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ワタクシ流☆絵解き館その194「白馬賞」青木繁・幻の受賞作品へのアプローチ④⇒「唯須羅婆拘楼須那」

明治36年の第8回白馬会展。ここで「白馬賞」を受賞し、青木繁の名は世に出た。                           
出品した15点の作品は、従来の絵画にない斬新な着想のものだった(と記録にある)。しかし今日に伝わるのは3作品のみで、あとは全く詳しい内容も所在も不明。その伝わらない作品を探る第四回目。
若くして周囲が舌を巻くほどの広範な知識を持っていた天才画家の発想を、ただ作品目録に残るタイトルから追うのは不可能であろうが、せめて、こんな世界を描いたという辺りを素人なりにさまよってみたい。
浅学の身で拾い集めた知識での解釈であることと、また今回の解釈はたいへん難解な分野なので、浅薄な説明にしかなっていないのを断っておく。

■「唯須羅婆拘楼須那」は何と読む?

今回取り上げたのは目録№311の「唯須羅婆拘楼須那」。読みは、筆者の知識の読みかじりの上での推定だと、
「ユー・スーラセーナ・クルシュナ」
ではないかと思う。
意味は「須羅婆 (スーラセーナ) 」という国の、「拘楼須那 (クルシュナ) 」という名の神、と考える。
は、「ただ〇あるのみ」ということで、たったひとつの、かけがえのないもの、を意味するだろう。

■「須羅婆」とは?

先ず、須羅婆の方から。このことばが出て来るのは、「五分律」であるらしい。ウェブ版浄土宗大辞典によると、律は仏教教団(サンガ)を正しく維持運営していくために必要な教団規則と運営法とあり、その中のひとつが「五分律」とのこと。

以下、T. W. リス・デヴィッヅ著、中村了昭訳『仏教時代のインド』(大東出版社1984年) の記述によるが、
赤沼智善編『印度仏教固有名詞辞典』(古い刊行のものは、破塵閣書房 、昭和6年 )
『望月仏教大辞典』(古い刊行のものは、武揚堂 、明治42年~大正3年 )
では、須羅婆国の表記をスーラセーナ国と解釈している。スーラセーナ国は仏陀のいた重要な場所である。

そしてこうある。
「しかし音からいえば、須羅婆国や蘇羅婆国を SUrasena と解釈しにくいのも 確 かである。須羅婆国や蘇羅婆国の 「婆」が「娑」であれ ば、音 はSUrasena に似ることになるが、しかし両者とも「婆」であって、これらが誤記・誤植であるとは考えられない。
ただし須羅婆も蘇羅婆も[国]とされるに対し、『五分律』では毘蘭若を邑(※[村]に同じ)としているから、やはり須羅婆ないしは蘇羅婆は[国]レベルの地名であり、そうとすれば SUrasena と解するのが妥当であろう」        この記述をもって、 須羅婆の読みをスーラセーナとする根拠にした。

■「拘楼須那」とは?

次に、拘楼須那の方。
これは、たとえば須弥壇という字をシュミダンと読む例や、拘楼孫如来という字をクルソンニョライと読む例等から、クルシュナと見当がついた。では、なぜスーラセーナにクルシュナが続き合成語になっているのか。           
するとスーラセーナ国は、ヤーダヴァ族の国であり、その族長がクルシュナだと、先に挙げた『印度仏教固有名詞辞典』にある。(なるほど!)

■「クルシュナ」とは誰?

ではではさらに、クルシュナとは誰、ということになろう。         クルシュナは、クリシュナとも発音し (※ルとリの違い )、世界の秩序を維持する神、ヒンドゥー教の神ヴィシュヌが化身したもので、web版「インド思想史略説 」(野沢正信ー 執筆時沼津工業高等専門学校 助教授)「第2節 ヒンドゥー教の神々」の章に、簡潔にこう説明されている。   

「スーラセーナはインドの16大国のひとつで、王制の国であり、隣国のマトゥラー国とともに、ヤーダヴァ族の国」                  「ヤーダヴァ族の族長のクリシュナは、バガヴァットに対する信仰を説いた10世紀頃に成立したと推定される『バーガヴァタ・プラーナ』によれば、クリシュナはマトゥラー周辺にヴァスデーヴァの子として生まれ、幼い時から怪童としてヤムナー川に住む毒竜カーリヤを退治するなど、さまざまな奇蹟を行い、ついにはマトゥラーの悪王カンサを殺して人民を救った英雄として描かれる。
また美貌の牧童として描かれ、笛の名手で夕べにヴリンダーヴァナで笛を吹くと、牧女たちは恋情をかき立てられ、惹きつけられて、彼のもとに集まり、歌い踊り、奔放な愛に戯れる」

クリシュナを描いた絵を探してみると、なかなかに多い。古い時代の絵を下に示す。

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「蓮の上に坐るクリシュナ」(部分)ビーカーネール派 インド 18世紀前半 東京国立博物館蔵

福岡市美術館の説明によると、下の図版「クリシュナ物語図更紗壁掛」には、クルシュナは出ていない。しかし、ゴピ(※羊飼いの女性のこと ) のサリーを持って、樹の中にクルシュナが隠れるというエピソードに基づいた絵柄という。描かれている女性二人は、ゴピ=羊飼いの女性である。
そして、描かれている樹の周りの小鳥や、幹にいるリスはつがいであり、成就する愛、幸福に満ちた様子を表現し、愛の神クリシュナを象徴させている図柄と説明されている。

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クリシュナ物語図更紗壁掛 木綿描き染め 作者不詳 印度17~18世紀 福岡市美術館蔵

■「唯須羅婆拘楼須那」はどんな絵だっただろう?

「クリシュナ物語図更紗壁掛」そのもの、あるいはクリシュナの説話で似た構図のものを、青木が見たとは言えない。
けれど、
装飾品を身に着け、左右に分かれて真っすぐに立ち、
樹に向かい何か捧げものを掲げた二人の女性、
そして樹の中に隠れている貴人、
見たとたんに恋情をかき立てられるいという状況、
さわ立つような木の葉…
など、不思議にこの絵柄は、青木繁の「わだつみのいろこの宮」の構成要素に重なると思う。

青木繁 「わだつみのいろこの宮」 油彩 重要文化財 明治40年 アーティゾン美術館蔵

元に戻ろう。幻の「唯須羅婆拘楼須那」が、どんな絵だったか考える上で二つの方向があろう。そこでヒントになるのは、現存する「白馬賞」の二枚の絵ではないか。
その①「黄泉比良坂」のような劇的、動的な場面
その②「闍威弥尼(じゃいみに)」のような簡素、静かな場面

「白馬賞」受賞 ( 明治36年 ) の頃の絵は、
「黄泉比良坂」( 明治36年 ) 「輪転」( 明治36年 )
「運命」( 明治37年 ) 「少女群舞」( 明治37年 )
など、大きな動きの瞬間をとらえた構図が特徴的だ。
そこから考えると、①の方向性であったと思われてくる。クリシュナの生涯には、大きな動きの構図で描くことができる劇的な場面はいくつもありそうだ。

しかしまた、後年の「わだつみのいろこの宮」( 明治40年 ) の着想が、かなり早い段階で、つまり明治36年頃にはすでに萌芽していたと推測するとき、「わだつみのいろこの宮」の構想段階でのエスキースと見てもいいような、静謐の場面の絵という可能性も大いにありうるとも思う。
どっちつかずの結論にしかならないが、「古事記」から
火遠理命 ( 山幸彦 ) や豊玉姫、
あるいは大穴牟知命 ( 大国主命 ) や𧏛貝比売(きさかひひめ)・蛤貝比売(うむかひひめ/うむぎひひめ)
を題材に選んだ青木の好みにピタリと合うのが、熱く鮮烈なクリシュナであったということだけは言えるだろう。

最後にひとこと。
「《白馬賞》青木繁・幻の受賞作品へのアプローチ」のシリーズはこれまでのところ、読んでくれる人がとても少ない。作品が残っていないということは、やはり関心をよばないものだとつくずく感じ、取っつきにくく親しみの薄い話題だと、書いている当の本人も思っています。
けれどこういう記事に目を止めてくれる方こそ、熱烈な青木繁ファンだろうと思います。心からありがとうございますとお礼申します。
                                                                                令和4年    瀬戸風  凪

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