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詩の編み目ほどき⑧ 三好達治「昼」

三好達治の詩を読み解く連作、今回は昭和4年3月『詩と詩論』に初出で、詩集『測量船』に収まる「昼」を取り上げる。先ずは全文を掲げる。 

                   
                     三好達治
 
別離の心は反つて不思議に恋の逢瀬に似て、あわただしくほのかに苦がい。行くものはいそいそとして仮そめの勇気を整へ、とどまる者はせんなく煙草を燻ゆらせる束の間に、ふと何かその身の愚かさを知る。
 彼女を乗せた乗合馬車が、風景の遠くの方へ一直線に、彼女と彼女の小さな手携げ行李と、二つの風呂敷包みとを伴れてゆく。それの浅葱のカーテンにさらさらと木洩れ日が流れて滑り、その中を蹄鉄がかはるがはる鮎のやうに光る。ふつと、まるでみんなが、馭者も馬も、たよりない鳥のやうな運命に思はれる。さやうなら、さやうなら、彼女の部屋の水色の窓は、静かに残されて開いてゐる。
 河原に沿うて、並木のある畑の中の街道を、馬車はもう遠く山襞に隠れてしまつた。そして、それはもうすぐ、あのここからは見えない白い橋を、その橋板を朗らかに轟かせて、風の中を渡つて走るだらう。すべてが青く澄み渡つた正午だ。そして、私の前を白い矮鶏 ( ちやぼ )  の一列が石垣にそつて歩いてゐる。ああ時間がこんなにはつきりと見える! 私は侘しくて、紅い林檎を買つた。

三好達治 詩集『測量船』所収

💠 明治39年の夏、達治6歳の出来事

三好達治は、虚構から詩を構成する詩人ではなかった。処女詩集『測量船』は、「村」や「鴉」など小説的描写の趣を持つ詩もあって、フランスの象徴派詩人たちの表現方法に刺激されているのは確かだが、詩の主題の展開においては、自分の実体験からの場面設定、という制約に留まろうとした詩人だと思う。

私は、明治39年夏、達治6歳のとき養子として出された出来事が、今回取り上げた「昼」という詩において背景になっていると考える。
この出来事が与えた影響については、以前の記事「詩の編み目ほどき⑤ 三好達治《昼の月》」でも、昭和9年7月刊行『閒花集』所収の詩「晝 ( ひる ) の月」(1934(昭和9)年4月「世紀 創刊号」初出 ) を取り上げ、明治39年の夏、達治6歳のとき、父の知人である京都府舞鶴の佐谷彦蔵・はつ夫妻に養子として出された出来事が、背景に隠れていると解釈した。

 晝 ( ひる ) の月     
                        三好達治
 ―― この書物を閉ぢて 私はそれを膝に置く
 人生 既に半ばを讀み了( おわ ) つたこの書物に就て ……私は指を組む
 枯木立の間 蕭條と風の吹くところ 行手に浮んだ晝の月 ああ
 あの橇 (そり) に乘つて 私の殘りの日よ 單純の道を行かう 父の許へ

💠 去ってゆく彼女とは?

私がそう感じる表現を以下、挙げてゆく。

「行くものはいそいそとして仮そめの勇気を整へ」

という表現に、他家へ出てゆく少年の心が映っているのを感じる。つまり、この詩の乗合馬車でゆく彼女に、三好達治は自身の心を描いているのではないかと思う。
どこか遠くへ去ってゆく者を自身の分身とは見られないように女性に変え、なおかつ見送る側の視点でこの詩を構成している。
創作の動かしがたい動機の一つでありながら、真正面からは語りたくない出来事、それが幼い日の養子行きであったと思う。

「とどまる者はせんなく煙草を燻ゆらせる束の間に、ふと何かその身の愚かさを知る」

これは息子の養子行きを決めた父の複雑な心情ではないのか。養子行きの出来事から二十数年のはるかな歳月が過ぎて、明治39年夏の6歳の自分が家を去る情景を俯瞰することが出来たのだろう。そのときの親の心情を見ているのだろうと推測する。

「ふつと、まるでみんなが、馭者も馬も、たよりない鳥のやうな運命に思はれる。」

養子行きの出来事について語った達治の文章『暮春記』の次の一節に、上に抜き出した表現の源にある、と言えるような感情が書かれている。

さうして私の眼には、私の身のまはり、私の棲居や家族の者が、私にとつて魅力もなく希望もない、退屈なもの、つまらないもの、變によそよそしいものに思へた。眼の前の父の顏も、何か間遠いものに見えた。今のさきまで一緒に遊んでゐた兄弟達も、たまたま路傍で邂ぐり會つた半日の遊び友達、そんな風なものとしか思へなかつた。母もやはり私の心を惹かなかつた。私はそんな孤獨な氣持を覺えたのに、泣き出さうともしなかつた。私は家を出る時も、汽車に乘る時も泣かなかつた。泣かなかつたばかりではない、私は子供心にも、私がそんな旅立ちを、いつからともなく待つてゐた、永い間待つてゐた、さうだその時が、つひに來たのだ、そんな風な明るい氣持にさへもなつてゐた。

三好達治『暮春記』より

「別離の心は反つて不思議に恋の逢瀬に似て」

という「昼」の冒頭の表現は、反証的にこの別離が恋にまつわるものではないことを明らかにしている。ではどういう別離の思いなのかに考えを深めたとき浮かんで来るのもまた上に引いた『暮春記』抜粋部分の、

「私がそんな旅立ちを、いつからともなく待つてゐた、永い間待つてゐた、さうだその時が、つひに來たのだ、そんな風な明るい氣持にさへもなつてゐた。」

という一節である。「昼」の冒頭の表現は、この感情を言葉を変えて言っているように思えて来る。

💠 師・萩原朔太郎の『純情小曲集』にも出て来る《水色の窓》

「さやうなら、さやうなら、彼女の部屋の水色の窓は、静かに残されて開いてゐる。」

大正14年8月12日刊行の『純情小曲集』所収の「旅上」に《みづいろの窓》という表現が出て来る。達治は大正12年 ( 達治23歳 ) 以降、萩原朔太郎に魅了されているから、詩集『純情小曲集』も貪り読んだことは間違いない。「昼」は、昭和4年3月『詩と詩論』に発表している。
朔太郎の「旅上」にある《みづいろの窓》は車窓であり、達治の「昼」で描かれた部屋の《水色の窓》とは異なる。しかし、窓から見える風景が象徴している夢見心地な想念は共通しているだろう。
文芸作品の創作を日常的に行っている方なら思い当たられると思うが、心酔している文学者の作品の、何気なく見える名詞が脳中にあって、自分の書く作品に紛れ込ませ置いてしまうことがあるものだ。
凝った形容、独特な言い回しなどは、模倣になるため警戒するのだが、ごく普通のことばにはその警戒がない。耽読した作品の片言を、自分流にアレンジして持ち込むのはむしろ喜びといっていいものだ。
達治の《水色の窓》は、朔太郎の《みづいろの窓》に通ずる、そういう雰囲気を持つ。

そして「さやうなら、さやうなら、」は、見送る者の気持ちを語る言辞でありながら、同時に去ってゆく彼女の気持ちにも重なっているだろうと思う。ふと、同じ『測量船』所収の詩「「乳母車」の次の表現を思い起こす。

「母よ 私の乳母車を押せ
泣きぬれる夕陽にむかつて
轔々と私の乳母車を押せ」 ( 抜粋「乳母車」の一連 )

語り手は、乳母車を押す母を見ている者だと思い読んでゆくうちに、突然、乳母車の中の乳児になり替わり、《私の乳母車を押せ》と言うのだ。
この手法と同じと私には感じられる。
彼女の部屋の水色の窓は》の部分には、私の部屋の水色の窓は、と読み替えてみる作用が自然に働く。そうすると見送る者の言葉ではなく、去ってゆく彼女=つまり達治自身、の発した言葉と受け取れるのである。

  旅上
                萩原朔太郎 
  ふらんすへ行きたしと思へども
  ふらんすはあまりに遠し
  せめては新しき背廣をきて
  きままなる旅にいでてみん。
  汽車が山道をゆくとき
  みづいろの窓によりかかりて
  われひとりうれしきことをおもはむ
  五月の朝のしののめ
  うら若草のもえいづる心まかせに。

詩集『純情小曲集』より

💠 見える時間という感覚

「ああ時間がこんなにはつきりと見える!」

昭和19年6月刊行の詩集『花匡』に、美しいものがまたたく間にさりゆく宿命を、花の命に見て取って、ため息をこぼしている詩「かよわい花」がある。「昼」で達治が、はっきり見える、と嘆いたのも、自ら選ばざるを得なかった出来事に宿命というものを、鋭敏にも感じ取ってしまう感性ゆえのことだっただろう。

かよわい花
                  三好達治

かよわい花です
もろげな花です
はかない花の命です
朝さく花の朝がほは
昼にはしぼんでしまひます
昼さく花の昼がほは
夕方しぼんでしまひます
みんな短い命です
けれども時間を守ります
さうしてさつさと帰ります
どこかへ帰つてしまひます

三好達治『花匡』より「かよわい花」全文

💠 紅い林檎とは?

「私は侘しくて、紅い林檎を買つた。」

達治晩年、1962 ( 昭和37 ) 年刊行の『定本三好達治全詩集』のうちの、「百たびののち」という小題にまとめられた詩篇の一編に「故郷の柳」がある。
その詩の中に《林檎》の言葉が出て来る。特に思い入れの強い比喩とは思えないが、香りを味わう優しい果実としての林檎のイメージを、達治が持っていたことを思わせるだろう。

「故郷の柳」※部分抜粋
                      三好達治 
それらの友はどうしたか
甘い林檎の香のやうな
その日の友もおほかたは
故郷にすまずなりました

三好達治「故郷の柳」部分


               令和5年9月       瀬戸風  凪
                                                                                                   setokaze nagi

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