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レコードの小話

はじめに


レコードブームが巻き起こってから数年が経過した。ネット上では「ブームは嘘」「ブームは終わった」等の言説が流れているが、都心のレコード店が愛好家たちで賑わっているのを見るとそれらへの惑いを紛すことができる。トレードを念頭に置いている方からするとそうは言っていられないだろうが、、、。

筆者がレコードに関心を持ち始めたのは4年前のことである。初めて入手したレコードは常田大希率いるmillennium paradeの「Fly with me」の12インチシングルだったと記憶している。

この新譜のレコードをきっかけに、過去作品の中古レコードにも手を出し始めて現在に至る訳である。振り返れば4年間の大学生生活はレコードで始まりレコードで終わったといっても過言ではない。そんな節目に「レコードについての文を書こう」と筆を執った次第である。

一般的に挙げられるレコードの良さ

レコードの良さとしてよく挙げられるのは「音質がいい」という点だろう。「CD・配信音源のデジタルではカットされる音が収められている」という性質から音質面ではアナログの方がデジタルよりも軍配が上がるという話である。デジタル音源と比べると「音に温かみがある」と言われる場合もある。

しかし、私はこの俗に言われている「レコードはアナログだから音がいい」という流れに迎合することができない。実際はそう言い切れるものではないからである。

新譜の盤・リイシュー盤 (過去作品を後年再度刷ったもの)に限った話だが、それらはどこかの段階でデジタル処理を通している。昨今発売されているレコードは音源を盤に刻む前にデジタル処理 (録音やマスタリング)が行われていることがほとんどである。要はレコードという媒体だけがアナログということである。アナログの音の良さを求めて購入してもそれはデジタルな音源である可能性が高い。

ではデジタル処理が登場する前のアナログの時代、1980年代より前に刷られたレコードはどうだろう。この時期に生産されたものは完全にアナログであると言っても差し支えないだろう。ここまでの話を踏まえると、「この時代のレコードを購入すれば、真にアナログの音の良さを手に入れられるのでは?」と感じるかもしれない。

しかし、そう単純な話にはならない。レコードにはオリジナル盤 (楽曲・アルバムを発表した年に刷られたもの)という、書籍の初版に当たるものがある。事実としてオリジナル盤は音が良いらしい 。

だが、このオリジナル盤の中でも工場生産の段階によって音質に違いが出てくるのである。詳しい話は長くなるため割愛するが、平たく言えば「第何次生産か」という話である。これはレコードの中心に刻まれたマトリクス番号が見分ける指標の一つとなる。

コレクター達はこの番号で見分け、真に音の良いとされる盤を探すのである

第1次生産が最初期に刷られたため音の解像度がはっきりしていて音が良いという意見もあれば、第2次生産の方が出来が良いという意見もある。初版がリリースされた年の中でもいつ生産されたかが重要になってくるのである。

また、これはミュージシャンの出身国で刷られた本国盤の話である (ビートルズならイギリスなど)。当時は他国でレコードを刷る場合、本国の録音テープをコピーしてそれぞれの国に送っていた。日本で刷られた海外ミュージシャンの国内盤もそうしたコピーテープを基に刷られた場合が多い。このプロセスを踏むと、これもまた本国盤とは異なった音質になる。音質の変化は「本国盤と比較すると聴くに堪えない」と評される場合もあれば「本国よりも音質が向上していて素晴らしい」と好評の場合もあり、評価はまちまちである。

完全アナログ時代に刷られたレコードであれば、デジタルとは異なった音の世界で十分楽しめるかもしれない。しかし、傍らで繰り広げられている音質の良し悪しを巡る争いが目障りになることもある。音質の良し悪しのわからない知らない者が好んで評論家や評論家気取りのいる魔境の世界に飛び込む必要はないだろう。

音質の感じ方

ここまで長々とレコードの音質について述べてきたが、要は「くそめんどくさい」のである。次に音質の事実から離れて人間の感覚についてもお話したい。

人間の認識とは案外曖昧なものである。周りが「レコードは音が良い」と言っているからそう感じるということもある。あるいはレコードをクリーニングし、針を落とすという手間をかけたから音を良く感じるということもあり得る (海の家で食べる安ラーメンがおいしく感じるのと同じでシチュエーションに乗せられる)。

新譜の盤・リイシュー盤がデジタルな音源であったとしても、アナログな音であると認識してしまうのもそういった現象に分類できるだろう。また、音質が良いという明確な事実があったとしても、意見が分かれることが少なくない。純粋なアナログレコードの中でも評価は様々であるというのがそれを示していると言えるだろう。

これら二つに共通していることは、いくら客観的なデータを並べても最終的には主観的な人の感じ方が優先されるということである。人の感じ方は環境次第で大きく変化する。もし目隠しをした状態でデジタル音源のレコードとハイレゾ音源を聴き比べた場合、明確に区別できる人はそう多くはないはずである。

音質以外でのレコードの魅力


こういったレコードの世界の実情を無視して、「レコードの良さは音質!」と誘い込むやり口には辟易してしまう。そのため本稿では「音」以外でレコードを楽しむ方法を提示したい。それはレコードを媒体としてではなく、骨董品や文化遺産的な「物」として楽しむ道である。この場合、音質の追求の優先度は極めて低い、または考慮しないということとなる。デジタルなものをアナログと信じ込むことができる人、音質戦争に身を投じることのできる人とは相反する立場である。しかし、そういった流れに迎合できそうにない、できなかった者たちへの救済措置として私はこのスタイルを推したい。より単純に、深く考えないで、低次元的にレコードを楽しむ方法を記していく。

ジャケットを楽しむ

いきなり定番すぎる魅力を紹介で、肩透かしを食うはめになった方もいるかもしれない。しかし、大きなジャケットは置くだけで存在感があるというのは大きな魅力である。絵画鑑賞のように楽しむも良し、インテリアとして飾るも良しである。

名ジャケットは置くだけでも趣がある

盤ごとの違いを楽しむ

盤ごとの差異を楽しむというのは音質の話と重なる部分があるが、ここでは「物」としてのレコードに着目したい。音質は優劣の話に発展することが多いが、物としての作りに関する話はそういったことにもつれ込むことが少なく、ややクリーンな印象を受ける。物とはレコード盤本体、ジャケット、インナースリーブ (レコードの内袋)などレコードの付属品を指す。

レコード盤本体から時代背景が垣間見えることもある。例を挙げると「A面の裏にD面が刻まれている2枚組レコード」というものがある。通常、1枚目のA面を聴き終わったらひっくり返してB面、その後2枚目のC面、D面と聴いていくものである。A面の裏にD面では実に聴きづらい。しかし、これは当時 (1970年代)のレコードのかけ方が関係している。70年代は「オートチェンジャー」と呼ばれる自動でレコードを切り替えるプレーヤーが普及していたようである。そのため自動切り替えシステムの都合上、A面の裏にD面という仕様になった。これは米国盤に多い特徴である。

また、レコードに収録されている曲の順番が入れ替えられている、除外されているということもある。Pink Floydの1st「The Piper at the Gates of Dawn」はアメリカ盤と本国盤 (イギリス)で仕様が大きく異なる。曲順の入れ替え、収録されていない曲が存在したりと、同じ表題のアルバムでも受ける印象は変わってくるだろう。Nirvanaの1st「Bleach」のイギリス盤も「Love Buzz」が除外され、「Big Cheese」が代わりに収録されている。


ジャケットは国・年代ごとに違いが現れやすい。元のデザインと差し替えられている盤も多く存在する。Jimi Hendrixの「Electric Ladyland」などはその最たる例かもしれない。これはジャケットがアメリカ、イギリス、日本で大きく異なっている。特にイギリス盤はいわゆる「ヌードジャケット」(全裸女性が並んでいる)と呼ばれるもので、本人も難色を示していたとかなんとか。

付属品繋がりで、国内盤の帯・チラシも魅力的である。帯の今風ではない絶妙な言い回しはクセになる。

「聴いてみないか」
「結成10周年」、今やここに掲載されているバンドはどれも結成から半世紀は経過している

こういった特徴を見つけ、当時の暮らし、業界事情に思いを馳せるというのもレコードの一つの楽しみ方であると私は思う。音楽を楽しむというよりは、博物館の展示物を鑑賞するような楽しみ方ではあるが、、、。歴史オタクには適性があるかもしれない。

前所有者の痕跡を楽しむ

これは前項から発展した話であり、人を選ぶ楽しみ方であるとは思う。加えて中古レコードに限った話である。中古レコードを漁っていると、稀に前所有者の名残を見つけることがある。不要になった広告紙等を使って、レコードの重みでジャケットの底が抜けないよう防いでいるもの (物を大事にするマメな人物だったのかと想像できる)や、そのミュージシャンのライブチケットの半券が入っているもの (ライブに行くくらい好きだったことが窺える)、はたまた謎の書き込みがされているもの (物は大事にするという意識は低い)など様々である。

中古販売店が書いた可能性は大いにあるが、何を示しているのか、、、

ジャケット、ライナーノーツ (アルバム・ミュージシャンの解説冊子)を自作してしまう人もいるようである。その人のセンスや趣味が発揮されていて、これはこれで面白い。

中古レコードを前所有者から、あるいは複数の所有者から受け継がれてきたものとして見るとまた異なった魅力を感じるものである。

おわりに


本稿はレコードを音質面で異常に持ち上げる昨今の流れから離れて楽しむ術を書き連ねたつもりだったが、正直効果的な魅力的な術を提示できたとは言い難い。また、詰まる所これは「音質の良し悪しがわからない者の開き直り」である。「ただ物として好き」にはいかなる意見、批判も通じない。実に幼稚なスタンスである。この立場を取ってしまえば、音質についてあれこれ語ることは許されないだろう。しかし現状「音質」を諦め、「物」としてレコードを消費しながら「エモさ」を感じていくことが最適解ではないのかと私は常々思うのである。そうして今日もレコード売り場を漁っていく、、、。

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