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梅田哲也「入船(ニューふね)」2023.03.19②

集合時間は18時15分。指定された場所に行くと確かに人の姿がある。受付をするとパンフレットと防寒対策にカイロをくださる。

これが僕たちが乗る船だ

18時半に船に乗り込み出港する。老若男女、さまざまな人が乗っている。最初は座って乗るが、出航したら座席に立って風景を見てほしいとのことだ。

船は後部に梅田さんがいて機材を操作している。船の中央にはポットと、お湯を沸かすカセットコンロと、水を入れておくタンクがある。船頭の席には小さなミラーボールが、そして船内には梅田哲也さんの作品を象徴する銀色のスピーカーが置かれている(これと同じ形のものが京都のリバーサイドにもあったのを覚えている)。何かが起きる予感がする。

梅田哲也さんの作品はその土地や場に刻み込まれた時間や記憶を蘇らせていく。今回も船に乗りながら様々な語り、文学、歴史資料、そしてパフォーマンスによって大阪が紐解かれていく。
船は堂島川から東横堀川にかけての、どちらかというと高架下の薄暗い、下町の風景が続く中を進んでいく。それにしても橋が多い。川が多いということは橋が多いことなのだが、橋の下を通るたびに音声が反響し、増幅されて耳朶を刺激するのを聞くたびに普段意識していなかった橋の存在が浮かび上がってくる。

東横堀川を抜けると道頓堀川だ。先ほどまでの風景とは一変して、昼間と見紛うような照明の奔流。川沿いには現地風の中華料理店や居酒屋、ドラッグストアが立ち並び、多くの観光客で賑わっている。かと思いきや「グリ下」ではどこか危うい雰囲気の若者たちが身を寄せ合っている。水は汚く澱んでいて、ネオンを鈍く反射している。街の明るさに反してどこか昏い雰囲気を湛えている。

しかしそれも束の間、しばらくするとマンションや団地の立ち並ぶ静かな地域へと差し掛かる。かと思いきや道頓堀川水門を超えると大正。ドームを中心に多くの人影が見える。その目まぐるしく変わる風景がなんとなく大阪だなと思わされてしまう。水路に囲まれた範囲にこれだけの多様な街が広がっている。水路という街の動脈を辿るということは大阪という街の身体を知ることなのかもしれない。

大正から先では一気に梅田哲也ワールドが展開されていく。詳しくはネタバレになってしまうので詳しくは書かないが、水鳥が飛び立つ瞬間、水が飛沫をあげる瞬間、川沿いの道を歩く人がこちらを振り返る瞬間。そうした偶然の出来事すべてが奇跡のような一瞬一瞬を生んでいく。繰り広げられるパフォーマンスは、水によって生かされてきた街、水を殺していく街の両面を絶え間なく往還する。こうしたダイナミズムというか、両義性も梅田哲也の作品に特徴的だなと思う。

終盤の見どころはイ・ランによる朗読と歌だ。韓国からイ・ランが言葉を紡ぐ。

たくさんの人が一緒に音を出すと気分が良くなります。なんか安心する。今私は一人でいたけど寂しくないです。みんなの声を聞きながら一緒に歌ったりどこかにいる人々を想像しながら、座っています。寂しくはないです。

今あなたの聞いている音が、私も聞きたいです。私もあなたも今水の近くにいるでしょう。川に一緒にいるでしょう。その音が、聞きたいです。

我々が船で渡ってきた大阪の川、イ・ランの身近に流れる漢川(ハンガン)とが自然に重なり溶け合っていく。いつのまにか皆が彼女の言葉に聞き入り、まるで川に溶けていくように船旅は終わる。寂しいようで、だけど「寂しくはないです」というイ・ランの言葉に支えられている、そんな不思議な感覚だ。

大阪に生きている、大阪で生きていく。


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