ノルマとしての「ゲームは1日1時間」

高橋名人の「ゲームは1日1時間」という言葉は、ゲームをしすぎる子供たちに、「1日1時間までにしなさい」という意味で使うのが一般的である。

しかし、僕はあえてそれを逆に使ってみようと思う。
「みなさん、ゲームを1日1時間くらいしましょうよ」と。

大人になると、だんだんゲームをしなくなる。それは仕事が忙しかったり、恋愛をしたり、もっと楽しい趣味を見つけたりするからだ。
ゲームは意外と疲れる。テレビならダラダラと垂れ流すことができるが、ゲームだとそうはいかない。能動的にこちらから、インタラクティブに掴みにいかなくてはいけない。ドキドキもする。手に汗を握ったりもする。怖い思いもするし、後悔したりもする。だから、疲れる。だから、大人は、ゲームをやらなくなっていく。または、あまり疲れないスマホゲームをしたりする。

でも僕は、ゲームは素晴らしい娯楽だと思う。映画にも小説にも名作があるように、ゲームにも名作がある。それを逃さないように、日々ゲームの筋肉をつけておく必要があるのではないか。

ゲームなんて子供の趣味だろう、というなかれ。
ゲームなんてやってたら、バカになるよ、というなかれ。
おもしろいゲームは、とんでもなくおもしろいのだ。
それは、誇張なく、時間を忘れるくらいに。
「え、もう3時間たってたの?」と思うくらいに。

だからさ、1日1時間ぐらい、ゲームをしようよ。30分でもいい。やってみて、違うな、と思ったらやめてもいい。でも、大変なのは、始めるまでなのだ。初めてしまえば、惰性で進んでいくものなのだ。それで、面白くなっちゃって、何時間もやってしまいそうになるのを「ゲームは1日1時間」で制限するのだ。この言葉には、ノルマと制限の両方があるのだ。

継続は力なり。毎日1時間続けるということが、どれほど難しいことなのか、わからない人は少ないだろう。これはゲームだけに限らない。勉強でも、本を読むことでも、絵を描くことでも、楽器を勉強することでも、日記をつけることでも、少しずつを毎日続ければいいと思うのだ。


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