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「休む」をメインにしてもいいんじゃない??

思いを込めて
時間をかけて
チカラを入れて
note記事を世に送り出すなら誰もが意識する事柄でしょう。
でも、綴るために消耗しては意味がないです。

PCは言葉を生んではくれません。
日々の暮らしの中で
思いは膨らみます。
PCはそれらを打ち出してくれる便利な道具ってだけ。
だからnoteの位置づけは生活の延長にちょこんとあるちょっとした楽しみ、
ぐらいにしておいていい。

私にとってnoteは
あくまでも趣味です。
写真を撮って「あはっ」「くすっ」「めそ・・」と
笑ったことやがっかりしたことを綴ることで
頭のなかを整理整頓します。
それが常に心持ちを「凪」の状態にしておけるコツかな、って
思っています。

なのでnote更新したあとで
「スキ」がいくつとか「ビュー」がどうとかを気にするのは
「凪」ではないのです。

織りなす言の葉で収益をあげる方も多数いらっしゃいます。
どんどん前向きにアグレッシブな発信をされる方も。
日々言葉を紡ぎだすパワーはどこから生まれるんだろうか、
と驚いています。
題材、それにともなうデータなどなど。
思い付きじゃできないことばかり。

でも、私の綴りたいこととはちょっと違うな、って思ったのは
先日も書きました。
自分とは違う「すごいな」と思える人たちを
つい「キラキラ」という括りで見てしまいます。
そうなると私の心持は「凪」ではなくなります。
「SNS疲れ」というのが当てはまるかはわかりませんが、
細く長く続けることができなくなる「始まり」だ、ということだけは
今までの経験からわかります。
自分が誘蛾灯に突っ込んでいく蛾に見え始めるからです。
明るいところに行けば自分を見つけてもらえるかもって。
私もその灯りの中に入りたいよって。

誰もが同じにはできないし、ならないです。
noteという街もリアルな街も一緒で、
いろんな人が住んでいます。
収益化に結び付く有益なプラットフォームでは
ありますが、そういう記事じゃなきゃダメだ、という
決まりはありません。

私は暮らしの中で写真を撮りたい。
月に2回ほどの「coten」で展示する写真を
丁寧にセレクトしたい。

だから写真がたまったときは
noteを休むんです。
畑のことやダンスをしながら。←仕事もしろyo( ̄▽ ̄)
誰かとの会話の最中にふと、写真と連動する
言葉が浮かぶこともあるんです。

noteでやりたいことを忘れない。
noteでは自分を追い込む必要はない。

それさえ忘れなければ
noteで疲れる‥ということは遠ざけることが
できると思うんです。

休むことが次への準備

👆こちらの企画に参加しています。

実家へ行ったり、野暮用で沼津へ行ったりと、
そのついでで撮ってきた写真が
とっちらかっています。
ゆっくりと記事をこさえようかな、と思います。
そんなときにこちらの記事と出会いました。

単に「更新しばらくお休みします」って
つぶやきだけにしておこうかな、と思っていた自分を
「おっと、そこは違うんじゃない??」と
引き留め、考える時間をいただきました。

#読まれないnoteを書こう




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