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淡路島と沼島のひとり旅


誕生日の翌日、淡路島と沼島をひとり旅する。

いろんな人に一期一会で出会う旅。

四国の鳴門から沼島へのフェリーが出ている土生まではバスの接続が悪いため、貸切タクシーにした。鳴門駅に迎えにきてくれていた運転手さんは淡路島の玉ねぎを中心とした農業のことにやたらと詳しい。
玉ねぎの収穫をしていると止まってくれて写真を撮らせてくれたりする。

玉ねぎの収穫をする農家の方
鳴門を見下ろす高台にも巨大な玉ねぎが!
自販機にも玉ねぎが浸食


鳴門の橋をわたり、玉ねぎスポットで玉ねぎカツラをかぶって観光客をし、それから沼島へと向かう。
いく道、淡路島の海に迫る山の自然の豊かさに感心しながら、40分ほどドライブすると、沼島行きのフェリー乗り場に着いた。
タクシー運転手と別れ、国生み伝説の残る平たい島、沼島へと向かう。

沼島が見えてきた


10分ほどのフェリーから沼島港へと降りると、人はパラパラとしかいない小さな漁港。

沼島の漁港


沼島の漁港


鳴門をでた時は曇っていたけれど、今はすっかり晴れていて、暑い。
簡単な地図と看板を頼りに、上立神岩を目指す。
誰にも遭遇しない、舗装はされて歩きやすいものの、心細い道を、歩いていくと、誰もいないリサイクルゴミ処理場が眼下に見えてきた。島人は運ちゃんによると800人(あとで島人に聞くと今は400人だそうだ)。きっちりと空き缶がプレスされ、いろんなリサイクルゴミが種類ごとに分別されている。しかし人はいない。

誰とも遭遇しない山の道
リサイクルゴミ処理場(と思われる場所)



もう少し歩いていくと、小学校と中学校が一緒になった建物があらわれた。中からは何か音楽のようなものが聞こえてくるものの、人の姿はまったくない。ここまで人と会わないと、日本昔話かパラレルワールドにでも引き込まれたような不思議な感じだ。

人気のない小中学校


さらに木々の中を、舗装されているとはいえ、一人きりで歩く道は、だんだんと子供のように心細く、15分も歩いた頃、ようやく上立神岩の看板が見える。


そして波の音とともに、目の前に海が広がってきて、下り坂の向こうに荒い波が打ちつける太平洋。そして、黒い巨岩がいる・・・。巨大なダースベイダーの頭部だけが、鎮座しているような。圧巻、というよりも、ただ、恐ろしい。


そして左手には空に向かって突き出した30メートルの高さの上立神岩。これが、イザナミノミコトとイザナギノミコトが矛で海を掻き回して初めて国を産んだという伝説で、その矛先が残ったとされる例の有名な上立神岩に違いない。
その2つの巨岩に遭遇して、そして、たった一人でいると息ができないような、大自然の中に一人囲まれた時の、神との対峙の神聖さなど感じる余裕のない、その恐慌は、いったい何だろう?


私は、写真をとりあえず撮って、また一人として同類に会うことのない道を慌てて早足で、ほとんど逃げるようにして、引き返したのだった。

そして人里に帰ったほっとした後は、もう一つのこの島の目玉である、おのころ神社を目指す。神社ならもう少し人もいるかもしれない。
途中、島のおじさんが「神社にいくんか?」と親切に道を教えてくれ、ちょっと勇気がでる。
それから、薄暗い竹の林を滑りそうな湿気た石の段を登りながら再び何分も一人の人にも会わずにいく。

薄暗く湿った石の階段


人の手入れがない荒れた竹林ほど、侘しいものはないだろう。古い竹が何本も斜めに倒れかかり、この世の終わりを彷彿とさせる。カサっという音がして、ぎくっとして止まると、赤いカニがすっと岩の割れ目に隠れる。
なんだ、カニだったのか、とホッとすると共に、人がいないんだ、という感覚が際立つ。
再び心細さを押し殺して、永遠に続くかと思われる急な石段を、汗の匂いを感知してやってきた蚊を払いながら登っていく。その先に二神を祀っているというおのころ神社がある。
湿っていて、暗くて、暑い。汗がじんわりと湧いてくる。息がきれる。
そしてようやく辿り着いた神社は、古く小さな山の中の聖域だった。


こうしてみるときれいだけど
おのころ神社から下を見ると

神社に来るとどんな神社でも、とりあえず二礼二拝一礼して、亡くなった両親と友人の魂の平安と、残っている家族の健康を願う。裏に回ると、二神の石像があって、ちょっとまたほっとする。


怖い時、私は気を逸らすために写真を撮る。写真を撮るという行為は、大きな得体の知れないものが迫ってパニックになりそうな瞬間を避ける、という目的には役立ってくれる。

村に戻り、大自然と神と一人で対峙した達成感と疲れで一息つきたくなった都会人の私の前に、ちょうどよくバッタリカフェという茶店の幟が目に止まる。
そこには、移住してきたという女性がいて、淡路島牛乳のたっぷり入ったアイスカフェオレを飲みながら、女性は沼島の神話について思い入れもたっぷりに語ってくれた。私はようやく人心地つき、元気を取り戻して自分なりの小さな、でも貴重な冒険を語った。
女性は、年に一度の、国が生まれたというハエ(岩)の周りを5つの漁村の5つの漁船で回る、その儀式に立ち会って以来、感動してこの島への移住を決めたそうだ。その神聖な儀式は、やはり大自然の中で人間が暮らしていくための謙虚で切実な気持ちをあらわしている気がする。結局、私たちは自然の恵みを食して災害を避けながら命をつないできたのだ。

沼島は一人だったからこそ、豊かな経験だった。
友人と来ていたらまた別の楽しみがあっただろうし、ガイドがいたら情報も含蓄も増えただろうが、この恐れ多い感じ、緊張感はなかっただろう。20年前に屋久島の大自然を一人旅した時のことを思い出した。大雨にあって、さっきまで涼しげだった川が瞬時に茶色い濁流に変わるのを見たし、雷で携帯が恐ろしい色に光るのを見た。若かったからそこまで恐怖は感じなかったが、その時も感じたのは、やはり大自然の前では、人間はあまりにも小さいということだ。

沼島を離れた後、土生から、今日の宿、洲本温泉を目指す。コミュニティバスには地元男性が早々と降りた後、約1時間ほど、私しか客がいなかった。そういうわけで、ここでも運転手さんがおもてなし精神で、いろんな話をしてくれた。毎日山を2つ越えてバスを運転している時によく遭遇する鹿とか猪とか、それから、島の80%の産業を占めるという漁業とか、洲本が島の唯一の城下町だった、とか。そして2つの深い山を越える時にたくさんの野生の鹿たちに遭遇した。鹿はメスや子鹿で、車を見ても逃げようとせず、傍観している感じだ。山はどんどん深く険しくなり、緑が濃くなる。

その夜は、ミニ熱海といった風情の洲本温泉で一泊し、文明にほっとする。文明の中で生まれ育った人間にとって自然は大きすぎる。ここは人がいて温泉があって音楽が流れていたり、おしゃべりがあったりする、慣れ親しんだ世界だ。

洲本温泉街

翌朝、洲本バスセンターまで国道沿いを歩いていこうと思いたつ。
大きなトラックが爆音を立てて走るすぐ隣を、1人で20分か30分くらい歩く、そして歩道のすぐ下には海が迫っている、その感じがまたしてもなんとも緊張した。
ようやく洲本市街が見えてきてほっとした時、歩道の前方に黒い鳥がいる。カラスだ。ようやくトラックや車ではなく、生き物に遭遇した!と思ったのもつかのま、そのカラスは私がすぐそこにいっても飛んで行こうとしない。そして頭上には別のカラスがぎゃあぎゃあ騒ぎながら回っている。私はその細い歩道にいるカラスの向こうへといかないといけないのだが、どうやらそのカラスは怪我をしているか、子ガラスでうまく飛べないらしい。そのカラスに近づけば近づくほど、上のカラスが私の頭上に近づいてわめきたてる。子ガラスに害を与えるな!と警告しているのだ。私は頭をつつかれないかビクビクしながらどうにかこうにか子ガラスを通り過ぎた。すぐ横は断崖だから、カラスはそちらにも行けず、国道をわたって山側に避難するしかない。この車が絶え間なくスピードを出して走っている車道をどうやって辿り着くのか、私は気が気でなく、轢かれるところを見たくないから後ろを振りかれないまま歩いていると、一台の大型トラックがものすごい警笛を鳴らして通り過ぎていった。ああ、もう轢かれたかもしれない、と恐る恐る振り返ると、黒い小さな鳥は弾けるように転がって山側までどうにか辿り着いた。それから何度かコンクリートの塀へとジャンプして、ようやく緑のしげる草むらへと姿を消した。私はほっとして、よかったね、よかったね、と何度も呟き、そして涙を流した。
最愛の人たちや動物たちの、命の消えるはかなさを、ここ数年いやというほど味わわされた私にとって、今、黒い小さなカラスという命が生き延びたことが本当に嬉しかったのだ。

大自然と神と、小さな命。人々の無心の親切。この島の一人旅は豊かだった。


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