20220522 シンウルトラマン感想

ツイッター感想。

娘に付き合ってもらって見てきました。

今見ることができて、本当に良かった。

超泣いた。

人類は希望を受け取った。

ウルトラマンには好意を返したい。

これはきっと、

人類の一員に簡単にはなれなかったヒトからの、

人類に向けた愛の歌であり、願い。

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5/22にシンウルトラマンを見てきました。
ここで見られたのは本当に良かった。
各所から、良かったというのは聞こえてくるが、皆紳士で、ネタバレらしいネタバレはほとんど無かった。
尻を叩くとか、ローアングルがあるとか、
メフィラスが美味しいところを持っていった、というところぐらいか。
私はこれを、
人類社会に馴染むのに苦労したヒトから、
それでも人類を好きである
という、人類を外側から見た人類への希望と好意表現であると受け取った。
スタッフのうちどれだけがこの感覚を持っているのだろうかと思うけれど、
庵野監督には通じるのでないかと思う。
おそらくは、米津玄師にも。

僕は君たちを見て、痛みとともに好意を覚えるのだけれど、この痛みは僕だけのものだ。
似た痛みを持つヒトはいるだろうけれど、僕のこの痛みは僕だけのものだ。
そして、好きという感情も、この僕のものだ。
映画の中でも、子供時代からの私の人生でも、積み重ねが様々あってのことだが、
滝君がウルトラマンからの伝言を開いたあと、泣きっぱなしだった。
断続的に、何度も涙が溢れた。
映画を見ていてこんなことになるのはめったにないことだ。
メフィラスのベータ技術を拒ませたウルトラマンが、形を変えてもう一度、人類が捕まえ直せるように、渡し直したことに、
どれほどの葛藤があり、どれだけの執着があったか。
これはやはり、好意であり、執着だと、私は思う。
人類には存続してほしく、それに助けが必要ならば、与えるのは自分でありたいのだ。
メフィラスと自分、ザラブという外星人の干渉により、人類は滅びかけ、今後も干渉はおそらく引きも切らず、
種族として急速に大人になることを要求される。
それを一番近くで見ていたいのだ。
これは、善意や責任で見守るとより、好意と執着で見守ることで、私はついにウルトラマンに人間味を感じる。
この執着により、ウルトラマンは人類を知ることになると思うのだ。
おめでとう、君は仲間だ。
ありがとう。
ここまでが映画を見た日に感情的に書いたものだ。
感情はここから何度も反芻した。
冒頭の一部をyotubeに流す広報も始まり、そろそろ、紳士的に控えていた人たちの感想も出てきた。
感想、レビューは様々で、この映画が持つ情報量を感じる、が、私が感じていたようなことを行っている人は、まだ見ていない。
本当に、あの時点で見ることができて良かった。
先にそうした感想を見ていたら、僕はきっともう少しテクニカルに見て、感動はまた少し違うものになっていただろう。
円谷プロと、東宝と、成田了を和解させた偉大な作品だとか、
実はウルトラマンとバディのキスシーンも撮ってあったとか。そうだね、僕もそれはあそこでやるべきでなかったと思うよ。
唐突に自分語りになるが、自分はどこに行っても「宇宙人」と呼ばれていたのですよ。
何度も引っ越しして、転校も転職も何度もしても、周りから見れば私はたしかに宇宙人なのだ。
正直なところ、その評価は、ある程度は受け入れるしかない。僕は「当たり前」を皆と共有することがついにできなかった。
「普通の世界」を外から見て、うらやましくも思っていたのだ。
シン・ウルトラマンはそのような僕の一部を救ってくれたから、あのように心が動いたのだと思う。
このような外から見た「人間への憧れ」という感覚は、実はそれほどには珍しくないのだろう。
印象深いキャラクターに、渡辺多恵子さんの「はじめちゃんが一番」に出てきた江藤亮という人物がいる。
彼は「自分自身のことが嫌いだが、人間は大好き」だと評されていた。彼が長い時間をかけて救われたであろう「はじめちゃんが一番」は私の大好きな漫画だ。
この江藤亮は、かの綾波レイの原型の一つであるらしい。
ある評では、綾波レイは、庵野監督が少年時代に持っていたウルトラマンの人形であったという。
あるインタビュー記事で、庵野監督はエヴァンゲリオンという物語の主題は「自分でない人間がいても良い」だと言ったという。
庵野監督も、多分、人間の世界を外から羨ましく見た事がある人なのだろう。
そしてもう、外側の人である自分に折り合いはつけて、救われもして、エヴァンゲリオンを終わらせられたのだろう。
お疲れさまでした。
僕もずっと、映画館の隣の席で一緒に見てくれた娘に、救われ続けています。
M八七を書いた米津玄師さんも、この感覚と完全に無縁ではないのだろう。
なんでもできる彼だが、そうでなければ、アイネクライネなんて書けないはずだ。
僕の悩みや疎外感は、僕だけのものではない。
積み重ねてきた時間でそれはわかっていたのだけど、この映画でまた、僕は受け入れられて、救われたのだ。
ウルトラマンのように。
で、キスシーンは否定したけれど、後日談として、浅見さんがウルトラマンに、共同での子育てを提案するのはアリだと思うのだ。
イチから育てることで、大好きな人間について、また新たな体験ができるよ。

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