校内の居場所について思うこと
先日、尊敬する方が運営されているサードプレイスで、校内の居場所カフェに関する講演会が行われました。
以下のレポートを読んでいただくと概要がわかります。重要なことを書いてくださっています。
興味のある方は、アーカイブでの視聴が可能ですのでご覧ください。
ここから先は、校内の居場所とか、フリースペースについて、私が感じていること。
今でこそ、校内の居場所、校内フリースクール、フリースペースという言葉が使われていますが、かつては「別室」と言われていましたね。
今でも、悪気なく単なる用語として「別室」という言葉が使われることはあります。
「別」という言葉選びや、そのスペースを、やむなく作っているような動き方。
それがスティグマを作っているのではないでしょうか。
予算やスペース、安全面の確保のために人の配置が必要で、それを工面するには何段階もの手続きが必要なため、スピード感のある対応が仕組み的に難しい。
こんな事情もありますが、制度がスティグマを作っているのは、なんとも悲しい。
これが家庭だったらどうでしょうか。
家庭ならば、親が子どもに、お金の工面や安全確保が必要なことを説明して、可能な方法を一緒に考えたりするかもしれません。
学校でそれができないのは何故?
お金の工面や安全確保の話は、子どもにすべきでは無いと思っているから?
子どもに別室が必要となった時には、子どもがそういう話を聞けないような心理状態だから?
もしそうだとしたら、もっと早く子どもの変化に気づいて対応したら良いし、子どもを信用して学校運営を一緒に考えたら良いのでは。
そういうと、子どもの考え方も様々だし、先生方は指導要領をこなすのに精一杯。
そんな言葉が返って来そう。
では、どうしたら良いのでしょうか。
答えはすぐには見つかりませんが、答えの見つからない難しさを抱えたまま「学校」が続いているという現実を、一人一人が認識すること。
その現実を他人事とせずに考えてゆくことが必要。
私はそう思っていて、そこにともに立てる人と出会い、語り合うことを今、大切にしています。
ひとり一人に合った教育環境の実現を目指します。