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月の裏側(1)

「地球の裏側ってどうなってんだろ」

そう哲学者のように、狩野さんはベランダの手すりにもたれかかって月を眺めながら言った。
まるで、僕の頭の中に浮かんだ疑問が間違いであるかのように、堂々としていて、そしてカッコ良かった。

「あ!それを言うなら、月の裏側か!」

あははは
狩野さんは自分の失敗を笑い飛ばし、そして、真面目な顔になった。

「見えないってわかっているからこそ、見たくなるよな。これは人間のサガなのかも知れない」

狩野さんは僕を見つめた。

僕は笑うことで狩野さんから目を逸らした。
何か見透かされているようで怖かったから。

僕と狩野さんはビジネスパートナーとしてここ1年ほど密な時間を過ごしてきた。

表向きは。

裏では、僕は狩野さんを恨んでいた。

僕の大切な人を自殺に追い込んだからだ。

当時僕は高校生で、なす術がなかった。
しかも、僕達のことはお互い周囲にはほとんど秘密だったから、僕には何の情報も入ってこなかった。

突然彼から連絡が途絶えた。
何が起きたのか?
僕は捨てられたのか?
気が狂いそうになった1週間後、すがる思いで電話をかけると、電話が繋がった。

出たのは、彼の母親だった。

「孝介は亡くなったんです」

短い言葉だった。

そんな訳はないと、二人でよく行った喫茶店に行くと、僕の姿を見てマスターが手紙を渡してくれた。
孝介に、僕がきたら渡して欲しいと頼まれたのだという。

『晶へ
ごめんな。俺は弱い人間だ。晶を置いて先にこの世を去る俺を許してくれ。楽しかったよ。笑顔の晶が大好きだったよ』

自殺だったのか。
職場内で何か悩んでいることがあるとは言っていた。
でも、僕には多くを語らなかった。僕といる時は特別な時間にしたかった思いはわかっていたので、何も言わなかった。 

なぜ、もっと聞いてあげなかったのか。
なぜ、もっと寄り添ってあげなかったのか。

僕達はパートナーだったのに。

僕はその場で泣き崩れた。
「狩野って人が俺にだけ厳しくてさ、きついんだよね」
泣きながら必死に手繰り寄せた記憶の中から、何度か出た『狩野』という人物の事を思い出した。

狩野
お前のせいで孝介は死んだんだ。
僕の大切な人を突然取り上げたんだ。

僕は狩野という人を恨み、そのうちその恨みが生きる糧になった。
高校生ながら狩野のことを調べ上げ、大学を出た僕は、独立した狩野に近づきビジネスパートナーにまでになった。

あともう少し、あともう少しで復讐できる。
僕は巧妙に計画を遂行していた。

だけど、計算が狂う事があった。
狩野は、僕に対してはとてもいい人だったからだ。

いつの間にか「狩野さん」とさん付けになってしまうほどに。

仕事には真摯に向かう。
奥さんを大切にしている。
お金はクリーンにしている。
そして、常に未来を見ていた。

そんな狩野さんに出会う度に

表向きは真摯でも、裏ではきっと酷いことをしているに違いない。
奥さんのことだって裏ではDVをしてるんだ。
お金だって、誰かを騙したお金なんだ。
未来を見るふりをして、過去を捨てただけなのかも知れない。

だって、僕の大切な孝介を奪った狩野だから。

そう思い込んできた。
思い込んできたのに。

僕は今、狩野さんに呼び出され、コーヒーを溢しそうになっている。

なぜ?

狩野さんが、自分は難病を抱えていて、じきに身体が思うように動かなくなるから僕に会社を任せたいと告げてきたからだ。

実は、巧妙に綿密に計画を立ててきたのは、狩野に借金を負わせて、この会社を奪い取るためだった。
それが向こうから差し出して来るなんて。

おかしい。
それでは何の復讐にもならない。
僕は慌てた。
それではここ数年、僕が何のために生きているのかわからない。
じゃあ、この話をにべも無く断ってやろうか。いや、一度話を引き受けて、会社を倒産させてやろうか。
ちょっと待って?体が動かなくなる難病って何だ?これから狩野さんはどうなっていくんだ?
色々なことが頭の中をぐるぐる駆け巡っていた。

「びっくりさせてごめんな。
でも、俺の判断がしっかりしているうちに、俺が信頼する人に会社を任せたかった。晶、この話受けてくれないか」

狩野さんは、僕をまっすぐに見つめ、そう語りかけた。
狩野さんの真面目で真摯な表情が、僕は好きだった。あこがれていた。

そう、僕は狩野さんにあこがれてしまっていた。
僕の大切な孝介を殺した狩野
僕のあこがれの狩野さん
自分自身、どちらを信じて良いのか分からなくなるくらい、僕は狩野さんに憧れていた。

「……わかりました」

僕は、狩野さんをぼーっと見つめながらつられるように言葉を発していた。
発してから『復讐はどうするんだよ!』と自分にツッコミを入れていて、相変わらず頭の中は混乱していた。

「良かったあ…」

狩野さんが、本当に安心しきった声でそう言った後、目頭を抑えた。
肩が震えて、泣いているんだと分かった。

「安心したらごめん…なんか、泣けてきちゃって情けねえな。晶…俺、怖いんだ。俺の病気、体の自由が少しずつ失われていくんだ。俺の身に起きている事が怖くて仕方ない。俺は人殺しのくせに、病気が怖いんだ。弱いな。かっこ悪いな。だめだな」

ひとごろし

僕はどきりとした。

「ひと……ごろし?」

思わず呟いた単語に、狩野さんの表情が変わるのがわかった。

「井上…井上孝介のことだよ。晶」
(つづく)

あとがき
中秋の名月を見ていたら、月の裏側という言葉が頭から離れず、今回のお話を思いつきました。
今回は、完全オリジナルです。

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