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050 サークルゲームを続けて

21歳の誕生日

11.25は、20歳最後の日。

去年の投稿を書いているときにも思い出されたが、2歳上の友人の、「20歳越えたら下り坂」という言葉に震える、午前10:37の電車内である。

 たしかに、年齢としての21歳というのは、彼の言っていた通り、今までの誕生日に比べれば心躍るものではないかもしれない。区切りも悪ければ、特段なにかがあるわけでない。まあ、去年が一大イベントすぎただけだとは思うが。

 ちなみに、27歳と4ヶ月と16日は、生まれて10,000日目らしい。1,10,100,1000日目は、3歳までで通過する。桁が上がる最後の年が、これらしい。せっかくだから、忘れずにいたい。


自分中心、半径年齢の、円

 20歳としての一年間を思い返す。すべてを語ることはできないが、とにもかくにも、人脈に恵まれた、翻弄された年であったなと思う。

 自分を中心とする交友関係も広がり、彼らと出かける先の距離もどんどん増していった。

 地元の友達の定期演奏会、サークルの同期とコスモパニックに乗ったり、いつもの同じ学部の人達とは、12.24に東京ドイツ村。誕生日近くということで、桜の盆栽のプレゼントをもらいました。
今年も咲くといいな。

 そして成人式、

あ、そのすぐ1週間後には、ドイツ村の彼らと、大阪旅行に行っている。成人式の思い出よりも、濃くて深い。初日の夜に、お酒で大失敗した話は、古典として、塾の生徒にいまだに話している。回数をかさねるごとに話もうまくなるから、評判は良い。

ここまででまだ2か月分の思い出である。これ以上語っても仕方がないので、2月ー3月の、オンラインインターンシッププログラム(またの名を、惨劇、メンタルトレーニングプログラム)の話は、知人にだけ話し続けることにしよう。


尊敬の正体

 所属団体と、アルバイト先の話になりがちなのは、ご容赦いただきたいのだが、後輩たちとの関りが特に強かったここ最近であると感じる。

 よく、後輩・同輩たちから誉めの言葉をもらうことがある。
 私は、人から自分の考え方を褒められると特に嬉しい。

 年上って、年下から見たら、すごいって思われるのが当然で、むしろそうあるべきだと最近思うんです。スゴイって思われないなら、じゃあ、なんで人より長く生きてるんだ?って話だと思うんです。みんなから見て俺はスゴイって思ってくれる人もいるけど、人生経験が増えれば、自然と考え方とかはpolishされていくよ~と伝えたい。

もちろんその言葉たちはとても嬉しい!
自尊心上がりまくるから嬉しい。

 その人の経歴や、現在の肩書だけを聞くと、たしかに、スゴイなあ~って思うことはあるかもしれませんが、時間が過ぎゆく中で、その時その時にやるべきことをするんです。Step by Stepで進んでいけばいいんです。

ただの経験値の差ですから。人に抱く尊敬の念って。自分も必ずそうなれるはずだ、という自信を持ってこの先も生きていきたい。

 この考えを持っているからこそ、年上から誉められることにめっぽう弱い。昨日なんて、50歳近くのゼミの先生に、
「君は、50のおっさんが考えるようなことを20で考えられてるよ、すごいよお」って言われてめちゃくちゃ嬉しかったんですから。

 まあ、結局のところは自惚れないように自制する考えでもあるけどね。


廻る遊びからいち抜けて

 これで最後のテーマにしよう。

 本来は、オンデマンド授業を消化してから、これを書こうと考えていたのだが、16:30から、子どもたちに会いに行かなければならない。優先すべきは、まず、これを完成させることだ(え?)

 塾の後輩が言っていたのを盗み聞きしたのだが、「私たちはプリキュアだから。生徒の前では変身するようなもんだから。」と

 なるほど、言い得て妙であると思ったのを思い出したので、これも共有させてもらう。


 ただの思い出話というか、事実の報告というか、なんというか、ここ1週間で、人と人との関係が近づいたり遠のいたり、といった話を聞くことが5件あった。

・同じ授業をとっている異性のことが気になるという先輩
・年上彼氏とギクシャクしているという同級生
・私が共通の知人である、カップルのいざこざ
・同じ団体の後輩に長らく片思いをしていたという先輩
・同じ人のことを気になってしまった友達たち

 正直、なぜこうも連続して自分の”サークル”内で、いろいろ起こるのだろうと、不可解に思っていた時期である。ことばにならないくすぶった気持ちだけはある。

 じゃあ、お前はどうなんだ?と聞かれると、
「んー、それはまあいいじゃない('ω')」といった具合に、春日みたいな返答をしたくなる。ずるいのは百も承知だ。ヘッ!

 彼(女)ら皆、私になにかしらの報告というか、連絡というか、相談をしてくれる。信頼されている気がして嬉しい気持ちが半分、悲しい話を聞くと、悲しい気持ちになる。

 小泉構文のようになってしまった。


”えん”の重なり


一人一人が中心の点となり、半径を様々な要素でもって広げ、時には縮めて、その円がたまたま重なるところに、人と人との縁が生まれ、その円(縁)は、時間と共にどこへ行くのか、どう大きさを変えていくかは、環境に任せるところも多い気がする。時はぐるぐる。

まるで台風のよう。

彼(女)らの話を聞く中で、
「これが同い年どうしならこうはならなかったのかなあ」
「この時期じゃなければ、そんな話は生まれないんだろうなあ」
「片方にパートナーがいたのが、もう少し前だったらなあ」
「出会いがもっと遅ければなあ」

などと余計に考えてしまう。

毎年思っていることではあるが、どこに縁が転がっているかは予想がつかないし、自分の円の大きさは計り知れない。あれ、ちょっと半径を大きくしすぎた?

とにかく、訪れた縁は大切にしていきたいなと思っている次第である。

これからも、サークルゲームを続けていこう。

来年もこのnoteが続いていますように。

おしまい。


〈今日の一言〉
「縁」と「円」を思いついたの、ベタなやつなんだろうけど我ながら感動したよ(*'▽')


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