マガジンのカバー画像

過ぎてく日に走り書き

24
運営しているクリエイター

#日記

娘の築いた時間と父

「おとうは出てこないで」 小学二年生の娘は、その体に不釣り合いな大きな掃除機を抱えて、せっせと掃除に励んでいる。自分がこれから使うところだけ。 秋晴れの清澄な空気がカーテンレースをほどよく揺らす。ずっとそこに居座るように見えた入道雲はいつの間にか姿を隠していた。 娘が友達を家に招待した。 学区内の保育所に入れず、彼女は誰も友達のいない小学校に入学した。周りは既に友達のコミュニティが出来上がっているなかで、他人なのは彼女だけだった。 学区が違ってもすぐに友達はできるか

歳をとるということ

「人を想う」のはJTだけではない。そんなことにふと気づいた。 知り合いにお薦めの本を貸すという話。 お薦めを聞かれるという経験は多くの人にあると思う。僕もこれまで何度か、映画や音楽、飲食店、服、車・・・とお薦めを聞かれては答えてきたのだけど、今回はこれまでと違った気がする。 本を読まない職場の後輩。その子に小説を貸すことになった。 先輩にすすめられて、嫌だけど、読まなきゃ。みたいになるのは嫌。だけど、これを機に本が好きになってくれたらいいなと、本棚の前で、頭を捻る。どん

ステイマンの賞味期限(子育ての話)

夜な夜な現れては、家に散らかるオモチャを捨てる”清潔の怪人ステイマン”。 「オモチャ片付けんと正義のヒーロー ステイマンが来るよ」と言うと、子供たちは「ヒーローじゃないし」とか「どうせ おとうじゃろ」とかくちごたえしながらも、玩具をちゃんと片付けていた。 なんといいアイデアを思いついたものだと自画自賛していた……が、時が経つにつれ、ステイマンの存在意義は怪しくなった。 彼らが片付けていなくても、先週の誕生日に買ったロボットをゴミ箱に捨てることなんてステイマンには出来ない

SAUNA

覚えていて悲しんでいるよりも、忘れて微笑んでいるほうがいい。 ネットで見つけたイギリスの詩人の素敵な言葉。 地獄のような熱い部屋にどうしてお金を出して入るのか。 そこに入れば本当に痩せるのか。 お洒落キーワードである”北欧”感に惑わされているだけではないのか。 忘れ物を取りに行くのはスポーツ選手だけなのか。 僕が年を経て見つけた忘れ物がサウナにありました。 思い起こせば小学生の頃、父親がやたらとサウナに入ってて。何故おっさんは熱い部屋に行きたがるのか。幼い僕にとってはそれ

D I Y

目に見えるものが真実とは限らない。 お手軽なのは本当なのか。 買った方が安くなるんじゃないか。 ネットに載っている作品はプロの仕事ではないのか。 DIYの世界にようこそ。 これくらいなら自分でもできそうと思うことがたまにある。 多くの場合それは万能感という名の錯覚で大人になれば気がつけるはずなのに、将来の夢は野球選手だと書く小学生のように根拠はないけど出来る気がした日曜日。 そんな時は止まっちゃだめだよ。non stop boysですよ。と誰にいうでもなくコピー用紙

半年に一度だけの短い言葉

いつも決まったタイミングで連絡をくれる人がいる。 そしてそれは決まって半年に一度。 それは何かの記念日ではないし、その人に関係する日でもない。しかも、送られてくる文章はいつもかなり短い。 * その人と初めて会ったのは、前職の会議室だった。その人は遅れてきたのに、椅子に座るなり、がっしりした胸板のまえで腕を組むと、早くも退屈そうにうっすらと目を閉じた。近寄りがたい独特の雰囲気があった。自分に自信がある人。僕にはそう見えた。 実際、仕事をテキパキとこなし、若くして出世して

言葉を紡ぐのは誰のため?

最近、日記を始めた。 特に何かがあったと思ってなかった一日なのに、書き始めると意外にすらすらと文章が続く。 その時には曖昧だった感情が文章になると「あぁ僕はそう思ってたんだ」とか、「だからこう感じたのか」とか、自分のことなのに他人ゴトというか、「あぁ」って腑に落ちることが多々ある。 案外自分のことは知らないもんだし、わかんないもんだ。 感情は輪郭がないから曖昧に揺れる。揺れた感情は仕事に追われて薄れていくし、それでもいいのだろうけど、揺れた理由を知るのもいい。 自分

余白と怠惰に誰か線を引いてくれ

余白。何も記されないで白いまま残っている部分・・・らしい。 あまりにも物理的な解説。さすが辞書。 * 白い紙は隙間なくぎっしりと埋め尽くされている。 予定と感情ではちきれそうだ。 次のことをしなきゃ。あれもしなきゃ。これもしなきゃ。 なにかに強迫されるように動かされる。眠るのが惜しい。 表が華麗なほど裏は大変だったりする。 辛い日常があるから開放的な非日常が魅力的に映る。 辛さと喜びと。悲しさとうれしさと。切なさと幸福感と。 裏があるから表が成り立つように思えるなんて

慣れは麻酔のように曖昧な味

君がおばあちゃんになったとき、どんな顔をしているんだろう。 僕には見られないのかな。 人間ドックの結果が書かれた紙を見たときに、そんな思いが最初にすーっと浮かんできた。 もし感覚を何か一つ失わないといけないとしたら何が嫌だろう。くだらない仮定の話だと知りながら、想像したことがある。僕は視覚だった。 でもそういうのって不思議とそうなるのが憎たらしい。最初に失うのは「見ること」になるかもしれない。神様はかなり天邪鬼だ。普段は祈りを捧げないし、存在を思うことすらないのに、こう

パーティイズオーバーだ!っだっだっだっだん

”それ”はいつからだったのか僕にもわからない。 たぶんずっと前からだったと思う。 ”それ”がどうして起きたのか。それすら僕にはわからない。探せば納得してもらえそうな理由を並べられそうだけど、それは全てではない。 そして”それ”がいつ終わったのかもわからない。 家族とサザエさんを見ている時だったかもしれないし、CMで流れたアップテンポな曲を聴いた時かもしれないし、あなたのなかで爆ぜた時かもしれない。 ”それ”は”悲しみを潤んだ絶望”だった。 * 成りたい姿がある。