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そして夫婦になっていく。たぶん。

「私は君に優しさを全くあげていない」
何の脈絡もなく妻が僕にいった。

付き合って十年、結婚して八年を経た妻からの言葉だからなかなか痺れた。

「あげていないと思う」
妻はくりかえした。

「確かに少ないな」
僕は笑った。

「私は人のために生きられない。あなたに寄り添ってあげられない」
妻は寂しそうにいった。

夫としてはなかなか衝撃的なカミングアウトを受けたわけだが、僕が感じたことは違うところにあった。

「僕もそれ思ったことあるな」

妻は不思議そうに僕をみた。

「人のためにできることはあっても 人のために生きることができないって歌があって」

僕がいうと、妻は誰の歌かと訊ね、スマホで歌詞を読み始めた。彼女が読み終わるのを待って僕はつづけた。

「誰か一人の命と引き換えに世界を救えるとして……っていう曲も聞いたことあるでしょ」

妻はうなずいた。

「僕は命なら差し出せるかもしれないけど、人のために生きることはできないなって思った」

「どうして?」
妻が訊ねてくれた。

「生きることは続くから。命なら差し出したらそこで終われるから。続くと考えるとどうしても損得だったり、しょうもないことを考えちゃう」

妻と僕はいちいち違う。
社交性の高い妻、他人と会話をしようとしない僕。
自分のことが好きな妻、自分への評価が低い僕(低すぎると妻に呆れられている)。
椎茸が好きな妻、嫌いな僕。
うっかり八兵衛な妻、心配症な僕。
すぐ寝れる妻、寝つきの悪い僕。

考えればキリがないくらい違う。

妻が子どもに苛立っているとき、僕が穏やかだったり、その逆もあったりする。

結婚しても相手に全てを捧げるのは難しく、相手に求めすぎるとうまくいかない(僕らもそういう時があって、僕らはそれを「冷戦」と呼ぶ)。

結婚ってなんだろうとふと思った。恋愛とは違う。そこにあるのは拘束なのか足枷なのか。個々をみるといろいろあるけど総じてみれば「良いものだ」と思う。帰る場所があることはきっと当たり前ではない。

妻と付き合うことを想像すらしていなかった友達時代、妻がいった言葉を今でも覚えている。

「結婚したら、その人と恋愛し続ければいいんだよ」

考えたことない発想だったから、当時は素敵な考え方だと思ったし、妻の好感度を上昇させた言葉だが、「あなたに寄り添えない」という言葉を聞いた今は警告だったのかもしれないと苦笑いをしてしまう。

恋愛のようにお互いを尊重しながら日々を同じ家で過ごす。
それが続けばいいんだろうな。

プロポーズをした時を思い出した。
「結婚してください」に続けた言葉は「あなたを幸せにできるかわからないけど、僕は幸せになれる気がする」だった。

そして面倒くさい僕に付き合ってくれているんだから、まあそうなんだろうなと思う。

「だから、それでいいんじゃない。だけどもう少し僕に優しさを頂戴」
僕は笑いながら女々しいことを力強くいった。

「ごめん」といって妻は笑った。

ごめんの後に続く言葉が「頑張る」なのか、「無理」なのか。けっこう大事なところだが、それは訊ねないことにした。

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