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あらためて「和田彩花とは」を【多様性】というキーワードで考える 後編

前編はこちら。

小学校の校舎って大人になって入ると縮尺が異様に小さく感じる。ぷちガリバー感とでもいうか、不思議な空間に迷い込んだような気持ちになる。

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古びた階段も趣き深い。この先の教室で和田彩花との閉ざされた会合が行われる。

自分で選ぶこと、決めること

関係ないけどアートなイベントってシルクハットかぶってる率が高い。何人もすれ違った。そんな中で、なんとなく思い詰めたような表情の集団。ここだな、と。

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入場し着席するが、一番前は流石に後ろの視界を妨げてしまうだろうから少し下がった見やすい場所に座る。続々と参加者が教室へ。限定30人程のイベントで男は6人くらい。想像通りの比率だった。

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しかしそれ以上にミニマムで距離の近いイベント、というより座談会という感じの会場内のセッティングに緊張感が場を包む。本当に近い。

そこへ拍手と共にあやちょ登場。入ってきて教室の僕らを見渡し、途端にパーッと大きな口を開けて笑うあやちょ。それだけで空気が穏やかになった。

「自分で選ぶことの大切さ、難しさ」というテーマで座談会は始まった。

グループを辞めた後も一人でもアイドルをやるという選択をしたが、それをしばらくはメンバーに言えなかったらしい。「辞めるのにアイドルやるの?」そう言われた時にどうしようと思っていた。

でも新しい事をしようと思った。そう決心した時にこのままじゃ駄目だと少しずつインタビューとかで話すようになったとゆっくり語るあやちょ。

卒業発表からしばらく、歯切れの悪い雰囲気だったのはこの辺の葛藤、迷いが解消しきれていなかったようだ。

「今のまでのアイドルの形とは少し違うし、夢とか希望とかを届けたいと言っていたのに、その思いも壊してしまうかもしれないけど、一人でやると選択して良かったと今は思ってる」

そう、あやちょは言葉を選びながら語った。

「一度口にしたらこんなに沢山の人が私の話を聞きたいと集まってくれた。それがとても嬉しい」

ぐるっと教室全体を見渡しキラキラした目で本当に嬉しそうに語りかけ、笑いかけるあやちょだった。僕が20代の女子だったらこの瞬間に泣いてると思う。僕は大人のオジサンだからギリ大丈夫だった。だが大人のオジサンは、それはそれで涙腺がバカになっているので本当に危なかったのは秘密だ。

革命じゃなく選択肢を広げたい

小学校に入る前、ランドセル選びで当時は女子は赤しか色がなかったけどピンクが良かった。でも幼馴染と一緒の色にしたい気持ちもあった。幼馴染は「みんな赤だから赤にする」そう言うが、あやちょはなんだかそれがモヤモヤしてお母さんに相談した。お母さんは「好きにしなさい」としか言わず、その頃から面倒くさいと思われてたのかなぁと笑うあやちょが面白かった。

「結局みんなと同じ赤にしたけど、今になって後悔してる。みんなと違うのが怖かった」

それが今の和田彩花を作り出した最初のターニングポイントだったのかもしれない。そして、ここから核心だと思うが

「私は変化を求めてるわけじゃない。革命をしようとしているんじゃない。選択肢を広げたい」

そこは間違えないようにしたいと言っていた。これ、僕も誤解しがちだけど、あやちょは壊したい訳じゃない。他人を変えようなんて事も思っていない。ただ、こういう道もあるんだよと視界を広げたいと考えるようになったみたいだ。

そういえば卒業の時もそんな事を言っていた。多様性と可能性を広げる為のソロアイドル活動。少しずつ分かってきた。

なんで? という違和感

あやちょはよく大きな口を開けて笑う。アンジュルム時代からそういうイメージだ。だが、アンジュルムの時は写真とかで大きな口を開ける事を禁止されていたらしい。

卒業して移籍してからは、アー写や各種写真でも大きく口を開けて笑うあやちょが見られる。色々と細かい縛りは、やはりあったようだ。MVのリップシンクでも、カメラから外れたり髪を振り乱したりは禁止だったらしい。でも表現のひとつとして良いんじゃないかと伝えても「アイドルだから顔が見えないとおかしい」なんて斬り捨てられる事もあった。

アイドルとはかくあるべし、という古い固定概念との戦いだな。日々あやちょはアイドルの概念を広げようとしていた。「壊す」ではなく、あくまで「選択肢」を広げたいと願っていた。

なんで?良いじゃんこういうのも。

そういう違和感とのせめぎ合いの中で生まれてきた選択肢が「アンジュルムを独立させる」だったのかもしれない。

初めての作詞では、フランス語で「私はアイドル」「他の誰でもない」「あなたの為には生きていない」「偶像崇拝なんてしないで」「でもアイドルなの」と歌っている。

矛盾した事を言っているかもしれない。

ロックバンドのようなアイドルや、やる気のなさそうな雰囲気をコンセプトにしてるアイドルとか、今は色んなアイドルがいると話すと「それはアイドルじゃない」と否定されたりもする。

なんで? 全部アイドルでしょ?

王道以外を排除するような考えはおかしい。様々な活動の仕方があって、それぞれでアイドルとして存在している事を認めて欲しい。この辺りはチクリと現在のアップフロントへの警鐘だろう。

あやちょの根本は全て多様性の肯定で出来ている。

アンジュルムを独立させる

あやちょはライブが好きだと言っていた。握手会とかも良いけど、ライブでの一体感を会場全体で作り出した時の達成感が好きだと言っていた。

みんなで作り上げる空間があるから、みんなも「ああ明日も仕事か」とか思っても頑張れるんじゃないかと。

今日のパフォーマンスは、みんなと繋がるよりも世界観というものがあって、そこの難しさがあったようだ。ただ、壁全体を使ったVJ映像やSEN MORIMOTOさんの音楽のグルーヴ感は勉強になったみたいで、いつか会場全体をプロジェクションマッピングで映し出してステージも客席も境目が無くなるくらいの一体感を作りたいとも言っていた。

これは凄い面白いと思う。teamLabとかとコラボしたり出来ないかなぁ。「そっちかぁと思っちゃうような事になるかも」なんて笑ってたが、僕らも「そっちかぁ」と笑って見守るスタンスが良いと思う。どんな表現、発言があってもそれは和田彩花の一面であって、全てじゃない。

そこは大前提で。

それから、このトークゾーンの中で「私はアンジュルムを独立させようとした」という発言があった。どのタイミングかは覚えていない。あまり前後の文脈もなく、サラッと入れてきた気がした。

でも、一瞬「おぉ……」とザワついた。

今、あらためて書き起こしながら考えると、あやちょが卒業前によく「夢から醒めた」という表現を使っていた。その夢というのがアンジュルムの独立だったのかもしれない。

「アンジュルムの独立」という字面だけ見ると如何にもセンセーショナルだ。僕ら世代だと『沈黙の艦隊』を咄嗟に思い浮かべる。日本初の原子力潜水艦が核ミサイルを搭載(実装してるかは不明)したまま日本から独立を宣言するという漫画だ。とんでもなく面白い。中学の時に読み込んで、これでイデオロギーのぶつかり合いとか政治の複雑さを学んだ。

そして、それを読んでいたからかもしれないが、あやちょの言う独立っていうのはハロプロを壊すという事じゃないと肌感覚で分かる。考え方、解釈の違いの中で新しい選択肢を提唱したいと思ったんだろう。

ただ『沈黙の艦隊』は大人達が自分の意思を持って、全員が同じ方向を向いていたから出来た。海江田というカリスマの下で同じ思想を共有し、全てを捨てて団結したから出来た事だ。

アンジュルムには15歳の子もいる。まだまだ多感で影響を受けやすく自分というモノ確立出来ていない中で、絶対的な存在から下される言葉は強烈だ。良い悪いの判断より先に受け入れてしまう怖さをあやちょは感じたんだろう。

それと2期、とくに勝田里奈の存在も大きかったかもしれない。たぶん彼女は独立よりも個人としての将来を優先しただろう。中西香菜も同様だったかもしれない。

あやちょはもう一つ、カントリー・ガールズの事もあったんじゃないかと深読みしてしまう。実情は知っていただろうし、未来に起こりうる事も朧気に危惧していたかもしれない。そこに対しての選択肢を与えたかったのかもしれない。ここは完全に個人的な印象と願望でしかないが。

和田彩花として、アイドルの解釈を広げるためにアンジュルムを独立させるという夢を持った。でも、アンジュルムは和田彩花の物じゃない。メンバーが居て、事務所のスタッフが居て、ファンが居て、全部が揃ってアンジュルムだ。

それを一人の意見で変える事はエゴでしかない。だから、ある時「夢から覚めた」のだろう。そして卒業を決めた。

そういう事だったんじゃないかなぁと思うのだ。発想としては面白いんだけどね。そんな選ばれなかった未来、アンジュルムが独立した世界線も体験してみたかったかも。

ベルト・モリゾとジェンダーとフェミニズム

最後にあやちょが紹介したい本として『マネとモダン・パリ』展の画集を持ってきた。あやちょが2010年にスマイレージとしてデビューしたての頃、東京駅でたまたま見かけたポスターに惹かれて入った展覧会。そこで運命の出会いをして、その後の美術への傾倒の切っ掛けとなった、まさに「はじまりの書」だ。

その看板作品として展示されていたのが《すみれの花束をつけたベルト・モリゾ》だ。あやちょは今もこの作品が一番好きだと言っていた。そして、ベルト・モリゾに関する作品群の評論などを大学でも進めていて、ただどうしてもモリゾの事を語る上で当時の社会情勢、とくに社会的性差という意味でのジェンダーの問題が関わってくる。

その頃からジェンダーやフェミニズムの事を同時に勉強しだしたみたいで、段々とそっち方面にばかり傾倒してしまい、美術史というより社会学とかの分野にブレてしまって、大好きな作品の「魅力」を伝えるよりも「社会的意味」とかを論じるような状態になって、大学の先生からも指摘を受けたらしい。ショックだったと言っていた。

そこからは切り分けて考えられるようになって、バランスも取れるようになったらしく、ジェンダーやフェミニズムに対する見かたも少し俯瞰で見れるようになったみたいだ。

それがこのインタビューの根幹だと思う。ふまえて読むと、より分かりやすいんじゃないだろうか。

和田彩花のオンラインサロン

50分くらいガッツリと語り尽くしたあやちょ。ここからは参加者が持ち寄った「自分が選択した切っ掛けの一冊」のプレゼンを一人ひとり行っていくコーナーになった。

この距離であやちょに自分の話をするという緊張感と喜び。こんな機会は今後あるだろうか? とんでもなく緊張はしたが、同時に想像以上の高揚感が参加者全員にあったと思う。

生い立ち、境遇から今の仕事の事、自分の悩みや性格の事を話しながら、人生で迷った時に出会った一冊や切っ掛けの一冊を紹介していった。ある人は感情の昂ぶりが抑えられなくなって泣いてしまったり、言葉に詰まってしまうこともあった。

でも、そんな時もあやちょは身を乗り出してジッと見つめて優しく微笑んで見守っていた。途中でこれはセラピーみたいだなと思った。アメリカの映画やドラマで薬物依存者や犯罪被害者の会とかで車座になって自分語りをして、拍手で終わるやつ。いつも見ててピンときていなかったんだけど、自分が似た状況に参加していて分かった。

否定ではなく無条件の肯定の共有というのは一定の癒やしになる。

誰も彼も きっとちがう同士
わかんなくても当然 ダイバーシティ
傷ついたら「傷ついたよ」と
伝えられたら

『46億年LOVE』が頭の中で再生される。あらためて、児玉雨子も凄い。

最近オンラインサロンが話題になったりしている。興味があって色々覗いてみたりはするが、ただどうもしっくりこない。それは結局、主催者へのシンパシーとコミュニティの雰囲気が合わないように感じるからだ。

そこに今回のイベントが開催され、参加して思った。和田彩花のオンラインサロンがあったら確実に入会するわ。今の事務所ならそういう活動だって全然OKでしょ。それもアイドルの在り方の広がりとして面白いと思うのだ。

やらないかなぁ。

最後に

プレゼント交換で、まさかの展開。全く考えても見なかった幸運が舞い降りた。信じられなすぎてリアクションも取れなかった。

大切に読みます。印象派はクロード・モネの「散歩 日傘をさす女」が好きなんだけど、これからはマネも勉強しようと思います。

しかし本当に運を使い果たした気分だが、これを運気向上の切っ掛けと思うように日々、生活していきますわ。


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