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過ぎてく日に走り書き

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#優しさ

娘の築いた時間と父

「おとうは出てこないで」 小学二年生の娘は、その体に不釣り合いな大きな掃除機を抱えて、せっせと掃除に励んでいる。自分がこれから使うところだけ。 秋晴れの清澄な空気がカーテンレースをほどよく揺らす。ずっとそこに居座るように見えた入道雲はいつの間にか姿を隠していた。 娘が友達を家に招待した。 学区内の保育所に入れず、彼女は誰も友達のいない小学校に入学した。周りは既に友達のコミュニティが出来上がっているなかで、他人なのは彼女だけだった。 学区が違ってもすぐに友達はできるか

そして夫婦になっていく。たぶん。

「私は君に優しさを全くあげていない」 何の脈絡もなく妻が僕にいった。 付き合って十年、結婚して八年を経た妻からの言葉だからなかなか痺れた。 「あげていないと思う」 妻はくりかえした。 「確かに少ないな」 僕は笑った。 「私は人のために生きられない。あなたに寄り添ってあげられない」 妻は寂しそうにいった。 夫としてはなかなか衝撃的なカミングアウトを受けたわけだが、僕が感じたことは違うところにあった。 「僕もそれ思ったことあるな」 妻は不思議そうに僕をみた。 「人

ライトとレフトと時々ストレイト

信号が青から赤に変わった。 薄い青色の空が冬が近づいていることを教えてくれる。 イヤホン越しに響く五、六年前に流行った歌を懐かしみながら、買ったばかりのグレープフルーツジュースを片手にぼんやりと信号が変わるのを待つ。 無精ヒゲを生やしたおじさんがなにやら話しかけてきたのでイヤホンを外した。 「●●っていうラーメン屋がこの辺にあるって聞いたんだけど」 イヤホンをつけてない人が周りにいっぱいいて、それでも僕に聞きたかったことはラーメン屋の場所で。その感じが少し面白くて笑い

言葉のお暇

言葉ってとても難しい。だけど相変わらず好きだし、時々呆れることすらある。形も責任もないのに、なんなら空気の振動なのに、どうして胸に響くんだろう。 (最後に追記)書いてたら途中から言葉の話ではなくなりました。コトバは関係ない。本文とは関係ない。 モノを売るために言葉が不可欠な時代だと思う。言葉があってもなくても機能自体は何も変わらないのに、その背景を伝える言葉があるだけで欲しくなる。むしろ言葉がないと買わない。 歌も言葉は大事だ。”歌詞”という単語すらある。同じメロディで

そそいで。溢れるくらいでいいから。

優しさは減る 昨日もらったのにあさってには忘れたりする 愛も減る あったはずなのに馴れると置いてけぼりになったりする 苛立ちだけは足し算で膨れる 望んでなかったはずなのに応じてしまう 阿呆らしい共同作業 期待すると疲れる だから嫌になる。そんな時もある 文句は笑い話の時にさりげなく 笑えば許せるときもある 苛立ちにリミットがないように 優しさや愛情にも上限はない 忘れんぼだからたくさんあげといた方がいい 無理じゃない 笑