見出し画像

ワタクシ流☆絵解き館その126 青木繁「日本武尊(やまとたけるのみこと)」―雲の翼を背に負って。

青木繁「日本武尊」1906年(明治39年) 油彩 東京国立博物館蔵

下のモノクロ図は、フランスの画家アングルの代表作の一つ「戴冠式のジャンヌ・ダルク」である。1902年(明治35年)刊行の白馬会絵画研究所編による「美術講話」の中の図版をそのまま掲げた。
青木繁「大穴牟知命」の絵解きの回で、同書は白馬会に出品していた青木は必ず目にしているはずの書籍であり、そこに載る図版から受けたであろう影響を述べたが、「日本武尊」の構図を探る上においても、アングルのこの絵から、日本武尊が戦いの意志を示すポーズを学んだことを思わせる。

ドミニク・アングル「戴冠式のジャンヌ・ダルク」1854年
1902年白馬会絵画研究所編による「美術講話」より

カラー図版で見ると、こういう絵である。

ドミニク・アングル 「戴冠式のジャンヌ・ダルク」 1854年 ルーブル美術館蔵

さらにもう一点、西洋絵画の中で「日本武尊」にヒントを与えたのが、下に掲げた、聖ミカエルを題材にしたラファエロの作品ではないだろうかと考えている。
ミカエルとは、ユダヤ教、キリスト教に共通して現れる天使の名で、絵画では、勇ましくサタン(悪魔)を槍で突き倒す戦士の姿として登場することが多い。
キリスト教やイスラム教の文化に大いに関心を持っていた青年青木は、戦う守護神として、日本武尊との共通点に思いをはせ、大天使ミカエルの画像を画集の中に見つめたことであろう。
青木の「日本武尊」で右手に握っているのが、ジャンヌダルクの持つような「旗」なのか、ミカエルの持つような「槍」なのか判定しにくいが、どちらにしても、画面を切る様な長い棒の直線のリズム、肩から先はむき出しの素肌の腕、風になびく頭髪、腹周りの装飾された防具などに、ラファエロの聖ミカエル像との類似点が見いだせる。
また、「日本武尊」の肩先から流れ、踊っている白雲に、ミカエルの翼を模しているようにさえ見えてくる。この記事の標題に掲げたように、雲の翼を背に負った日本武尊の姿だ。

ラファエロ 「悪魔を地に伏せる聖ミカエル(または大きい聖ミカエル)」
1518年  ルーヴル美術館蔵

さて、『古事記』の英雄(ヤマトタケル)は、どのように描かれて来ており、その中で青木の描いた像は、どこが新奇だったのかを見よう。
先ずは、青木の描いた年に近いところの制作より、下の図を掲げる。

鈴木松年 「日本武尊・素戔嗚尊図屏風」右隻 資本着色 明治22年(1889)個人蔵

この屏風絵においては、群像の中のどの人物が日本武尊なのかは特定されていないようである。ただ、「明治中期以降のいわゆる歴史画の隆盛が 、菊池容斎『前賢故実』(明治元年  1868年刊行) の成果を養分にしていることは以前から指摘されており、本屏風に登場する人物の原型も、『前賢故実』に認めることができる」と、静岡県立美術館の石上充代氏が指摘していて、その中の日本武尊の姿が下に掲げた図版である。

『前賢故実』に載る日本武尊

続いて、日本洋画壇黎明期の巨匠、高橋由一の描いたヤマトタケルを見る。
ヤマトタケルの妃、弟橘比売命(オトタチバナヒメ)の辞世の歌「さねさし 相模の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも」
を思わせる場面を描いており、左手には日本武尊を象徴する草薙剣(くさなぎのつるぎ)を携えている。

高橋由一「日本武尊」1891年 (明治24年) 油彩 東京藝術大学大学美術館蔵

橋本雅邦の「日本武尊像」では、神話伝承の人物を描く約束事が、より忠実に守られている。耳のところで髪を束ねたみずらというスタイル、注連縄を模した紐飾り、革製の靴、「手結(たゆい)」という紐で手首を、「足結(あゆい)」という紐で膝下を固定する装いなど。
対して青木の「日本武尊」を見ると、足結(あゆい)を除き、他は無視していると言える。熊襲(くまそ)を念頭に置いたような面持ちの、足元に座り込む従者らしき男が、勾玉の首飾りをしていることからみて、ヤマトタケルを飾る装具も、勾玉や珠といった美しい石として描いているのだろう。
剣をたばさんだ雄姿としているが、『古事記』の解釈に清新性を与えようと、やわらかい雰囲気を演出することに画趣を求めているのだ。

1893年 (明治26年) 橋本雅邦 「日本武尊像」 山種美術館蔵

サンプルとしては少ないが、上に並べた当時の有力な画家の三枚の絵から言えるのは、明治時代半ば頃は、髭を豊かに蓄え、たっぷりとした衣をまとい、眼光鋭い人物というイメージが、ヤマトタケルの正統な姿であったと言えるだろう。

次に見る尾形月耕(1859 - 1920 60歳没。日本の明治から大正期の浮世絵師、日本画家)の絵にも、前述の書籍『前賢故実』から学んでいることが感じ取れる。柄物の衣や、束ねてはいるが相当に長い頭髪など、に学びが見られるだろう。場面は、火中に立っているところから、高橋由一「日本武尊」と同じだろうと判断できる。

1896年(明治29年)  尾形月耕 「草薙剣」

さらに続いては、青木の「日本武尊」発表以後の、各種の日本武尊物語の挿絵から、描かれたその容姿をピックアップしよう。

昭和19年 至文堂刊 鈴木啓介他 「日本武尊」 挿絵 安田靫彦
1912年(明治45年) 学海指針社刊 教育研鑽会編 「ほまれ ゆきのまき」 画家不明
1908年(明治41年) 久遠堂刊 杉谷代水 「家庭歴史文庫  日本武尊」 画家不明

ヤマトタケルの造形は、揺るぎない確固としたイメージに支配されているわけではないのがわかるが、上の3点の図版に共通して言えるのは、アトリビュートには必ず剣が添えられるということだ。草薙剣である。
青木の「日本武尊」にも草薙剣が描かれているが、右手の槍(?)と、クロスしていて、控え目ながら十字架を暗示しているように見えるのは、西洋の宗教絵画への関心が、企まざれども表れた、というべきだろうか。
                                                         
                                                                   令和4年4月 瀬戸風  凪

この記事に興味を持たれた方は、下のタグの「明治時代の絵」をクリックしてください。青木繁絵画の絵解き記事が一覧できます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?