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多様な選択肢を提供するアメリカの高校、それを生かすには?

 アメリカの公立高校の特徴を言えと言われたら、間違いなく科目選択が豊富な点を挙げるだろう。もちろん、アメリカにある全ての公立高校に当てはまるわけではない。全国一律の日本とは大きく違い、アメリカの教育は州毎・カウンティ(自治体)毎に異なる。ここでは、ひとつの例として、私が暮らし、勤めるワシントンDC郊外の文教地区について取り上げ、その利点と問題点について考えてみる。

 わがカウンティの場合、学校地区(School Cluster)が決められ、そこに暮らす子どもなら誰でも入学できるため、学力にばらつきがある。そのため、必須科目は難易度に応じて、Regular、Honors、AP(Advanced Placement)の3つのレベルに分かれている。難易度が最も高いAPレベルは、大学1年目の教養レベルに相当し、学年末に全国統一試験(AP Exam)を受け、一定以上のスコアを取得すると、大学によっては単位として認められる。自身を振り返ってもそうだが、自分のレベルに合っていないコースを取ることほど、辛い、ないしは退屈なことはない。その点、アメリカの公立高校の場合、自分に合ったレベルで勉強することができる。

 具体的に言うと、たとえば社会科の世界史の場合、Honorsレベルでは、授業の中心は、第一次世界大戦からになる。ところがAPレベルを取ると、学習する時代範囲が、紀元前から現代までとなり、最後に約3時間の全国統一試験を受けることになる。また、授業の中心はWhy? How? と言った問いかけで、リサーチに基づくエッセイ提出も課される。When? What? と言った事実を学ぶRegularレベルとは大きく違う。

 科目のレベルに加え、選択の幅も大きい。そのため、将来の進路を見据えた科目を取ることもできる。例えば、看護師になりたい生徒は、解剖学(Anatomy)を、弁護士を目指す生徒の中には、法医学(Forensics)を選ぶ者もいる。幼児・初等教育に興味がある生徒は、幼児発育(Child Development)の授業を受けるだけでなく、幼稚園や小学校でのインターンシップもある。経済学を学びたい学生は、マクロ経済やミクロ経済の科目選択もできるようになっている。こうした科目は、学年の枠に関係なく選択できるのだ。

 このように、公立高校が、複数のレベルと選択科目を用意できる背景に、教師の雇用形態の多様性が挙げられる。例えば、外国語教科でロシア語を教える先生が同時に、英語教科で必須科目の英語を担当している場合もある。心理学と公民、アメリカ史と英米文学・・・と教科をまたがって2科目を教える先生が普通にいる。また、パートタイムで午前中だけ高校でジャーナリズムを教え、午後はフリーで記者をしている先生もいる。教師のキャリアに応じて、教える教科を増やすことが可能なのだ。

 また、中規模の公立高校でも、生徒数2300人を超え、教師数もざっと130名以上となる。これだけ生徒も教師もいると、規模の経済が働き、さまざまなレベルや選択科目を用意できるのである。ワシントンDC界隈の一般的な私立高校の場合、通常、生徒数はこの20%以下であり、公立高校のような科目数やレベルは用意されていない。そのため、勉強するなら私立ではなく公立だと、転校してくる生徒がいることも事実である。

 このように、多様な科目とレベルを高校が用意しているが、生徒たちはその環境を生かしているのだろうか。夢を持てずにいる生徒や、いつも受け身な生徒はどうしたらいいのか。友達と群れるのが好きな高校生だっている。また、夢を持っていても、その夢を実現するために、どのような科目選択をしたらよいか、段階的に考えることができない生徒だっている。夢だけが壮大すぎて、努力しなかったり、成績がともなわなかったりする生徒だっている。

 珍しい科目選択をしている生徒に、選択理由を尋ねると、「親や親戚がそうした職業に就いているから。」とか、「親が薦めてくれたから。」と、想像以上に親の影響が大きい。しかし、生徒の全員が親に恵まれているわけではない。その場合、スクールカウンセラーの果たす役割が大きくなるわけだが、カウンセラー1人当たり150名以上の生徒を抱える公立高校では限界がある。親が英語やアメリカの教育カリキュラムを理解できない場合もある。どの生徒も、何ヶ月もかけて次年度の時間割を決めていくのだが、親の関与がないと、いくら多様な選択科目が用意されていても、その良い部分を生かせない。そこが大きな問題ではないだろうか。


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