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『人生、すなわちパンタ・レイ』の事を考えたら、結局ニーチェに辿り着く

アンジュルムの最新アルバム「輪廻転生~ANGERME Past, Present & Future~」が名盤過ぎて鬼のように繰り返し、繰り返し聴いているのだが、その繰り返す循環の中で、やはり気になる曲として『人生、すなわちパンタ・レイ』を語らずにはいられない。

【パンタ・レイ】とは古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスの言葉である。冒頭、和田彩花による特撮のOPに見られるような大仰なナレーションで引用されたのが

魂にとって、水となることは死である。
また水にとって、土となることは死である。
しかし土からは水が生じ、水からは魂が生ずる。
~ヘラクレイトス~

つまり「万物は流転し、この世の全ては変わり続けて留まらず、やがて繰り返す」という思想であり、すなわち【万物流転=パンタ・レイ】である。

歌詞の中でも「わたし」が、変わっていく自分や周りが少し怖いと呟く。あんなに「粒あんとか意味わからん。はぁ?」とイキっていたゴリゴリの『こしあん派』だったのに、歳を重ねて今は「粒あんも意外と美味しいわぁ」なんて普通に粒あんを食べている事実に戸惑い、悲しいだのと思っても空はきれいだし結局ご飯は美味しいし、と次々と流れる感情の波に翻弄されている。

人生は「転がって、移ろって、そのたび彩りを加える」が、そこに変わらず存在する赤く燃える心。それこそヘラクレイトスの説いた「魂=火」であるのだ。ただ、「それがLOVE 愛はエタニティ(永遠)」とヒャダインは言うが、魂と愛はイコールなのかと聞かれると即答しかねる。

ヒャダイン、「結局はラブでしょ」言いたいだけちゃうん?なんてね。

ところで、そんなヘラクレイトスの思想に深く影響を受けたのがニーチェだ。彼の思想にも【永劫回帰】というものがある。「万物は全て同じ事の繰り返しで出来ていて、苦痛も幸福も無限に繰り返す出来事のひとつでしかない。グルグル回り続ける循環の世界で一喜一憂する事に意味なんて無い。だから踊ろう。クヨクヨしないで今を楽しんでいこうよ」というニーチェの思想は以前、『恋はアッチャアッチャ』の深読み解説で紹介して結構な反響を貰ったばかりだ。

まあ、『恋はアッチャアッチャ』は半分以上こじつけだけど、児玉雨子の詞の中で完全に『万物流転』『永劫回帰』をテーマにしているものがある。

アンジュルム『次々続々』だ。

これなんて、完全に「次々続々と押し寄せる出来事だけど、いちいち良いだの悪いだの言ってても仕方ない、今を楽しまなきゃ意味がないじゃん」「変わり続けられるという勇気も変わらぬままそこにあるという真理も、どちらも素敵だし生きている醍醐味なんだからやりたいように生きようよ」っていう最早、人間讃歌。いかにもニーチェの思想に基づいた歌詞で構成されている。改めて見ても、こんな歌詞を20代前半の人間が書いてしまう事に戦慄する。

アンジュルムと改名し、様々な人間が関わり出し、様々なアプローチから様々な楽曲が生まれてきた中で変わらず魂として存在した和田彩花が卒業する。魂が水となるように、アンジュルムから和田彩花は消えていくが、それは形を変えただけで、水から魂が生まれ出るのと同じようにアンジュルムには新たな魂の火が生まれるのだ。

新たなリーダーの元で新たなアンジュルムが誕生する。それが『人生、すなわちパンタ・レイ』なのだ。

和田彩花卒業に向けてのコンサートツアーは、図らずも『輪廻転生』と銘打っている。『輪廻転生』は仏教的な発想ではあるが、永劫回帰と考え方は似ている。ただ、違うのが仏教では輪廻からの『解脱』を最大の目的としている。「輪廻転生からの卒業」それこそソロアイドルとして生まれ変わる和田彩花がアンジュルムという輪廻の輪から脱する事を意味する。6月18日は「和田彩花解脱の日」という祝祭になるという事だ。

そしてニーチェは「世界は永遠にヘラクレイトスを必要とする」と言った。

この曲がいつ作られて、いつアンジュルムのアルバム収録曲となったのかは分からないが、和田彩花最後のライブツアータイトルが『輪廻転生』となって、最後のシングルで児玉雨子による『恋はアッチャアッチャ』において「問うな、ただ踊れ」と、まるでニーチェの思想をもとにしたかのような世界観が描かれた同時期にヒャダインこと前山田健一によって『人生、すなわちパンタ・レイ』というヘラクレイトスの思想を下地にした曲が作られたのは、果たして偶然なのだろうか?

なんて事をアンジュルムの楽屋で船木結と笠原桃奈が難しい顔して延々と話しているのを菩薩のように見守る和田彩花が目に浮かび、僕はフフフと笑うのだった。


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