脳内恋愛をしたことがあります
その人は、同じ会社に勤めている人でした。
仕事上の接点はほぼなく、複数人を宛先としたメールの宛先に、彼が入っていたことがあったのが数回。そんなレベル。彼は私の顔と名前を認識していません。
そんな彼を、ふとしたことがきっかけで目にしました。
過去の経験から、私が持っているセオリーの一つに『少し距離のある状態でじっと目が合うと、そしてそらさずにいると、相手が勝手に意識する』というのがあります。
それこそこのセオリーの最初の成功体験は高校生にまでさかのぼりますが、要所要所でそういったことはあったので、これはきっと普遍的なものなのだろうと思っていたりします。
で、彼を意識したのもそんななにかのタイミングでふと見つめたことが最初でした。
ちなみに目が合う、ということは当然相手も自分を見ているわけで、大事なのは目を合わせることより、そらさないことなのかもしれません。
その時はじめて、私は、彼がタイプの顔をしていることに気がつきました。
当時私はとても活気のある、若い人も独身者も多い会社に勤めていたので、タイプではなくとも圏内の人には困らない環境でした。
そんな中でも、なにかちょっといいなと思える、ツボを刺激する何かを彼は持っていました。それが互いに生まれるのが恋愛なんでしょう。
そこからの毎日は、それは楽しいものでした。
私には当時彼氏がいましたが、同じ会社ではなく、また双方当時は仕事に時間を割いていたので、会うのは週末のどちらかだけ。平日はいてもいなくても同じという人でした。(本命の彼は精神的なものを支える人ではなかったので、連絡もとっていませんでした)
また、当時の彼氏は私への興味が薄いというか、私でなくてはならない何かがありませんでした。
彼にはきっと恋人が必要で、私は今その立場だけども、それは別に他の誰でもいいんだろうな、という感じ。
私としても、そこまで熱を入れて付き合っているわけでもなかったので、平日はあっという間に過ぎ、週末のどちらかで会うタイミングだけ女になるような生活でした。
それを変えてくれたのが、彼でした。
彼を意識し出してからというもの、髪の毛や服装にも一定の気遣いをするようになりました。
社内で偶然会うことがあるかもしれない、その時に後悔する自分でありたくないからです。完全に、恋する学生の脳内です。
私は人生で一度だけすっぴんで会社に行ったことがありますが、この時期には絶対にそんなことをしませんでした。そんなこと、考えられません。
そうこうする私の日常はどうだったか。
たとえば、社員食堂で彼を見かけることがありました。
当時、その恋愛ごっこを一緒に楽しんでくれる友達がいたので、私たちは彼を見かけた時間帯を狙い、ランチに出るようになりました。
ランチが終わるとその友達とお茶をし、脳内恋愛ごっこを現実世界に少しだけ引っ張りだし、すれ違う奇跡を願う高校生のように盛り上がりました。
日常が、キラキラしました。
例えば通勤の間、ランチに行く寸前、そういった何気ないすきまの時間に楽しみがひそむようになりました。
恋人がいても、彼では決して味わえなかった感情です。
いや、恋人である彼に対しても、感じていた時期はあったのです。
なので正しくは、それを久しぶりに、職場の脳内恋愛の彼が思い出させてくれました。
その後。
あまりよく覚えていませんが、恐らく私の部署異動がきっかけで、まず、共に盛り上がっていた友人との距離が少し遠くなりました。
そして何より私が結婚しました。
結婚それ自体よりも、結婚式を前に、異動したばかりの部署で忙しい中での準備だったため、脳内の遊びの部分が失われてしまいました。
恐らくそんなありがちな理由で、私の脳内恋愛は終わりを迎えました。
ここまでお読みの方にはおわかりのように、私は、彼と何もしていません。
手をつなぐことはおろか、彼と一言も会話をすることもなく、もちろん食事やデートをすることもなく。
だけど、こんなに楽しいことはなかったと、今改めて思う日があります。
例えば、興味を失ってしまった旦那さんを遠目に見ている時に。
なつかしい当時の職場の駅を通過する時に。
断捨離をしていて、当時着ていた服を手にとった時に。
そう、いい恋愛をした元彼のことを思い出す時と同じように。
私は悪いことをしたのでしょうか。
もちろんしていません。
では、パートナーがいつつも脳内恋愛、またはそれに近しいことを一度もしていないという人が、この世にどれだけいるのでしょうか。
仮にそれが世の中の大多数だったとして、そのパートナーは幸せなのでしょうか。
誓って言えますが、脳内恋愛をしている間、私は夫に寛大に、しかも女らしさを保てていた自信があります。
それは夫のおかげではなく、身なりを常に保った状態で偶然出会いたい人がいたから。
精神的なものは、肉体的なものよりもさらに悪いという人がいます。
でも、その精神的なものの判定は、客観的に判断することができません。
こっそり自分の中で大事にする気持ち。
あるいは、ちょっと息抜きする気持ちや、甘やかしてもらうこと。
そういったものの必要性を、みんな本当は知っている気がするのに。
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