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過ぎてく日に走り書き

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#エッセイ

娘の築いた時間と父

「おとうは出てこないで」 小学二年生の娘は、その体に不釣り合いな大きな掃除機を抱えて、せっせと掃除に励んでいる。自分がこれから使うところだけ。 秋晴れの清澄な空気がカーテンレースをほどよく揺らす。ずっとそこに居座るように見えた入道雲はいつの間にか姿を隠していた。 娘が友達を家に招待した。 学区内の保育所に入れず、彼女は誰も友達のいない小学校に入学した。周りは既に友達のコミュニティが出来上がっているなかで、他人なのは彼女だけだった。 学区が違ってもすぐに友達はできるか

歳をとるということ

「人を想う」のはJTだけではない。そんなことにふと気づいた。 知り合いにお薦めの本を貸すという話。 お薦めを聞かれるという経験は多くの人にあると思う。僕もこれまで何度か、映画や音楽、飲食店、服、車・・・とお薦めを聞かれては答えてきたのだけど、今回はこれまでと違った気がする。 本を読まない職場の後輩。その子に小説を貸すことになった。 先輩にすすめられて、嫌だけど、読まなきゃ。みたいになるのは嫌。だけど、これを機に本が好きになってくれたらいいなと、本棚の前で、頭を捻る。どん

ステイマンの賞味期限(子育ての話)

夜な夜な現れては、家に散らかるオモチャを捨てる”清潔の怪人ステイマン”。 「オモチャ片付けんと正義のヒーロー ステイマンが来るよ」と言うと、子供たちは「ヒーローじゃないし」とか「どうせ おとうじゃろ」とかくちごたえしながらも、玩具をちゃんと片付けていた。 なんといいアイデアを思いついたものだと自画自賛していた……が、時が経つにつれ、ステイマンの存在意義は怪しくなった。 彼らが片付けていなくても、先週の誕生日に買ったロボットをゴミ箱に捨てることなんてステイマンには出来ない

take you to good places

風に揺られてふわふわと雪が舞う。 雨のようにじめじめとしていなくて、雲の合間からは陽の光が差し込むし、何よりも季節を感じさせる光景だから親しみと暖かみを感じる。 だから食べ過ぎで膨れたお腹を軽くしようかと、散歩に行こうなんて思ってしまうんだろう。ドアを開けた瞬間の吹きつける風の冷たさに、ああそうだった。これが冬でしたよねと思いだして後悔する。憧れは妄想、吹きつける風と雪の冷たさはリアル。 非日常なリアルが続いた今年にも年末はやってきて、我が家から大掃除がなくなることもなか

SAUNA

覚えていて悲しんでいるよりも、忘れて微笑んでいるほうがいい。 ネットで見つけたイギリスの詩人の素敵な言葉。 地獄のような熱い部屋にどうしてお金を出して入るのか。 そこに入れば本当に痩せるのか。 お洒落キーワードである”北欧”感に惑わされているだけではないのか。 忘れ物を取りに行くのはスポーツ選手だけなのか。 僕が年を経て見つけた忘れ物がサウナにありました。 思い起こせば小学生の頃、父親がやたらとサウナに入ってて。何故おっさんは熱い部屋に行きたがるのか。幼い僕にとってはそれ

D I Y

目に見えるものが真実とは限らない。 お手軽なのは本当なのか。 買った方が安くなるんじゃないか。 ネットに載っている作品はプロの仕事ではないのか。 DIYの世界にようこそ。 これくらいなら自分でもできそうと思うことがたまにある。 多くの場合それは万能感という名の錯覚で大人になれば気がつけるはずなのに、将来の夢は野球選手だと書く小学生のように根拠はないけど出来る気がした日曜日。 そんな時は止まっちゃだめだよ。non stop boysですよ。と誰にいうでもなくコピー用紙

サッカー部からバレー部員になった話

高校に入り、暇を持て余した僕の元に知らない先輩がやってきた。その理由は僕らが暇を持て余していると噂で聞いたから。 僕は同じ中学サッカー部出身の三人とつるみ、アフタースクールをゲーセンに通って過ごしていた。 そんな僕を勧誘に来たのは短髪の男子バレー部キャプテン。 身長170cm。友達なんて165cm。高校バレーでは不利になるほど小さい。そんな僕らをキャプテンが誘いに来た理由はただ一つ。新入部員が一人もいなかったから。 中学のサッカー部はそれなりに強かった。県で二番になっ

半年に一度だけの短い言葉

いつも決まったタイミングで連絡をくれる人がいる。 そしてそれは決まって半年に一度。 それは何かの記念日ではないし、その人に関係する日でもない。しかも、送られてくる文章はいつもかなり短い。 * その人と初めて会ったのは、前職の会議室だった。その人は遅れてきたのに、椅子に座るなり、がっしりした胸板のまえで腕を組むと、早くも退屈そうにうっすらと目を閉じた。近寄りがたい独特の雰囲気があった。自分に自信がある人。僕にはそう見えた。 実際、仕事をテキパキとこなし、若くして出世して

1gの愛と1ccのしあわせ

愛してるなんて簡単に言う言葉じゃない。だって愛ってなんなのかよくわからなかったから。好きとは違うように思えた。がんじがらめにされるような、もっとずっとずっと強くて重苦しい感情だと思っていた。 離婚を伝えるワイドショーが結婚会見時の映像を流す。愛しているって言ってた人たちが当たり前のように別れる。 愛という言葉を使う人は無責任で軽い人。そう思っていた。だからプロポーズの時も使うことはなかった。 「愛」とか「しあわせ」とか抽象的で形がなくて、なのに揺るがないような強さを感じ

そして夫婦になっていく。たぶん。

「私は君に優しさを全くあげていない」 何の脈絡もなく妻が僕にいった。 付き合って十年、結婚して八年を経た妻からの言葉だからなかなか痺れた。 「あげていないと思う」 妻はくりかえした。 「確かに少ないな」 僕は笑った。 「私は人のために生きられない。あなたに寄り添ってあげられない」 妻は寂しそうにいった。 夫としてはなかなか衝撃的なカミングアウトを受けたわけだが、僕が感じたことは違うところにあった。 「僕もそれ思ったことあるな」 妻は不思議そうに僕をみた。 「人

夢はみんなでオムライスを食べること

”ゆたかさ”とはなんだろう。 欲しいものをあげれば息つく暇もなく溢れ出す。かっこいい車、バイク、テントサウナ、コンクリートの車庫、倉庫、薄い備前焼の皿、炭酸メーカー・・・・。 全て欲しいしあれば嬉しい。 でもそれを手に入れたら、更に欲しいものがきっとでてくる。 それを求める僕の心境ってあまり”ゆたか”ではないように思う。 ご飯を食べれて、お家で眠れて、子どもたちがすくすく育つ。 時々だから嬉しく思える旅行や外食ができるゆたかな生活。 さらに、みんなでオムライスが食べれ

言葉を紡ぐのは誰のため?

最近、日記を始めた。 特に何かがあったと思ってなかった一日なのに、書き始めると意外にすらすらと文章が続く。 その時には曖昧だった感情が文章になると「あぁ僕はそう思ってたんだ」とか、「だからこう感じたのか」とか、自分のことなのに他人ゴトというか、「あぁ」って腑に落ちることが多々ある。 案外自分のことは知らないもんだし、わかんないもんだ。 感情は輪郭がないから曖昧に揺れる。揺れた感情は仕事に追われて薄れていくし、それでもいいのだろうけど、揺れた理由を知るのもいい。 自分

ミテクレに踊る

雑貨屋を兼ねているお洒落なカフェに行った。 波佐見焼とか全国各地のお洒落な陶芸食器を置いてて。とてもお洒落で。備前焼ってこんな綺麗なものもあるんだとか、ちょっとした発見もあって。 カフェで頼んだカレーは玉ねぎを粗めに擦ったシャラシャラって食感で。レンコンの素揚げももちろん入っていて。 言葉で味を想像できる ”The お洒落なカフェのカレー”。 なんだろう。 この感じ。 想像できるこの感じ。 東京でも岡山でも鹿児島でもきっと同じ。見た目も味もセレクトも。 コーヒ

ライトとレフトと時々ストレイト

信号が青から赤に変わった。 薄い青色の空が冬が近づいていることを教えてくれる。 イヤホン越しに響く五、六年前に流行った歌を懐かしみながら、買ったばかりのグレープフルーツジュースを片手にぼんやりと信号が変わるのを待つ。 無精ヒゲを生やしたおじさんがなにやら話しかけてきたのでイヤホンを外した。 「●●っていうラーメン屋がこの辺にあるって聞いたんだけど」 イヤホンをつけてない人が周りにいっぱいいて、それでも僕に聞きたかったことはラーメン屋の場所で。その感じが少し面白くて笑い