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娘が産まれ、保育器へ。感じたこと。大事な記録。


妊娠23週で娘が産まれました。
保育器の中で小さい身体で、一番がんばっているのは娘ですが、
私自身の気持ちの整理のため、書きます。

娘が産まれる前日は、
夫と西松屋に行ってベビー服を買って、

家の外にパジャマのまま出て、
綺麗で大きな月を見に行って。そんな日。

まさか翌日に出産するなんて思いもしなかった。
予定日は来年の1月でした。

娘が産まれた10月1日、
朝、出血があり、夫を叫んで呼んで。
ここからは、記憶も飛び飛びです。

通院先の町の産婦人科から、
大きい病院へ救急搬送されました。
診察を受け、説明されたのは、
赤ちゃんの居る袋が子宮の外に出ている状態で、
赤ちゃんは横向き。このまま子宮口が広がれば、臍の緒が圧迫され、赤ちゃんに血液が行き届かなくなる、緊急で帝王切開をしたいということでした。

「赤ちゃんが助かるなら もうなんとでもしてくれ」
と思いました。
とにかく急いであらゆる同意書に夫とサインをして、手術室へ。

家で出血してから、
手術が終わって病室へ帰るまでは、
膝がガクガクと震えて、
口もアワアワと震えて、
生きた心地がしなかった。

でも、娘が産まれたとき、
「フェェ」
と小さくも力強い声が聞こえたのははっきりとした記憶にあります。
一生忘れないでしょう、かわいい声でした。

娘は産まれてから、一瞬、夫のところへいったあと、すぐNICU ( 新生児治療室 ) の保育器の中に入りました。
ここまで何もなく頑張ってくれています。
運の良い、強い子です。

私が娘に触れたのは、産後4日目でした。
出生後、丸3日間、脳の出血がないということがとりあえず一番重要と言われ、
触れても問題ないですよと看護師さんに言われるも、
自分が触れることで何か起こったらと、
怖くて触れなかった。
はじめて小さい身体に触ったとき、
保育器のそばで涙が止まりませんでした。
私はようやく今、実感したんだなと思いました。

それから思いがどんどん溢れて、
自分のせいだと責めました。
もう少し、お腹の中にいてもらいたかった。
おかあさんのせいだね。
動きすぎたのかもしれない。
小さな身体で手術とかすることになったら可哀想だ。
なんてことをしたのだろう。
夢なのかな。
たくさん感じました。

娘を一番信じなければいけないのは母である私なのに。
私を選んでくれて、無事に出てきてくれたのに。
看護師さんの「おめでとうございます」という言葉が、私の感じる現実と離れていて、純粋に受け入れることができなかった。

まずは、「生まれてきてくれてありがとう」
って純粋に言いたかった。
「おめでとう」って言いたかった。

今からでも言いたい。

もう少し時間がかかるかもしれないけど、
まっすぐな「ありがとう」「おめでとう」を、
私があなたにたくさん伝えるからね。

病院の先生は、一番最悪なケースも前もって説明しなければいけないから、
そういった説明から逃げることなく、受け止め、前へ前へとがんばっていきたいと思います。
受けとめていこう。

まだ何もしてあげられないけど、
一番最初のお母さんお父さんからのプレゼントとして、可愛い綺麗な白いお花の付いたお名前を贈りました。

これからも綴っていきます。
では、また。おやすみなさい。




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