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触れる温度、触れない体温1〜配信シングル「体温」より〜

洗濯したデニムを干そうとしたら、手に白い砂が付いてきた。
まるで『忘れないで』そう言われているように、唐突に俺の前に現れた。

「夢じゃなかったんだな」

あの日の出来事があまりにも今の現実と離れすぎていて、夢だったんじゃないだろうか、そう思う時もあった。

手に付いた白い砂が、容易にあの広い空、広い青の世界、波の音を連れてきて、思い出すのは景色だけではなく、景色に溶けてしまいそうなあの人の笑顔。

「もう会えないんだろうな」

そう呟いて、俺は砂を払った。

上を見上げると、建物の隙間から覗く狭い空。
さっきまで自分のそばにいた波の音は聞こえなくなっていた。

⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂

「先生、お昼休憩行かないんですか?」

俺は我に帰る。

そうか、もうお昼を過ぎているのか。
外来の日は目まぐるしく、1日100人以上の患者さんを捌かないといけない。
ゆっくり話を聞いてあげたくてもそんな暇はなく、次々と現れる様々な病気を持つ患者さんに今行える最善の治療法を提示していく。

内科の医師である自分は何人もの病気の人を見てきた。
そう、病を持つ人。
俺が見る人たちの前には必ず病名が立ちはだかっていて、俺はいつの間にか、診察に来る人を
『病気の人』としか、見れなくなっていた。

それがとても嫌だった。
そうやって行き詰まると、俺は必ず一人旅に出た。
勤務医として昼も夜もなく忙しく働いているので、そんなに長い休みは取れないが、2泊3日程度の旅に、よく出かけた。
旅が悩みを解決してくれるわけはないが、何か少しでもリセットしたい。医師の自分から逃れたい。ただそれだけだったので、旅先はどこでも構わなかった。

そんな動機で今回は南の島に足を伸ばしていた。

ちょうど夏祭りが行われていて、俺は見物人に混じって祭りを楽しんでいた。

「誰かー!」
人々の悲鳴とともに、助けを呼ぶ声が聞こえた。
声の方を見ると、男性が道端に倒れていて、女性が一人何やら話しかけていた。

「聞こえますか!聞こえますか!大丈夫ですか!!」

俺はただならぬ様子に慌てて駆けつける。

「何があったんです?」

「わかりません。私が見た時にはもうこの方倒れていて」

慣れた手つきで脈をとる姿に、医療者なのだろうと思った。

「俺は内科の医師です。見たところ、呼吸も、脈もないね」
「はい。ありません」

女性の言葉を皮切りに俺は行動に移す。
俺は心臓マッサージを行い、彼女は周囲の人に協力を依頼し、救急隊の手配と、周囲の人払いをお願いした。
AEDはなかったので、2人で交代しながら救急隊の到着を待った。

人混みの中から「お父さん!」と叫ぶ男性が飛び込んできたと同時に、倒れていた男性は呼吸を再開した。しばらくしてドクターヘリがヘリポートに到着するというので、消防団の車に2人で同乗し、ドクターヘリのスタッフにバトンタッチをした。

「はあ……」

隣で女性が息を吐いた。
よく見ると、身体がカタカタ震えていた。

「よかった…あははは、でも体の震えが止まらない。こんな街中で初めて心マ(心臓マッサージ)しました」

笑いながらも、彼女は震えが止まらず、座り込んでしまった。
見ると、俺もカタカタ震えていた。
病院でもいつも死を近くに感じて仕事をしているが、こうやって街中で突然出会うことは俺も初めてだった。

「見て、俺もですよ」

そう言って2人で笑い合って、へたり込んだ。

消防団の車に乗って帰ってきた俺たちを、周囲の人たちがお礼にと、見ず知らずの俺たちにお酒やら食べ物やら振舞って、そのまま俺たちを中心に宴会が始まった。

賑やかだったが、くすぐったくて、少し居心地が悪く、隣を見ると彼女も同じようで、困った笑顔を振りまいていた。

「少し出ようか?」

俺は何となく彼女を誘ってその場を離れた。

2人で太陽が照りつける道を並んでゆっくり歩く。

「いいのかな?私たち抜けちゃって」
「きっと、俺たちがいなくても気づいてないよ」

きっとそうだね、と2人で笑い合った。

「内科の…先生なんですね?」
「あ、はい。そちらは、看護師さん?」
「よくわかりましたね」
「手つき、慣れてたから」
「まさかここで、仕事力発揮することになるとは思わなかったです」
「俺も。むしろ、そこから逃げてきたのに」

自分の弱い本音をついしゃべってしまって、俺はしまった!と思ったが、彼女は意に介さず歩き続けてくれた。

「私もね、逃げてきたの」

少し先をいく彼女が振り向き、笑顔でポツリと返してきてくれた。

何から逃げてきたのか、それはわからなかったけれど、今はそれを聞いてはいけない。
そう思った。

「お互い逃げてきたのに、医療者の性って怖いねえ!」
そう言って俺は、大きな声で笑った。

2人であてもなく歩いているうちに、ビーチにたどり着き、そのまま肩を並べて2人で座る。

「私、かえでっていいます。あの、葉っぱの、楓」
そうか、自己紹介もしていなかったんだな。
「俺は、きょういちです。響く一で、響一」

自己紹介をした後は、なんとなく自分の身の上話をした。
自分は東京の病院で勤務医をしていること、楓さんは千葉で看護師をしていること。
お互い一人暮らしで、実家では犬を飼っていること。好きな食べ物や好きなお笑いの話など取り留めのない話をした。

不思議と楓さんとの時間は穏やかで、頬を撫でる海風でさえもくすぐったくなるように心が温かくなった。

「今日はどこに泊まるの?」
「あ、少し離れた島に宿を取ってるんです」
「俺は本島まで帰る予定」
「え?だいじょうぶですか?」
「何が?」
「本島まで帰るなら船の時間」
「あ!」

そう思った時、遠くから人が「おーい」と言いながら近づいてきた。

「お二人さん!船、出ちゃったよーー!!宿、違う島で取ってんだろ?どーする??うち、ちっちゃい島すぎて、宿なんてねえぞーー!!」

「うそでしよ?!私も?!」

帰りの船の時間なんてすっかり忘れていた。時間の感覚がなくなっていた。
2人揃って宿無しになってしまったのだ。

あとがき
これは、松下洸平さんの10/19配信のシングル「体温」より、インスパイアされたものです。
ひと夏の出会いと別れを描いていて、その世界観を私なりにお話にしてみました。
今回は出会いを書きました。
少し続きますが、お付き合いいただければと思います。

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