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青の世界

地球は青かった。
たくさんの人が一度は、ガガリーンの真似をして、この言葉を口にしたことがあるに違いない。
ジュアー。ジュアー。
コロン。カラン。
私の目の前に広がる世界は、いつもよりも少しイビツで、眩しいほど青い。
郷愁漂う神社とたくさんの出店。
いつもならオレンジ色に染まる時間。
私だけの青い世界。

いつからだろう。この甘味を、ねちっこいと思うようなったのは。
昔は、この入れ物が好きだった。
何かのキャラクターの顔みたいで、小さな宝石を忍ばせている。
この甘味もやさしく爆発するような感じも、その全てが好きだった。
それはきっと、私が心から笑えていた時代。

あの頃は、毎年夏に仲の良かった友達と連れ立って地元のお祭りに行っていた。
おこづかいは、五百円。無くさないように強く握りしめて、私の手は鉄くさかった。
お祭り会場で決まって私は、ラムネを買った。その瓶を、メガネのように目に当てて、周りを見渡すのが好きだった。
青くなった世界は、涼しげで、氷河みたいで宇宙みたいで、とってもキレイだった。
私は、夏のラムネが好きだった。

あの頃、私は無条件に特別だった。いつか、君は選ばれし勇者なんだって誰かが迎えに来る、変身の掛け声と決め台詞で世界を救うヒーローに変身できる、私は本気でそう信じていた。
きっと、私が特別じゃなくなったのと同時に、私はラムネの甘味を嫌いになったんだ。

黄昏に染まる仕事帰り。
通りかかった神社から、太鼓と鉦と笛の軽快なリズム、祭りばやしの音がする。
私は、神社のお祭りで久々にラムネを買った。
ザク。ジャクジャクジャク。
氷水のプールの中から出てきたそれは、私の記憶の中のそれと何ひとつ変わらなかった。
子供の頃の私をまねて、ラムネの瓶を通して世界を眺める。
カラン。
「ひゃっ」思っていたよりも冷たい。
ラムネ瓶を通してみる世界は、相も変わらず真っ青だ。

しばらくの間、私は懐かしい感覚に夢中になっていた。
「ねぇ、お姉ちゃん」
突然、幼い声が私を呼ぶ。
私の青い世界で、浴衣を着た女の子が笑顔で私の瞳を覗いていた。
いつから見てたんだろう。
驚いて呆然としていると、今の自分の姿が急に恥ずかしくなった。
いい大人がラムネ瓶をメガネにして、祭り会場を眺めているなんて。
私がラムネ瓶を外そうとすると、彼女は「ちょっと待って」っと私の手を止めた。
彼女の少女の手は、私の大人の手の半分くらいだった。
「お姉さんも、魔法のメガネするんだね。キレイだよね、魔法のメガネ」彼女の笑顔に、迷いは、汚れは一切なかった。
「そうね。だいぶ久しぶりなんだけど」
魔法のメガネか。
確かにそうね。このラムネ瓶は、魔法のメガネなのかもしれない。その歪みが光を反射させて、その青さが幻想的に世界を、ネモフィラのようなやさしい青に染める。世界が美しくなる。

いつからだろう。
心から笑えなくなったのは。
私が特別じゃなくなったのは。
きっと、月日が私を変えたんだ。
「大人になる」
そんなのただのメッキ。
本当は、成長って無情なのよ。
「いつまで夢なんて見てるの」
「イタいやつ」
みんなが私を、ナイフで刺すの。
ひとつひとつは、ペティナイフよ。でも、同じ傷口を何度もえぐられて、いつかは致命傷になっちゃうの。

「ちょっとー、おねーさん」
「あ、ごめんごめん。ちょっと、ぼーっとしてた」
「お姉さんさぁ、何かあった?」
「私、ヒーローだから相談に乗ってあげるよ」
彼女は、目を輝かせて、でも心配そうに言った。
「お姉さん。ヒミツ知りたい?」彼女の瞳が、ラムネの瓶の中のガラス玉のようにキラキラと輝く。
「ヒミツ?」
「うん。ヒミツ」
「私ね、知ってるんだ。本当はね、みんな特別なんだよ」
「え?」
「お姉さんだって。背が高くて、すらっとしてて、可愛いネックレスをつけてて、魔法のメガネを知ってる。私にとって、お姉さんは特別」彼女はまっすぐ私を見据える。
「ありがとう」私は純粋にうれしかった。
私にとって「特別」は、選ばれし勇者とかヒーローとか、みんなが認める人のことだった。
でも、違ったんだ。
誰かひとりの特別になれればそれでいい。
こんな小さい子に教えられるなんて。

「このラムネ…」魔法のメガネを外し、お礼にあげようとすると、彼女はもういなかった。

大好きだったラムネの瓶越しの青い世界。
その中にいた、浴衣の女の子。
プシュ。
ジュアー。ジュアー。
コロン。カラン。
私は、久しぶりにラムネを飲んだ。
やっぱり甘ったるい。
でも嫌な感じはしない。

夕暮れの帰路。
さっきまでは持っていなかった、魔法のメガネを携えて、私はひとり家に帰る。

「帰りにラムネの酎ハイでも買って帰るかな」

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