧妙であればあるほど、大衆や批評家から賞賛される可能性が高い。
一体なぜなのか?
私の答えはこうです。
すなわち、巧みな嘘をつくことによって--つまり、真実のように見える虚構をでっち上げることによって--小説家は真実を新しい場所に引き出し、それに新しい光を当てることができるから。
ほとんどの場合、真実を元の形でつかみ、それを正確に描くことは事実上不可能なのです。
だからこそ私たちは、真実をその隠れ場所から誘い出し、虚構の場所に移し、虚構の形に置き換えることによって、その尻尾を掴もうとするのであります。
しかし、そのためにはまず、我々自身の中に、真実はどこにあるのかを明確にしなければならない。
これは良い嘘を作るための重要な資格なのです。
しかし、今日は嘘をつくつもりはない。できるだけ正直でいようと思います。
嘘をつかない日は1年のうち数日しかないですが、今日はまさしくそのうちの1日なのです。
だから、本当のことを言わせてください。
日本では、かなりの数の人々が、エルサレム賞を受賞するためにここに来るのはやめた方がいいと私に忠告しました。
もし私が来れば、私の本のボイコットを仕掛けるだろうと警告する人さえいました。
その理由はもちろん、ガザで繰り広げられていた激しい戦闘でした。
国連は、封鎖されたガザで1000人以上が命を落としたと報告しています。
受賞の知らせを受けてから私は何度も、このような時期にイスラエルに行き、文学賞を受け取ることが適切なことなのか、
紛争において一方を支持し、圧倒的な軍事力を行使することを選んだ国の政策を支持するような印象を与えてしまうのではないかと自問しました。
そしてもちろん、私の本がボイコットされるのを見たいとも思っていないのです。
しかし最終的には、熟考の末、ここに来る決心をしました。
決断の理由のひとつは、あまりに多くの人から「やめたほうがいい」と忠告されたことからです。
おそらく他の多くの小説家と同じように、私は言われたことと正反対のことをする傾向があるのでしょう。
人々が私に--特に彼らが私に警告している場合--「そこに行くな」「それをするな」と言うなら、私は「そこに行きたい」「それをしたい」と思う傾向があります。
それは小説家としての私の性質と言えるかもしれない。
小説家は特殊な人種です。
自分の目で見ていないもの、自分の手で触れていないものは純粋に信用できないのです。
だから私はここに来ました。
離れているより、ここに来ることを選んだのです。
見ないよりは自分の目で見ることを選んだのです。
何も言わないよりは、話すことを選んだのです。
どうかメッセージをお伝えすることをお許しください。
それは、私が小説を書いている間、常に心に留めていることです。私はそれをわざわざ紙に書いて壁に貼ったことはありません。むしろ、心の壁に刻んであるのものです。
:それは次のようなものです:
高くて頑丈な壁と、それにぶつかって割れる卵の側では、私は常に卵の側に立つ」。
そう、壁がいかに正しく、卵がいかに間違っていようとも、私は卵の立場に立つのです。
何が正しくて何が間違っているかは、いずれ他の誰かが決めなければならない。おそらく時間か歴史が決めることなのでしょう。しかし、何らかの理由で壁の側に立つ作品を書いた小説家がいたとして、そんな作品にどのような価値があるのだろうか?
この例え話の意味は何でしょう?
場合によっては、あまりにも単純明快であります。
爆撃機や戦車やロケット弾や白リン弾は、その高い壁であります。
卵は、それらに押しつぶされ、焼かれ、撃たれる非武装の民間人です。
これがこの比喩のひとつの意味であります。
しかし、これがすべてではない。

もっと深い意味があるのです。
こう考えてみましょう。
私たち一人ひとりは、多かれ少なかれ卵である。
私たち一人ひとりは、壊れやすい殻に包まれたかけがえのない魂なのです。
これは私にも言えることだし、あなた方一人ひとりにも言えることです。
そして私たち一人ひとりが、多かれ少なかれ、高く強固な壁に立ち向かっています。
その壁には名前がある。"システム "です。
システムは私たちを守るはずのものですが、
時に独自の生命を宿し、
私たちを殺し、
私たちに他者を殺させるようになる
--冷徹に、効率的に、組織的に。
私が小説を書く理由はただ一つ、個々の魂の尊厳を表面に出し、それに光を当てるためです。
物語の目的は警鐘を鳴らすことであり、システムが私たちの魂をその網に絡め取り、卑しめるのを防ぐために、システムに光を当て続けることなのです。
生と死の物語、愛の物語、人々を泣かせ、恐怖に震えさせ、笑いに震えさせる物語を書くことによって、それぞれの魂の独自性を明らかにしようとし続けることが、
小説家の仕事だと私は心から信じています。
だからこそ私たちは、毎日毎日、ひたすら真剣にフィクションを練り上げるのです。
私の父は昨年90歳で他界しました。
定年退職した教師であり、非常勤の僧侶でもありました。
京都の大学院在学中に徴兵され、中国に派遣されました。
戦後生まれの私は、毎朝朝食前になると、家の小さな仏壇に長く深い祈りを捧げる彼の姿をよく目にしました。
ある時、なぜそんなことをするのかと尋ねると、彼は戦場で亡くなった人々のために祈っているのだと言いました。
敵味方関係なく、亡くなったすべての人のために祈っているのだと。
仏壇にひざまずく彼の背中を見つめながら、私は彼の周りに死の影が漂っているのを感じました。
父は死に、その記憶、私が知ることのできない記憶を持っていってしまいました。しかし、父に潜んでいた死の気配は、私自身の記憶の中に残っています。
それは私が父から受け継いだ数少ないものの一つであり、最も重要なものの一つでもあります。
今日、皆さんにお伝えしたいことはただひとつ。
私たちはみな人間であり、国籍や人種や宗教を超えた個人であり、システムという強固な壁に直面したもろい卵であります。
どう見ても、私たちに勝ち目はない。
壁はあまりに高く、
あまりに強く、
そしてあまりに冷たい。
もし私たちに勝利の望みがあるとすれば、それは自分や他人の魂の完全な独自性とかけがえのなさを信じること、そして魂を結びつけることで得られる温かさを信じることから生まれるしかないではないか。
少し考えてみてほしいのです。
私たち一人ひとりは、生身の人格を持った魂を持っています。
システムにはそのようなものはない。
システムに搾取されてはならない。
システムが独自の生命を持つことを許してはならない。
システムが私たちを作ったのではなく、私たちがシステムを作ったのですから。
私が皆さんに申し上げなければならないことは以上です。
エルサレム賞を受賞できたことに感謝いたします。
私の本が世界の多くの人々に読まれていることに感謝しております。
そして、イスラエルの読者に感謝の意を表したいのです。
あなた方こそ、私がここにいる最大の理由です。
そして、私たちが何か、とても意味のあるものを分かち合っていることを願っています。
そして今日、ここで皆さんとお話しする機会を持てたことをうれしく思います。
心より感謝申し上げます。

原文
2009 “Jerusalem Prize” Remarks: 
Always On The Side Of Egg
                        by Haruki Murakami
Good evening. I have come to Jerusalem today as a novelist, which is to say as a professional spinner of lies.
Of course, novelists are not the only ones who tell lies. Politicians do it, too, as we all know. Diplomats and generals tell their own kinds of lies on occasion, as do used car salesmen, butchers and builders. The lies of novelists differ from others, however, in that no one criticizes the novelist as immoral for telling lies. Indeed, the bigger and better his lies and the more ingeniously he creates them, the more he is likely to be praised by the public and the critics. Why should that be?
My answer would be this: namely, that by telling skillful lies--which is to say, by making up fictions that appear to be true--the novelist can bring a truth out to a new place and shine a new light on it. In most cases, it is virtually impossible to grasp a truth in its original form and depict it accurately. This is why we try to grab its tail by luring the truth from its hiding place, transferring it to a fictional location, and replacing it with a fictional form. In order to accomplish this, however, we first have to clarify where the truth-lies within us, within ourselves. This is an important qualification for making up good lies.
Today, however, I have no intention of lying. I will try to be as honest as I can. There are only a few days in the year when I do not engage in telling lies, and today happens to be one of them.
So let me tell you the truth. In Japan a fair number of people advised me not to come here to accept the Jerusalem Prize. Some even warned me they would instigate a boycott of my books if I came. The reason for this, of course, was the fierce fighting that was raging in Gaza. The U.N. reported that more than a thousand people had lost their lives in the blockaded city of Gaza, many of them unarmed citizens--children and old people.
Any number of times after receiving notice of the award, I asked myself whether traveling to Israel at a time like this and accepting a literary prize was the proper thing to do, whether this would create the impression that I supported one side in the conflict, that I endorsed the policies of a nation that chose to unleash its overwhelming military power. Neither, of course, do I wish to see my books subjected to a boycott.
Finally, however, after careful consideration, I made up my mind to come here. One reason for my decision was that all too many people advised me not to do it. Perhaps, like many other novelists, I tend to do the exact opposite of what I am told. If people are telling me-- and especially if they are warning me-- “Don’t go there,” “Don’t do that,” I tend to want to “go there” and “do that”. It’s in my nature, you might say, as a novelist. Novelists are a special breed. They cannot genuinely trust anything they have not seen with their own eyes or touched with their own hands.
And that is why I am here. I chose to come here rather than stay away. I chose to see for myself rather than not to see. I chose to speak to you rather than to say nothing.
Please do allow me to deliver a message, one very personal message. It is something that I always keep in mind while I am writing fiction. I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall: rather, it is carved into the wall of my mind, and it goes something like this:
“Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg.”
Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg. Someone else will have to decide what is right and what is wrong; perhaps time or history will do it. But if there were a novelist who, for whatever reason, wrote works standing with the wall, of what value would such works be?
What is the meaning of this metaphor? In some cases, it is all too simple and clear. Bombers and tanks and rockets and white phosphorus shells are that high wall. The eggs are the unarmed civilians who are crushed and burned and shot by them. This is one meaning of the metaphor.
But this is not all. It carries a deeper meaning. Think of it this way. Each of us is, more or less, an egg. Each of us is a unique, irreplaceable soul enclosed in a fragile shell. This is true of me, and it is true of each of you. And each of us, to a greater or lesser degree, is confronting a high, solid wall. The wall has a name: it is “The System.” The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own, and then it begins to kill us and cause us to kill others--coldly, efficiently, systematically.
I have only one reason to write novels, and that is to bring the dignity of the individual soul to the surface and shine a light upon it. The purpose of a story is to sound an alarm, to keep a light trained on the System in order to prevent it from tangling our souls in its web and demeaning them. I truly believe it is the novelist’s job to keep trying to clarify the uniqueness of each individual soul by writing stories--stories of life and death, stories of love, stories that make people cry and quake with fear and shake with laughter. This is why we go on, day after day, concocting fictions with utter seriousness.
My father passed away last year at the age of ninety. He was a retired teacher and a part-time Buddhist priest. When he was in graduate school in Kyoto, he was drafted into the army and sent to fight in China. As a child born after the war, I used to see him every morning before breakfast offering up long, deeply-felt prayers at the small Buddhist altar in our house. One time I asked him why he did this, and he told me he was praying for the people who had died in the battlefield. He was praying for all the people who died, he said, both ally and enemy alike. Staring at his back as he knelt at the altar, I seemed to feel the shadow of death hovering around him.
My father died, and with him he took his memories, memories that I can never know. But the presence of death that lurked about him remains in my own memory. It is one of the few things I carry on from him, and one of the most important.
I have only one thing I hope to convey to you today. We are all human beings, individuals transcending nationality and race and religion, and we are all fragile eggs faced with a solid wall called The System. To all appearances, we have no hope of winning. The wall is too high, too strong--and too cold. If we have any hope of victory at all, it will have to come from our believing in the utter uniqueness and irreplaceability of our own and others’ souls and from our believing in the warmth we gain by joining souls together.
Take a moment to think about this. Each of us possesses a tangible, living soul. The System has no such thing. We must not allow the System to exploit us. We must not allow the System to take on a life of its own. The System did not make us: we made the System.
That is all I have to say to you.
I am grateful to have been awarded the Jerusalem Prize. I am grateful that my books are being read by people in many parts of the world. And I would like to express my gratitude to the readers in Israel. You are the biggest reason why I am here. And I hope we are sharing something, something very meaningful. And I am glad to have had the opportunity to speak to you here today. Thank you very much.


20231111 Sat.

イスラエル、停戦や休戦の交渉のなかで、4時間休戦をすることと同時にガザ北部を占領するとは、本当に阿漕あこぎだ。あくどい。
いいことをしている風を装って、体よく人々を追い出して北部ガザをがっつり占領できる。

なんでここまでイスラエルはひねくれているのか。

勝手にひねくれたのではない。周囲との関係でひねくれてきたのだ。
ここまでイスラエルがひねくれるようなことを、他国が行ってきたともいえる。(だからといって、ひねくれることが正当化されるのではない。)


そしてウクライナとロシアの戦いも続いている。
ウクライナは戦わなければロシアに吸収されると信じている。実際その可能性が高い。でも、だから、戦い続けるしか方法がないのだろうか?

ウクライナは戦わずして国を守る方法はない、という考えが揺るがない。

そう思うに至るこれまでの歴史を概ね理解しているつもりだが、その先に人々の尊厳はあるのだろうか。戦い続けるリーダーシップは本当に正しいのだろうか?


大学時代の水泳部の前後の世代、8人ほどで会食
なんとなく私がアレンジすることになった。
秋葉原で14時から。

とても五月雨な集まり方で、開始時は3人。だんだんと7名まで集まった。そのあと最後の1名が来るタイミングにお店を移って談笑。

土曜午後の通し営業をしてくれるお店はあまり多くなく、ありがちなビアホール系。それでも個室に入れてゆっくり話ができたが、アレンジした私はヒヤヒヤした。まぁでもゆっくり話ができて良かったとしよう。

私達の学年はもともと人数が少なく、6名(男4、女2)のうち、男性2名が亡くなっている。今回は3人が集まった。私達が1年のときの、2年、3年、4年の先輩方が来てくれた。1年下の学年は、様々現職で忙しかったり、いまも大人数会食を避けているということだった。

話し出すと、ほとんど昔と変わらない話しぶり、そして役回り。

昔もとっちらかった話をまとめてくれる人は、今回もその役割。
昔もお手製お菓子を持ってきてくれる人は、今回も持ってきてくれた。
昔も聴き役は、今回もほぼ聴き役。
昔も遅れてくる人は、今回も遅れてきた。
昔も盛り上げ役はその役割・・・

・・・まぁだいたいこんな感じ。

おひとり、10万人に一人という神経分泌性腫瘍の治療中という方がいらした。わりとネアカだけど、根源にはネクラな部分もありそうな人。だが病気に対してネアカに対応していらして、1年後の生存率10%と言われつつ、1年経過したいまも元気だ。

不安を抱えているとは思うが、なんとなくこの方の腫瘍は消えそうな気がする。


20231112 Sun.

朝、MBTIの勉強会。
ひとりの人に焦点を当ててMBTIタイプを通じて説明をする
今回は私。

以前、私の担当会はあまり芳しくない雰囲気だったので、今日は工夫して「生い立ち」「100km walk」について具体的エピソードを話すことにした。

勉強会の比較的新しいメンバーが多めで6人。いつも来ているメンバーは揃って欠席だった。私、人気ないんだなぁ。

がっかりする。

でも今日の話は割と質問も出て、お互いの違いが明瞭になってよかった。
そして、私の生涯を通じて繰り返すパターンが明瞭に浮かび上がった。そしてそれを必ずしも踏襲しなくてもいいのでは?と思えるようになった。そのパターンのメリットデメリットがあり、デメリットがあるならやり方を変えてもいいわけだ。

今頃こう思うなんて遅すぎるかもしれない。
でも、思えてよかった。
ずっと気づかないことさえあって不思議はない。

気付かなくてもよいけれど
私は気づきたい。
これまで楽しんできたパターンを変えてもいいし、変えなくてもいいのだ。


そしてもうひとつ。
ガッカリしたけど、がっかりする必要はないコトにも気づいた!
つまらないだろうから欠席したかもしれないし、たまたまかもしれないし、
どちらにしても私がコントロールすることではないし、
私がそのことで元気を無くす必要はない。関係ない事柄だ。

だからがっかりすることは止めよう。


夕方は鉄平さんのところで香箱蟹
今年は11月6日に解禁! 来年3月20日まで漁ができる。

金沢から鎌倉に蟹が運ばれてくるのは11月8日。そこから4日目。鉄平さんはこの期間、毎日10個くらいの蟹を茹でて、ほぐして、盛り付ける。毎日毎日、茹でて、ほぐして、盛り付ける。

20分くらいかけて盛り付けて、食べるのは早ければ5分。お酒を飲みながらでも20分経つと冷めてしまう。味わって、最後まできれいに食べてくれると嬉しいと鉄平さんの弁。

ここのいいところは、茹でたて・もりつけしてすぐを食べられること。
事前にもりつけてあったり、もりつけた段階で冷凍している場合もあるそうで、それと比べると、ふっくらして甘味も感じられる。

メインは香箱蟹、そのまえにお造り。いつもは10種だけど今日は8種。
 むろあじ・ひげだい・かんぱり・きはだまぐろ
 まだこ・いなだ・〆サバ・たかのはだい

穴子の白焼き、アジフライ、カニ雑炊。

お造り・香箱蟹
お通し・穴子白焼き・カニ雑炊
絶品のアジフライは出来上がりをすぐ食べてしまい写真撮り忘れ!

すっかりお腹一杯!

穴子ちらし小町(昼) KAMAKURA Teppei(夜)
二枚看板で昼は父上、夜は鉄平さんがご主人です
https://tabelog.com/kanagawa/A1404/A140402/14015386/
0467-25-0575
 (月曜定休 17:00~/19:30~)※要予約

おススメ

20231113 Mon.

朝読書会。
開始時の一言チェックインにて、香箱蟹の話をした。
これすっかり自慢よね(笑)
と友人に返された。はい、そうです!

続いてライフパーパスの講座。2週間ぶり。
うーむ、間が空白だ。
すっかり抜けている。

ギアアップして集中しよう、埋没しよう。
ギブアップではない!!!


今日、ロシアの民族統一の記念日イベントが開催されている。本来は11月4日が記念日。
ロシアの文化・風土は豊かで尊重されるべきもの。地球上にロシアがあって豊かさが増していると思う。

そこにドネツク・ザポリージャなどウクライナ四州のブースもあるそうだ。これはロシアとしては当然。でも私にはすんなり受け止められない。


やっとRの旦那さんへ、形見分けのワインとクルミっ子の令状をカードに書いて投函した。受け取った旨だけはSMSで連絡したのだけれど、すっかり3週間経っている。すぐお礼かくつもりだったのに。

なかなか書けないもんだ。
書けなかった。

でも書いた内容は素朴なことだった。
・形見分けのお礼
・ワイン、いつ・どう開けようか考え中
・クルミっ子、ちょっと意外だったが考えたらクルミとチーズ・ワインは合うし、鎌倉出身の私には嬉しい
・2箱あったクルミっ子、ひとつは30数年ぶりに会った友達(大学1年のとき3人が同じクラスの)Mさんに渡した。もうひとつの缶入りは私の手元に。
・同窓生からお二人へのお悔やみの声が沢山集まっている。
・当面とても大変だと思うが身体に気を付けてください。心痛をいやしつつ愛が深まりますように。

はぁ。
受け止めてくれるだろうか。


畳屋さんから畳の表を1枚もらった
今年の春先に、たまたまこの店の前を通り、畳のヘリを使ったティッシュケースや鞄を売っていたのを見て、ひとつふたつ購入したときに、畳の表をもらえないか伺ったことがある。そのときは「いいですよ」とおっしゃったもののその場でくださる風ではなかったので、一旦引き下がった。

今回、電話をして春先にこういうことがあったのだけれど今日伺ってもいいでしょうかと尋ねてから行った。
Google Mapのお店情報ではお店の店主もその奥様も愛想がよい方だと書いてあり、その通りで、図々しく頂きに伺うと仕事の合間に1枚出してくれて笑顔で渡してくれた。
お礼に庭で採れたブルーベリージャムをお渡しした。

落ち葉を掃き集めるとき、畳を拡げてそこに箒で集めるとゴミ袋に入れやすいのだ。風が吹いていれば集めてすぐに二つ折りにすれば飛ばされないのだ。この上なく便利なのだ。

掃き集めた枯葉の一部は肥料になって、ブルーベリーの木に撒かれて来年につながる。


熊退治のために鹿や猪と同じような駆除基準を取れるよう、北海道・岩手・青森などが政府に要請したとのこと。指定管理鳥獣・・・。そこまで事態はひっ迫している、ということだ。

うーん、しかし、日本の文化において、鳥獣ではないんだよな。

いま困っていることはよくわかる。
付き合い方を学ぶことと、いま過剰と思える接触をどうしたらいいかという課題とでは、後者が優先だと判断しての行動だ。

だけど、次の悪いサイクルを生み出してしまうな。

これはハマス殲滅せんめつと叫ぶイスラエルと近いものがある。ハマスを叩きすぎると、その子孫にわたってイスラエルと和解ができなくなり不信感が世代を越えて募っていく。
熊と直面する恐怖感や農作物や家屋の実害は深刻だ。その手当をしつつ、手当が新たな被害を生まないように。

熊に動く範囲を教えていく活動を長野県軽井沢では行っているという。
青森県にはマタギという暮らし方や文化があった。そこから得られる智恵があるはず。その知恵に照らせば熊を鳥獣指定することは誤った対策なのではないだろうか?

軽井沢の取組


ライフパーパス
小グループが再度編成されて、おお、一番苦手な人と同じグループになった。どうしよう・・・

一番組みたい人と、一番組みたくない人が一緒。

今日も、苦手な組みたくない人を含めたグループで話すことがあり、そのときにその人から反発を受けたように感じている私。

私はこの状況にどう取り組むだろう?


クリアにしたい欲求が高まっている。

部屋のごちゃごちゃをクリアしたい:服・書類や本や雑誌・顔のシミ
深く知りもやもやをクリアしたい:ライフパーパス、キャリコン二級技能士、書くスキルの熟達、人の意識発達や認知の探求、MBTI活用
身体のたるみをクリアしたい:身体シェイプ(腰・腿・腕・顎)
身体をうまく使いたい:身体活動・指活動(ピアノ)
人と人の間のもやもやを扱えるように:苦手な人からも学び、ともにいられること。苦手としないこと。
人と人の間の希望や温かみを扱う:大事に思うことを誰かと共有したい
社会への不満を何かの力に:神宮外苑に関して100年後も最良の選択をするために学び発信すること

段々収集がつかなくなってくる。
でも全てはこのなかに入る。私が一番苦手なのは右下だ。

インテグラルな四象限で
一人称の視点でもやもやを配置してみました

ヨコ:自分の内面 または 外面
タテ:私達(社会)の内面(文化・価値観) または 外面(制度・しくみ)

不思議とこの4つの枠に全ての問題は収まる。
私は右下の枠が苦手だ。
だけど内面の痛みをクリアにしようとすると、右下が関係してくる。
手に負えないが、無関係でない。

20231114 Tue.

朝読書会。
どうもこの4人で行うとき、おひとりのリーダーシップを取る方に居心地の悪さを感じている。

夕べの組みたくない人と似ているかもしれない。
居心地悪く感じる中身は異なるが、居心地の悪さは同じだ。

何のレッスンだろう?


4年前退職し、ほとんど人と交流が無くなり自分に何ができるかと考えたときに自分には何もないと感じた。

ゼロな自分、空っぽな自分
だから赤ちゃんからやり直そう。自分の認知から始めてみよう。

まずは自分という身体があり、体験できることのありがたさ、
それをつくづく感じた。
自分の認知の特徴を改めて認識しつつ、その素晴らしいところもはっきり認識した。

4年経つので、いま4歳とすると、だんだん周囲と関係が生まれてくる時期。
それをどう受け止め、どう返すか。自分はどうあるか。
そのあたりが課題なんだろうな。


映画『ノマドランド』
一部の人達のなかで評判になった2021年制作された映画。
こういう自由な生活も成り立つ世界になった安堵感のようなものを、その人達から感じた。
主人公の女性は、とても内省的で、真面目で向上心・独立心が高い。どこかで癒されない悲しみを抱えていてそれを抑え込んでいる。

資本主義に翻弄される人々、それが単に一日の時間の過ごし方だけでなく、何十年もかけて積み上げてきた生活基盤そのものも、資本の論理で簡単に根こそぎ意志と関係なく変えられてしまう様子が描かれている。

それでも人には自由がある。その自由な生活をノマド生活する人達は工夫して実現している。そのスタイルは人生の本質を突いてもいて、尊厳が感じられる。単なるドロップアウトではない。

後半で主人公は妹や友達の家に住むよう提案されるが、それをやんわり断りノマド生活へ戻っていく。そこには静かだけど、彼女の内面における確実な歩みがあった。しばらくはこのまま進んでいくのだろう。

こういう生き方、あり。
寂しくもあって、ちょっと強がり成分が必要。

たまに寄れる止まり木みたいな人や場所があるといいな。


サウジアラビア リアドで11日開催されたアラブ連合・イスラム協力機構合同首脳会議、57の国と地域が集まったという。元々アラブ諸国というときに57も国はない。アラブ諸国は基本17-19か国とされるが、アフリカやソ連支配下だった国、マレーシア、インドネシアなども加わり、グローバルサウスとは異なるが、多様な集団が視覚化されたことになる。

イスラエルとガザの状況に対して、エジプト・トルコはイスラエルを非難、イランのライシ大統領はアメリカのことも批判した。内実、イランは軍事武器を送り裏で動いていることもあり複雑な様相だ。イスラエルと国交を復活する方向だったサウジアラビアは、国際法違反だとイスラエルについて述べており、このまま国交回復するかどうかはわからない。

2020年9月 アブラハム合意とは一体何が確実で、何が不確実要素だったのだろう。

ダギスタン共和国?
不思議な名前・・・ダギスタン共和国でイスラエルを非難する群集が滑走路に立ち入り、空港が閉鎖されたと。カフカスとカスピ海のあたりらしいのだが何だろう。この国はアラブ連合・イスラム協力機構合同首脳会議に出席していたのだろうか。
57か国の一覧を探したい。


20231115 Wed.

夫の2枚の便箋。
結局自分がどうなのかということは言及せず。

彼にとっては〇〇家の長男、それで100%自分は占められているという。
それに丸々お付き合いしない(時間を使わない)私はフィットしない。

彼にとって長男以外の自分自身の部分があるはずと迫るが、それはないという。
(いやいや、元カノとの関係継続する自分自身がいるじゃないか)

今思い返すと、やはり婚姻届を出す際に「あっ、チェックポイントを確認していなかった・・・」と思ったことが当たったなぁと思う。
「喧嘩しても関係構築ができる相手」という条件があった。

そのときしっかり言語化できていなかったけれど、自分自身を持ち、その自分自身で相手と対峙し、ときに喧嘩をしてもそれは理解につながると思っている私。

つまり彼の自分自身と、私の自分自身がちゃんと向き合わないと思うのが私なのだ。
〇〇家の長男に、ぴったり合わせて黙って寄り添う私ではない。
彼の自分自身と、私の自分自身が向き合い、同意できることも同意できないことも踏まえたうえで関係構築されていくと思っていた。

だけど結婚後わかったことは「彼は自分自身はない」と断言するのだ。

出会って1年して結婚。
結婚後1年は不思議なほど平穏。
そこからほつれだして、2年目、3年目と実質壊れていった。

いやいやそんなことないとそれを否定し、進む余地があるのではないかと私は思っていた。
3年目、家建て替えに伴うアパート暮らしで義母との3人暮らしが一応部屋は分かれた。でも実質変わらない。夫との対話は何も進まなかった。
4年目、新しい家に入り、そこで新生活へ切り替えられるかと思ったが、むしろ疎外感を感じた。
5年目、家出した。
そこから4年経過。
いま9年目か。

夫は話すこと、言語化を嫌う人でもあった。
結婚前は苦手なんだなとは思ったけれど、徹底的に避ける人だった。むしろ言語化は価値がない、むしろ有害と思っている人。

結婚相手の条件は
「笑顔がバランスとれてる」(歪んでいない)=精神的健康さ
「お尻がある」(ぺったんこでない)=体格の健康さ
「喧嘩しても関係構築ができる相手」=マッチング、人格

だったんだよ。学生時代にこれを思いつき、我ながらなかなか的を得た条件だと自画自賛していた。
やはり外しちゃいけなかった。
婚姻届を出しに区役所へいく途上、3番目をクリアしていないと気付いたとき、一旦ストップする勇気があったらなぁ。あのとき、喧嘩にならない二人だなと半分ロマンチックに、半分なんとかなるのではと解釈していた私。甘かった。

でもその時結婚するという体験をしたい気持ちが勝ったのでしょう。
結婚においてだけでなく、知的好奇心も満たしたかった私について、夫は面倒見切れないと思ったのだろう。

お互い目論見が外れた。


少し長い距離を歩こうと思い、まだ行っていないスタバ2か所を結んで今日のコースを作ってみた。3時間弱。16時に出て、19:30開始のオンラインには間に合うだろう。

それなりに長い距離を歩くと、姿勢がしっかりしてくる。

スタバ2軒目のOne more coffeeは持ち帰りで。
かなりギリギリだったけれど、何とか間に合った。


母が電話で、今日、友達に誘われて箱根の日帰り温泉へ行ってきたと弾んだ声で教えてくれた。初めて入った温泉宿で泉質が合っていたのか、普段ある指の痛みが和らぎ、身体の温かさが長く続いていると。天気も良く、富士山も見えたと。

好奇心強く、移動が好きな母。
旅行以外に、たまにはこういう小さな転地もあっていいな。
レンタカーで実家から行ける。電車とバスでも行けるそうだ。

「とてもよかったから、あなたにもいいかと思ったわ」と。

へいへい、わかった。今度行ってみよう!

11月初めから、人と会ったり会食する予定が入ってきている。
自閉的な生活をしていた私が幼児から児童になりつつあるのかな。


クリアにしたい
人との交流が増えてる

この二つは、近頃の私の奥底を流れる通奏低音

意図をもちつつ、目的や目標にこだわらず、流れと戯れながら進みたい。
だんだんそのやり方に馴れてきたと思うから。

その瞬間は、揺れるけれど揺るがず、
楽観的に、大きな流れを信じ、一瞬一瞬喜びから行動する。


読んでくださってありがとうございました。
長すぎ・・・ですよね。引用部分が長いとはいえ。
お疲れさまでした♪ ほんとにありがとうございます。


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