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森友学園問題と維新①

森友学園騒動から始めたTwitter

 今年の春、統一地方選挙がスタートする。大阪においては各市長村議員選挙と合わせて、大阪府知事市長選も行われる。
 私は維新を自らの身を肥やすために政治を理用している人間の集まりと思っている。彼らが行ってきたことをここでは詳しく語らないが、存在させてはならない政党だと強く思い、開示請求を駆使しTwitterで維新の悪政を可視化してきた。
 統一地方選挙に向けて、既得権益となった維新を検証・追及していくつもりである。コロナ、万博、IRなど項目にわけて検証していく予定だが、まずは維新と森友学園問題について検証していくことにする。
  思い返すと私がTwitterを始めたきっかけは森友学園問題である。

籠池氏のインタビュー内容を明らかにする菅野完氏
©日本テレビ

 2017年2月、朝日新聞の報道がきっかけとなり、国会で異常な国有地土地取引が取り上げられて、安倍首相が「土地取引に私と妻が関わっていたら首相も国会議員も辞める」と答弁したため、全国の注目を集めることとなった。

 安倍昭恵氏が建設予定の小学校名誉校長であることや、籠池氏が経営する幼稚園で教育勅語の素読や安倍首相を称えるような事を園児にさせる映像は国民に衝撃を与えた。 


 その中で3月15日にワイドショーを見ていた私はある人物の発言に目を奪われた。

「籠池さんが持っている物が全部出てきたら、内閣が2つぐらいふっ飛ぶ」

 著述家の菅野完氏だった。私は当時、傍若無人な安倍内閣に憤りを覚えていたが、その憤りを表現する術が無かった。しかし、突然現れた人物が安倍内閣を吹っ飛ぶほどのスキャンダルを掴んでいるのかという事に期待と興奮を覚えた。そして、自分も何か行動しなければならないという思いが高ぶり、森友学園問題に対して情報収集と発信のためTwitterを始めたのである。

籠池氏の小学校設立構想
 

 まずは何故、籠池泰典氏が瑞穂の國記念小学院を設立しようとしたか、説明しなければならない。
 籠池泰典氏は詢子氏と1979年に結婚した。詢子氏の父親は森友学園創立者で幼稚園を3園経営していた。当時奈良県庁に勤めていた籠池氏は義父森友寛氏に誘われ学園の運営に携わることになる。森友氏は小学校設立の夢を持っており、籠池氏も影響されたと語っている。

 1995年森友寛氏が死去する。籠池氏は理事長となり、学園の運営に注力することになる。当初、阪神大震災の影響もあり学園経営は苦しいものだった。
 園を手放したりして、何とか経営が安定化すると、2005年頃から園児に論語や教育勅語を学ばせるようになる。
 何故、籠池氏は幼稚園で教育勅語を学ばせたのか。籠池夫妻は熱心な生長の家の信者であり、創始者である谷口雅春氏を信奉している。
更に日本会議に所属し活動を行っていたのである。

 谷口雅春氏は天皇絶対主義であり、明治憲法を本気で復活させようとした人物である。生長の家の信者が日本会議の設立に中心として関わった事は周知の事実。日本会議に関しては、菅野完著「日本会議の研究」(扶桑社)や青木理著「日本会議の正体」(平凡社)が詳しい。
 谷口氏の信奉者である籠池氏が明治天皇が臣民に語った言葉(教育勅語)を園児に学ばせていたことは、自然な事だと言えよう。

 谷口氏も小学校設立を望んでたという。籠池氏が小学校設立を熱望した理由に義父と谷口雅春氏の影響が大きかったと言えるだろう。また、籠池氏の祖父も高松市会議員時代、私財を使い公立小学校を設立した事も影響していると考えられる。

安倍夫妻と籠池氏

 もう一つ、籠池氏を小学校設立に向かわせた出来事がある。
 第一次安倍内閣で成立した「教育基本法」改正(2006年)である。教育の目標項目に「伝統と文化を尊ぶ」「道徳心」が盛り込まれ、後の教科書検閲や道徳の教科化に繫がる大改悪であった。

 この教育基本法改正を成し遂げた安倍氏に感銘を受け、尊敬するようにはなったと籠池氏は語っている。その後、2011年に幼稚園PTAの父兄の紹介で安倍昭恵氏と知り合う。これは塚本幼稚園の教育方針に感銘を受けた昭恵氏の希望であった。
 籠池氏は設立を希望していた小学校に「安倍晋三記念小学校」と名付けることを昭恵氏に快諾してもらう。

 安倍晋三と松井一郎

 この頃、籠池氏は本格的に小学校設立に動き出す。しかし、一つ問題があった。当時の大阪府では条例により、幼稚園法人は小学校設立認可申請が出来なかったのだ。そこで籠池氏は2011年夏ごろ、当時おおさか維新の会で大阪府会議員の東とおる氏(現参議院議員)に働きかけ、大阪府私学課に設置基準緩和を陳情した。当時は橋下徹氏が知事であったが、11月に大阪市長に鞍替えし、松井一郎氏が大阪府知事に就任した。
 設置基準緩和案は同年12月の私学審議会に提案されたことから、橋下知事時代には緩和に向けて動き出していたことがわかる。
 翌2012年4月に小学校設置認可審査基準が改正され、森友学園は認可申請が可能になった。

 私は、大阪府が瑞穂の國記念小学院設立を認可しなければ一連の事件は起こらず、公文書改ざん、そして赤木さんが亡くなる事は無かったと思っている。
 そして、認可審査基準が改正されなければ、森友学園は認可申請すら出来なかったのだ。認可申請基準改正に、維新の橋下・松井・東が関わっていた事実がある。 
 果たして、彼らの働きかけが無かったのか?そこを解く鍵は松井と安倍の出会いだ。
後に2・26ショックと言われる大阪市で開催された日本教育再生機構主催のシンポジウム。
ここで二人が出会い、大きく事態は動いていく。

日本教育再生機構チラシ

第二弾は近日中に掲載します。

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