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ワタクシ流☆絵解き館その183 「白馬賞」青木繁・幻の受賞作品へのアプローチ⇒「僧伽羅」

■ 受賞作品の内容がほとんどわからない

明治36年第8回白馬会展 ( 場所・東京上野公園元内国博覧会跡第5号館 期間・9月16日~10月27日 ) において、青木繁は15点の作品を出品し「白馬賞」を受賞した。青木繁の名がこれにより世に出た瞬間である。
しかし、現在その作品が確認できるのは2作品のみ。「闍威弥尼 ( ジャイミニ ) 」(アーティゾン美術館蔵)と「黄泉比良坂」(東京藝術大学大学美術館蔵)である。
さらに1点は、青木繁研究の第一人者、植野健造氏によれば、現存している自画像の、どれかの作品であろうとみなされている。
残り12作品はまったく内容も所在も不明だ。残っている2点の作品の融通無碍の趣からみて、その12作品がどんな絵だったかを想像するのは不可能といっていい。ただ、こういう世界を描こうとしたのではないか、というところ辺りまでは探ってみたい。
この記事は長くなりそうなので、とりあえず今回はその初編としておく。

青木繁 「闍威弥尼」 明治36年第8回白馬会展出品 アーティゾン美術館蔵

■ 出品目録307の「僧伽羅」

そのうちの一点、白馬会展出品目録出品№307の「僧伽羅」に注目したい。
この字は「シンガラ」と読む。僧ではなく、インド商人たちの若き主の名前である。ということは、その人物にかかわる事跡を絵画化した作品と見られるだろう。
僧伽羅の名は、唐の僧玄奬の西域(インド周辺)の旅の記録を聞き取り書きした「大唐西域記」の「第11巻 僧伽羅」に出て来る。646年成立の古典書籍だ。つまり青木は、「大唐西域記」の、少なくとも第11巻を読んで触発されたと言っていいだろう。

では僧伽羅の話とは何か。結論から言うと、青木の妖しさに満ちた作品「黄泉比良坂」で描かれた場面に似たところのある話だ。
こんな話だ。
僧伽羅 ( シンガラ ) は、五百人の商人とともに商売の旅の途中で難破。漂着したのは、五百人の羅刹女の棲む国であった。羅刹とは、言い換えれば悪鬼。人を殺し肉を貪る。しかし羅刹であっても女は美麗な姿をしているというからなお恐ろしい。
この羅刹女たちは、上陸した商人たちに巧みに近づき、色香で誘い淫欲に耽らしめ、鍵牢に幽し、ついにはこれを殺して血肉を食らう。いったんは、羅刹女王に惑溺し子もなした僧伽羅だったが、ある日悲鳴を聞いたことをきっかけに、高い木に登って、木の下の牢に幽閉されている商人から羅刹女の正体を聞くに至る。
僧伽羅は翻然、浜辺に逃れて天馬が現れるのを待つ。やがて天馬が現れ、それに乗ってただ一人脱出する。
ここまで書けば、ヨモツシコメに追われながら、黄泉国から逃げ戻って来たイザナギノミコトの神話に相通じた場面が浮かんで来よう。似たところのある話に青木の心は傾いていたのではないか。

つまり、出品目録307の「僧伽羅」は、「大唐西域記」の僧伽羅が、天馬に乗り、羅刹女を振り切り羅刹国を脱出しきった劇的な場面ではなかっただろうか、というのが最もたやすい推定だ。
しかしこの僧伽羅の話は、ここで終わらない。羅刹女王が、インドに僧伽羅を追いかけて来て、今度はその王に取り入り妃となったり ( 当然ながら王は殺される )、やがて僧伽羅が羅刹女国を攻めて、新しい国を建てる、というようなことになってゆくのだが、あまりに劇的な場面に満ちている。
「黄泉比良坂」のあの妖しい場面を、「古事記」の記述から描き起こした青木の想像力は、誰も持ち得ない。
出品目録307の「僧伽羅」が、「黄泉比良坂」に似た図柄だったという当時の証言はなく、青木が僧伽羅のストーリーのどこに心を動かしたのかを知るいとぐちはつかめない。
「黄泉比良坂」とは全く違う図柄であった可能性が大きいと言わなければなるまい。

重要文化財 紺紙金銀字大唐西域記(中尊寺経)第十一巻 平安時代・12世紀 東京国立博物館蔵

この話を題材に、昭和38年井上靖は「羅刹女国」「僧加羅国縁起」という短編小説を書いている。井上靖全盛期の短編でゆるみがない。
しかし文学的、哲学的主題として、明治以後最もはやく僧伽羅の話に目を止めたのは、青木繁だったろう。井上靖より60年先んじていた。

井上靖 「羅刹女国」表紙 文藝春秋社刊 昭和40年

            令和4年9月   瀬戸風  凪


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