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『大阪の生活史』 2023.11.29

朝5時半起床。仕事へ。おかげさまで歯の痛みからは解放されたが、これからどうなるのだろうという不安が強い。19時半まで働く。

家に帰ると、聞き手として参加をした『大阪の生活史』の献本が届いていた。ずっしりとした重量感。梱包を開けるときに自然と笑みが漏れて、クリーム色の装丁が見えた瞬間「本当に本になったんだ」という感慨が溢れた。中学生の時から文章を書くことに親しんで、いつか死ぬまでに自分の名前を本に残したい、そう思っていた夢が叶った瞬間でもあった。

ここからは『大阪の生活史』に参加した振り返りをしていこうと思う。本名で参加したので、詳しい内容には触れないが、もしかしたら全部読めばどれが僕から分かるかもしれない。

自分の原稿を何度読んでも不思議な話に溢れているなと思う。本当にそんなことがあったのかと驚くようなエピソードが語り手の口から出るが、それはきっと本当にあったことなのだろう。
不思議なことと不思議なことが重なり合って今を作っている。今、というのはこの瞬間にも存在しているので当たり前のようにも感じるが、この今を作ったのはおそらく不思議な出来事と、不思議な巡り合わせと、不思議な偶然なのだ。そうした不思議は語られなければこぼれ落ちてしまう。それを掬い取ったのが『大阪の生活史』だったのだろう。
母方の叔母に話を聞いた。母方の家族には僕の中にずっと謎があった。でもそれは、聞くタイミングのようなものもなく、そして少し聞くのが怖かった。でも何となく、亡くなった祖父母はかなり苦労をしてきて、その背中を見て叔母や、僕の母親は育ってきたことは知っていた。そうやって大阪にやって来て、苦労しながらも実直に生きてきた一家の話は残さなくてはいけないだろうと思った。だから『大阪の生活史』の話を聞いたとき、聞き手を選ぶことには困らなかった。

岸先生は「頭の中に絵を描きながら、足りないところを埋めるように質問をしてください」と研修で仰っていた。これが一番頭に残っているアドバイスだ。
しかし実際は、絵を描くどころか、あるエピソードが語られた瞬間にぶわーっと頭の中に情景が広がって、それを透明人間のように、幽体離脱したみたいに見る、という瞬間に度々襲われた。それはまさしく鳥肌の立つような瞬間だった。すべてが語られている訳ではないのに、あらゆる景色が眼前に浮かび上がってくる瞬間。そうなると質問することも忘れて、ひたすら相槌を打つばかりになる。

これは残したい、という話は全部残すことができたつもりだ。中でも絶対に残したかったのが、タイトルにも使ったエピソードと、そして語り手の娘とのエピソードだ。そのどちらも残すことができて本当によかった。

ぜひ読んでください。
語り手には日曜日に献本しに行きます。


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