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子育てで感じたことは、ひとつ残らず言葉で残したい

長男が4歳、次男が2歳になった。

毎日てんやわんや。
長男出産前から産育休を3年半取り、2人の息子を保育園に預けながら職場復帰してもうすぐ1年半。
秋には転職もして、光の速さで毎日が過ぎていく。

子供たちはいつだってかわいい。
男の子2人。
男の子と女の子、両方の子育てを経験してみたかったなぁ、と思ったこともあるけれど、
同じ男の子でも個性が全然違って、同性だからこそ違いがわかりやすい気がして、2人ともそれぞれ本当にかわいい。

時々、オットと2人で「20年後、30年後、どうしているか」みたいな話をする。
おしゃべりが上手になった長男が「ぼくがおとなになったら…」という話をすることがある。

その時の私(24歳と22歳、もしくは34歳と32歳の息子がいる60代か70代)は、今(4歳と2歳の子育て中の40代)の私のことをどう語るのだろうか。
4歳と2歳当時の息子たちの様子を、どう語るのだろうか。

「甘えん坊だったよ」
「おしゃべりだったよ」
「お兄ちゃんをバシバシ叩いてたよ()」

…そんな言葉を枕にエピソードトークをするのだろうか。どのくらい詳細に、エピソードを語れるだろう。

私は細かい記憶力が異常に良くて
幼稚園時代のある日、仲間外れにされて悔しかったこと(気が強い…)とか、
小学生の頃の社会のテストの問題にどう答えたとか、
中学の時に初めて行ったコンサートのチケットをどうやって手に入れたとか、
オットと出会った頃の超細かいやり取りとか、
誰も覚えていないことをちゃんと覚えていることが多い。

そんな私が、長男を産んでしばらくしたある日、泣いた。
「こんなにかわいいのに、全部覚えておきたいのに、いつか忘れてしまったらどうしよう」

そんなふうに不安になったのは初めてだった。
これまでの人生に比べ、子供と過ごす毎日は感情が揺れ動きすぎて。初めてな感情が多すぎて。忘れたくないことが多すぎて。

小さかった子供たちについて、子育てについて、その時の自分とオットについて、
いつか語る日が来た時に
「甘えん坊だったよ」
「わんぱくだったよ」
というだけにしたくない。
本当はもっともっと背景がある。
感じていた気持ちがある。
笑える裏話がある。

大好きなNEXTWEEKENDから、KAZOKUGOTONOTE(当時はファミリーノート、略称ファミノ)が発売されたのは、そんなときだった。

写真アルバムとは違う、

感情のアルバム。

きっといつか、家族の宝物になる。

ホームページより

写真のアルバムだけでは残せない、その時の気持ち。子供がどうだったか。私はどう思ったか。
残しておく、残しておける、そのためのノート。

***
数年前のある日、とあるポエムがSNSでたくさんシェアされていた。
それは、子育てを終えた女性から、子育て中の親に送るような言葉。
「いま、どんなに大変でも、しんどくても、
抱っこできるのは今だけ。一緒にいられるのは一瞬」というような内容の。

流れてきたその文面を見て、猛烈に悔しかった。怒りすら湧いてきた。

だってそんなこと分かってるから。知ってるから。
知っている上で、子育てがしんどいと感じてしまうことがある。だからつらいんだ。
一瞬でしかない子育てを、しんどいと思ってしまうことがつらい。
いつか、子育てについて語る時に、私はそんなふうには語りたくないと思った。
もし我が子が「子育てしんどい」と言ってきた時に「でもね、一瞬のことよ」とは言いたくないと思った。

つらかったことはつらかった。
楽しかったことは楽しかった。
良いことも悪いことも、フラットに語りたい。
全部フラットに語った上で、親になれて幸せだと言いたい。

そのためには、今の気持ちを、
全体像ではなく一瞬ごとに感じているこの気持ちを、そのまま残さなくてはいけないと思った。

本当は全部そのまま瞬間冷凍できたらいいのだけど、当然無理なので、残すためには言語化して文字で残すしかないのだと気付いた。

KAZOKUGOTO NOTEのお気に入りのコンテンツに、「今の気持ちに、タイトルをつける」というページがある。
四角い空欄が6つ並んでいるページ。

子供のかわいかった姿も
自分の中で動いた感情も
うれしかったオットの言葉も

私の脳とボキャブラリー、というフィルターは通すものの、できるだけそのまま言葉にしている。
次男を出産した時、コロナ禍で面会なしの入院だったので、このページを持参した。

産まれたてふにゃふにゃの次男
初めて何日も離れる長男
遠隔で産後の私を労ってくれるオット

出産直後は感情が揺れ動くので、産まれて数日の次男と2人の病室で、たくさんたくさんメモをした。

それ以外のコンテンツも、
いまの子供たち、今の私、今の私たち夫婦、今の我が家、…を残すことに役立っている。

私のKAZOKUGOTO NOTEの一部(直近の写真がなくて過去のインスタ投稿より。今の写真も撮れたら追加しよう…)

「そのまま」という言葉を使ってきたけれど、
ありのままを貼り付けることだけが「そのまま」ではないと思っている。

「たくさんピクニックしたなあ」
「兄弟2人の関係性がかわいかったな」
20年後、30年後に語るとすれば、そんな一言にまとめられそうな「ざっくりした事実」のその詳細や裏側を残していくことが、私にとっての「そのまま」

そんなKAZOKUGOTO NOTEの販売は1年に1回で、今年で、今日で、終わってしまう。
これまでに2冊購入したけど、もう1冊購入予定です。
3冊にすれば、いつか綴じ直して(リングノート形式です)、息子たち2人に渡せるかもしれないから。

気になった人がいたら、ぜひ紹介ページを訪ねてください。
1つでも気になる使い方があったらすぐに購入してください(今日までだから)

(追記)2/14の12時〜
24時間限定で再販があるそうです。
これが本当にラストみたいなので、気になる方はぜひ!


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