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葛藤ではなく補完と考える

アドラー心理学の
”人の心に矛盾や葛藤はない”という「全体論」の考え方は
"人の行動には全て目的がある"(目的論)
に比べると地味?な印象だが、
すごく好きな考え方だ。

これ以上に力強い
自己肯定の言葉があるだろうか。

たとえば対人恐怖症や神経症などの体の症状も、
それ自体が「問題」だとは捉えない。
その人にとっては必要なものだったから
存在してるのであって、
それさえ排除すれば解決するとは考えない。

感情も同じ。
怒りや恐怖など、ネガティブな感情は
時に排除すべきもののように感じるけれど、
それは自分を邪魔しているのではなく
むしろ自分にとって必要なものだから
存在しているのだと考える。

人に「必要がない」ものなんて、
何1つない。

アドラーは、
意識も無意識も、理性も感情も、体も心も、
全てその人の命の表現の1つに過ぎず、
何か1つが突出して自分を突き動かすわけでも
どこかに葛藤があるわけでもなく、
全てが補い合って同じ目的に向かっていると
人間を理解した。

やりたくてもできない、
穏やかでいたいのに怒ってしまう、
こんな矛盾すら
"葛藤"ではなく"補完"関係なのだと。

ならば、
なぜそれは自分にとって必要なのか、
それとどうやって付き合っていくか、
自分を理解し上手に付き合うことこそ
最善なのではないだろうか。

自分にあるものを「なくそう」とするのではなく、
全て必要なものだと受け入れ、
自分とうまく付き合っていく。

それが「自分を受け入れる」
ということだと思う。

良いも悪いもない、
ただ「ある」ということを認めて、
「それが自分」なのだと
そんな自分とどうしたら上手く付き合っていけるか
自分と手を取り合ってく覚悟を持つ。

「ありのままの自分を認める」
というのは
”できないままでもいい”と意地を張るのでもなく、
”やりたくないからやらない”と逃げるのでもなく、

ただ
できない自分に対して感情的に咎めないこと、
やりたくないと感じる不快さを受け入れること、
「今」の自分を変えようとしない姿勢をいうのだと思う。

そこから、見えることがある。
そこからしか、始まらないことがある。

問題だと排除しようとしていたものを受け入れることは
「変えよう」としていたものを「変えない」ことにした、
自分自身の方向の「変化」だ。

その変化は、大きい。
その変化を心理療法では「自己受容」という。

逆説的のようだが、
自分を縛っているものを受け入れた時、
呪縛は解かれて、自分らしさを取り戻すのだ。

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