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色の見方は世界の見方〜スギサキさんのおかわりレッスンを受けてきたよ

以前、スギサキさんのおかわりレッスンを受けるにあたり、この記事を書いた。

そうしたら、「奥行きについて知る」というテーマが浮かび上がってきた。

PC秋の自分がトップスもボトムスも茶を着ると、自分と服の面は揃っているはずなのに単調だと感じてしまう。ならば、と全身黒い服に強めの柄小物を合わせてみたら、今度は情報量が多過ぎて落ち着かない。そんな経験から、自分が心地良いと感じる「奥行き」を服やメイクで表現する方法が知りたいと思ったのだ。

ところが。

おかわりレッスンで知ったのは色合わせのセオリーなどではなく、私の色の捉え方だった。それを踏まえてスギサキさんは、私が何を美しいと感じているかを紐解いてくださった。結果として色の話にとどまらず、人や物事ーーこの世界そのものを私がどうやって認知しているかが見えてきた。カラーレッスンでどうして自分が方向音痴かわかるだなんて、誰が思うだろう?

どこまでが1色?

まず明らかになったのは、私の色の捉え方。例えば、こんな感じの色見本があったとして(注:スギサキさんのところで使われたものではありません)。

色カラー」サイトより引用

青線で囲った辺りの色は、私にとってはぜーんぶ「茶色」なのだ。色盲・色弱…といった話ではない。色味が異なっていることは一応認識している。だけどこれらがコーディネートに置き換わった瞬間、私はどうやら脳内でこいつら全部を「茶」というカテゴリーにひとまとめにしてしまうらしい。もちろん自覚なし。

私が2024SSで、杉崎製作所にてオーダーしたのがこちら。

ついでに床も茶色いね☆

ブラウスとパンツ、全然違う茶だと感じる方がほとんどだと思う。私もこうして写真で見ると、ハッキリと違う色だと思う。なのにこれを着て鏡を見ると急に「茶、だね…?」と感じてしまい、袖を捲って裏の青を足したくなる(それができちゃうまさに天才的なデザイン。とは言え、袖捲らずにこのまま着てることも多い)。

グラデーションを独立した別々の色として捉える人にしてみれば、これははっきり2色のコーデ。何ならブラウスのボタンをさらに別の1色として追加カウントする人だっているかもしれない。だけど私の感覚だと、あくまでこれは1色のコーデ。どうやら私、「1色」として捉える範囲が人よりめちゃくちゃ広いらしい

どの範囲までを同じ色と捉えるか、なんて今まで誰とも共有したことがなかったから、このスギサキさんの指摘には心底驚いた。でも考えてみたら、そんなのそりゃもう人それぞれだよね。自分が見ているのと全く同じように世界を見ている人は一人もいないのだ。それこそが美的感覚であり、文字通り「自分らしさ」ってこと。

色はたくさん使いたい

一番最初にリンクを貼った「おかわりレッスンに向けた交通整理」の記事で私は、似合う色だけを纏って全身の面をキッチリ揃えた状態を「単調でリズムがない」と捉えていたのだが、どうやらそれは勘違いだったらしい。

それを確かめるためにスギサキさんは、私に似合う色味のフェルトをテーブルに6〜7色並べ、そこへポンと1色だけ光の反射のずれた色を投入して見せてくれた。例えば、ブルーのグラデーション3色と茶のグラデーション3色(=私の感覚では2色コーデ)、プラス、ビビッドなフューシャピンク。私は強烈な違和感を覚えた。

コーディネートにリズムが欲しいからと言って、色で調和を「ハズす」というのは私にとってあまり心地良い解ではないらしい。そうではなく、私が求めているのは色数の多さだとスギサキさんに指摘された。例の茶の上下は私にとって「1色」だから物足りなさを覚えるのであって、単純に色を足したがっているのだと。

実際、レッスン時の私のコーデはこんな感じ。

カーデがしわっしわなのは気にしないでね☆

肌寒かったのもあり、茶の上下にまず黄色いカーデをプラス。袖を捲ってブルーを見せたらパタリーのイヤリングが合うー!でもまだいける気がして、ブラッドオレンジのトートを追加。さらに(写ってないけど)着ていたアウターはベージュだし、メインバッグと靴は黒だし、首に巻いたカシシルは一応青と黄がメインだけれど他の色も多々入っている。

色数、めっちゃ多い。でもスギサキさん曰く、「大丈夫、ちゃんとまとまってる」(わーい!!)。どうやらこの状態、つまり、「いろんな色をたくさん使ってるのにまとまって見えちゃう」のが私の好みらしい。

ここで言う「いろんな色」とは、同じ色のグラデーション=濃淡ではない(だって濃淡は1色にカウントしちゃうから)。あくまで色相の中で違う色をたくさん使いたい、しかもなるべく離れた色ーー素人なので迂闊なことは言えないけども、おそらくは色相環の中で距離の遠い色ーーを合わせちゃうことにグッときている、と。

武蔵野美術大学サイトより引用

なるほどね!!身に覚えありまくりだ。

繰り返しになるけどポイントは、チョイスの対象となる色相環はあくまで自分に似合う色=秋ベースであること。秋カラーコーデに違う季節=違う光の反射の色を急に掛け合わせることにはあまり心地よさを感じない。とは言っても、黒をポイントにするのは好きという自覚がある(持ち物にも黒は多い)。ここは今後要検証だ。

シャープでヌケててエレガントな色選び

そんなわけで私は、秋カラーの中でたくさん色味を使っている状態を「美しい」と感じていることがわかった。そして中でも、意外性のある色同士や、たくさんの色を複雑に掛け合わせているのにバランスが良くまとまって見えている状態を「奥行きがある」と捉えていることが明らかになった。

この定義、人によって本当に全っ然違うと思う。誰の感覚が正解、なんてことはもちろん一切ない。だからこそ、SNS等で言われるところの「美しい」や「魅力的」が自分の感覚とは違う可能性があることはわかっておいた方がいいなと思ったし、自分にとっての心地よさをこうして明確に言語化できて、本当に良かったと思う。

そして、こうやって色における「私にとっての美しさ」が明らかになったことで、改めて気づいたことがある。しばらく前から私がファッションの標語にしていて、これぞまさに自分のスタイルなのではないかと感じている「シャープでヌケてるエレガンス」が、まさにこの色選びの感覚に合致しているのだ。

私が離れた色同士を合わせようとするのは多分、コーデにエッジや抜け感を求めているから。だからといって奇抜さが欲しいわけではないので、例えば蛍光ピンクを合わせたりはしない。色はあくまで光の反射を揃えてエレガントに。その分、フォルムに一捻りを求めている気がする…この春買ったショートトレンチみたいに!

ってサラッと書いてるけど、私は今スギサキさんの手腕に改めて恐れ慄いている。スギサキさん…私が自分でもハッキリわかってなかった自分の好み、なんでこんなに短時間で把握して言語化までできちゃうの…???しかもまだ驚くことに、スギサキさんが見抜いていたのはもっとずっと本質的なことだった。

「はちみつ」という個性

それは、レッスン終盤でのこと。

「ぽたまるさんの色の感覚、すごく素敵だと思います。広くて柔軟で」

スギサキさんはニコニコしながらそう言った。…広くて、柔軟…?確かそれ、初回のカラーレッスンの時にも言われたような…?

そうだ。私の性格・性質的なものを指して、そんなふうに言ってくださったのだ。曰く、自分は狭い世界で生きてきたと思っているかもしれないけれど、それは私の本質ではない。ただ冷えて固まっていただけで、本来はとろとろと限りなくどこまでも広がっていけるはちみつみたいな柔軟さを持っているはずだ、と。

ねぇ、待って。あの話ってもしかして、今日の話に繋がってる…?!

今日分かったこと、それは私が「1色」を捉える範囲がかなり広いこと。さらに、「1色」では飽き足らずたくさんの色味をバランスよく組み合わせるのが大好きだということ。それはつまり、色の世界をできる限り広く見渡したい、そして目に入る美しい色を出来るだけ多く拾い集めて表現してみたいということだ。

…うん。確かに、横へ横へと広がっていくはちみつみたい、かも。

そう思った時、閃いた。この、横へ横へと視線が動いていく感じってもしかして、この記事で書いた「世界を平面で捉える私、空間で捉えるさくさん」に繋がってないか…?!

私が見ているのは多分、すごく2次元的な世界。人やモノをぺったりとした平面でしか捉えられていないし、ピントもどこか漠然としている。でもさくさんは、焦点を瞬時に絞り込み、なおかつ3次元で捉えている気がする。人やモノが「立体」として見えている、というか。対象の目に入らない角度の形までなんとなくわかっていて、光の当たり方と影の形が掴めているんじゃないだろうか。多分、無意識に。

そういえば私は、超ド級の方向音痴である。空間認知能力が恐ろしく低く、地図は回転させないと読めないし、方角で説明されると慌てふためくタイプ。
(略)
もしかしてこれも、世界を平面で捉えてきたことと関係あるのでは…?

上記記事から引用

ビンゴ。自分で書いてるじゃない、「人やモノをぺったりとした平面でしか捉えられていない」って。そうなのだ。だから地図が読めないし、写真のピントを絞り込むのが下手。知らない場所に行くと、目の前の景色という情報しか入ってこなくて目的地と現在地を俯瞰して把握することができず、ひたすら迷う。

今日の話は、色の好みに限った話じゃない。私の世界の見方そのものの話だ。

目に入る世界を広く全部見たいと思うから、写真はヘタだし道にも迷う。そういえば子どもの頃、絵の具を与えられた時には出来るだけたくさんの色を使おうとしていた。そんな私にとっての「奥行き」とは、濃淡による陰影ではなく色の違いによる強弱を意味していたのだった。

さらに思い返せば私は、何か一つの道を極めるというより、あれにもこれにも手を出しながら生きてきた。小さな頃からずっと、趣味が長続きした試しがない。何でもやってみる割には何一つ大成せず、「私にはコレ」と言えるものがないことは長年ずっとコンプレックスで、40歳を過ぎてようやく諦めがついたところだ。

それもこれも全部、ただ私の世界との付き合い方がそうだから、なのでは…?!

自分の過去の行動とうっすら意識していた特性が、全て繋がった。だとしたら、写真が下手なことも方向音痴なことも趣味が続かないことも、別に全部「ダメ」ではないし、無理に矯正しようとしなくていい。違う世界の見方があると知ることはもちろん大事だけど、自分の特性を消そうとする必要はない。

スギサキさんのおかわりレッスンは、とんでもなく深いところへ着地した。

レッスンを終えた今、ここからさらにまた掘っている最中なのだけど、それについてはまた別の機会に書こうと思う。これ以上はもう収拾がつかなくなりそうなので、ただひたすらにスギサキさんのおかわりレッスンをおすすめして筆を置きたい。

私の驚きを、お分かりいただけただろうか。


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