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「勇気づけ」は愛だと思う

アドラー心理学には「勇気づけ」という技法がある。

技法と書いたが、勇気づけはテクニックではない。
「スキルであり理論である」と
アドラーのお弟子さんは表してたけど、
だと思う。

そこにあるものに光を当てる、
当たり前だと見過ごしてしまいそうなものに価値を見出そうとする、
それは意識すれば誰でも持ちうるけれど、
意識しない限り気づけることのない、人の心の運動だと思う。

アドラーは、仕事の悩みも生き方の悩みも
「結局は全て対人関係の問題」と表した。

人が人生の問題から逃げてしまう時、
周りに不適切な態度をとってしまう時、
それは本人の能力や性格の問題ではなく
ただ、「勇気」が足りていないだけなのだと。

なんてシンプルで、
人間の可能性を愛した考え方なのだろう。

アドラーを最初に知った頃、
「勇気」という言葉がドラゴンボールの孫悟空あたりが持ってるイメージで、なんかヘンな感じがした。

でも、今は「勇気」って言葉がいいなと思う。
自己信頼とも自尊心ともいえるけど、そうではなく「気」。
「気」ならば、伝えられるし伝染させられるし受け取ることもできる。

「気」だから、周りと影響し合っている。

対人関係の問題は、つまるところ
周りの人とどうつながっているか、
周りの人との間で自分はどんななのか、
と考えれば、
自分と周りの人とのつながり方に答えはある。

勇気なら、努力も才能も関係ない。

自分で出すか出さないかを決めるだけで、
足らなければもらうこともできるし、
自分が与えることだってできる。

本当の勇気づけはたぶん、
「勇気づけてやろう」とは思っていない時、
相手の感情を操作しようという下心なく、

ただ
あなたの存在が、私と世界にとって意味がある

という想いが「気」として伝わった時に、
それが相手にとって「勇気」となるのだろう。

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