見出し画像

俳句のいさらゐ ⊡▩⊡ 松尾芭蕉『奥の細道』その九。「あやめ草足に結(むすば)ん草鞋(わらじ)の緒」

🟩 あやめは、草鞋の紺の染緒の見立てか?

[
「奥の細道古図」1959年刊行 仙台市史図録編纂委員会 編 「目で見る仙台の歴史」より

⦿あやめ草足に結 ( むすば ) ん草鞋 ( わらじ ) の緒   芭蕉

は、仙台での句で、俳文には「あやめふく日也」と『奥の細道』にある。あやめふくは、あやめ草を葺く、の謂であり、今に続く邪気払いの風習である。
当地の画工加右衛門が、一日名所案内をしてくれて、最後に描いた絵とともに、「紺の染緒つけたる草鞋二足」をくれたことを詠んでいる。
餞として用意してくれたのが、旅の必需品である草鞋というのがありがたい上に、消耗品でもある草鞋に、ひと工夫して紺の染緒という遊び心を添えているのが、何と風流の痴れ者のすることかと、甚く感心したのである。

さて、この句の言わんとするところであるが、あやめ草を結ぶという措辞の読み取り方が、大きく言ってふたとおりある。

📜 ひとつは、芭蕉が軒のあやめ草を拝借して草鞋の緒に結んでみせて、「ここに結んだあやめの花は枯れても、紺の染緒は、あやめの代わりとなって、いつまでもこの花の香気を留めてくれるでしょう」とでも言った。つまり、そういうパフォーマンスをしてその座を華やがせた、と見る見方。

📜 もうひとつは、加右衛門が紺の染緒にあやめを見立てた意図を芭蕉が読み取って、「紺の染緒とは、あなたから頂いたあやめ草ですね。その風流を身に結び付けてゆくのがこれからの旅となります」と、感謝を述べたのであって、あやめ草を草鞋の緒に結ぶということはしていない、と見る見方。

明治15年火災消失前の仙台城二の丸の姿 1959年刊行 
仙台市史図録編纂委員会 編「目で見る仙台の歴史」より

🟩「あやめ草」と「草鞋」に仮託したもの

私は後者の見方である。ただし、どういう動きを詠んだかよりも、もっと大きな意味があるのは、「あやめ草」と「草鞋」を対比させて出していることではないかと思う。
つまり「あやめ草」には画工加右衛門、「草鞋」には芭蕉自身を象徴させていると思うのだ。
と考えれば「草鞋の緒」の緒とは、玉緒=魂緒 ( たまのを ) の緒、に通じて見えて来る。そして「足に」とは、これから先の長い旅路の謂になるだろう。

今日から後の長い旅路にわたり、「あやめ草」=加右衛門さんの心を、「草鞋の緒」=私の魂に結んで歩いてゆきましょう、という思いを句に潜めていると解釈する。

亜欧堂田善「乙字ケ滝 芭蕉翁碑之図」文化11 (1814 ) 年 江戸時代
芭蕉がここを訪れたのは元禄2
(1689 ) 年のこと 乙字ケ滝は須賀川にある

「結ぶ」と「緒」とは、古来和歌の中で併せて使われてきた縁語関係にあり、当然芭蕉はその意識を持って使っているはずだ。そして「結ぶ」と「緒」が表現するのは、人の魂が寄り合うことなのだ。
芭蕉の詩嚢に必ずあったであろう古歌を例に引こう。

白たへの我が紐の緒の絶えぬ間に恋結びせむ逢はむ日までに 
                                           
( 万葉集巻十一 2854  柿本人麻呂歌集より )

🟩 何かに象徴されている、出会い別れた人

これまでの「俳句のいさらゐ /松尾芭蕉『奥の細道』」シリーズで述べて来たことの一部繰り返しにもなるが、出会い別れた人を、芭蕉は何かの事象に象徴させて詠んでいると思う。
例を挙げよう。

🔹 須賀川で出会った可伸のことは、栗の木に象徴させている。
その句は「世の人の見付ぬ花や軒の栗」
🔹 市振の宿では、泊まり合わせた遊女を、意味は様々に取れるものの、萩と月という組み合わせに象徴させている。
その句は「一家に遊女もねたり萩と月」
🔹 金沢を最後に別れた曽良のことは、曽良との旅の意味として笠の露に象徴させている。
その句は「今日よりや書付消さん笠の露」

あやめ草足に結 ( むすば ) ん草鞋 ( わらじ ) の緒
もまた、上に並べた句の仕立て方と同じ詠みぶりと私は解釈している。 



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?