夢や憧れを語らないことは美徳ではなく、勇気あるいは自信のなさ。または人と違うことを恐れる気持ち。
私は今湾岸エリアの端くれのマンションに住んでいる。
そして、総合職の端くれとして、企画職を生業としていた。
以上の2つは、私が子供の頃から明確に憧れていた大人像だった。
ただし口に出すことはなく、「将来の夢」のような作文にもこの夢が登場することはなく、18年間の実質義務教育のような時代を過ごした。(義務教育は中学までだが、実際のところ高校終了までは決断せずとも流れに身を任せて進む人が多いように思う)
これを夢と呼ぶのであれば、私の夢は叶ったことになる。
夢というのは口に出し、具現化することが推奨されている。
私の場合、それができていないのに叶った。なぜか?
言葉には出さずとも、強く強くイメージし続けていた。それがこのケースでは、結果としてイメージ通りの大人になれた=夢を叶えた ということなのだと思う。
と、ここまでは、まぁそんなこともあるよね、レベルの話で。
最近思うこと。
「将来の夢」の作文にしろ、子供の頃から、将来の夢というのは節目節目のタイミングで必ず聞かれる使い古されたテーマだ。
私は、小学校の卒業式・中学のどこかのタイミング・高校のどこかのタイミング、このいずれの場合にも、本気の将来の夢を書いたことはない。
口に出すべきとされている夢を、私は公言できていたことがなかった。
なぜか?
それは恐らく、「空気読み」の力を養う学校教育や地域社会が大きく関与しているのではないか。
当時私の世界のすべては何もない田舎で、周りの友達の親は7割だったかその程度が第一次産業に従事していた。
そのせいか、親も子も均一化がなされており、思春期の過ごし方も、幸せの基準も、余暇の過ごし方も、どれもほとんどの人が同じようなものを持ち、どの家庭でも同じようなことが行われていた。
こんな言い方はよくないのだろうが、全員が中の下であることを認識しているし、しかしそういう自分たちを肯定しあっているような世界だった。
我が家は上流家庭ではなかったが、それでも友達の中に溶け込むために、わざと品のない言葉を使ったり、なんというか頭の悪そうなふるまいをしていたこともあった。
例えば。
我が家は農家ではなかったので、農家的な行事もなく、当然家にトラクターや軽トラック、作業場のような施設もなかった。
信じられないことだが、土いじりや農作業が全く好きではないにも関わらず、小学生当時の私は、家にトラクターや軽トラックがないことを悲しく思っていて時期があったくらいだ。
つまり、人と違うということに対する恐れが、行動を制御していたのだと思う。
テストが早く終わってしまっても、終わっていないふりをしたり。
縄跳び大会でこのままでは決着がつかないと思ったから、あえて負けてみたり。
いつも自分が答えるのも違和感があるから、たまにわざとわからないふりをしたり。
※私の出来がよかったのではなく、小学校時分なんて簡単な問題しかない。ただ、周りの子があまり勉強に興味がなかったため。
今は多様性を尊重したほうがいいんじゃない?という風潮が出てきている。
きっとそんな中にあっても、人に嫌われたくない、笑われたくない、そんな思いから無難を選択し続ける人は一定の割合で居続けるのだろうとは思う。
だけど、それを恐れていては新しい世界は絶対に開けない。
ということを、事例を交えてまとめたいと思っていたのだが、自分の暗い?幼少期の話に横道をそれてしまった。
やりたいことを口に出す勇気と、キャリアの開拓については、別記事にて書こうと思う。
お粗末様でした。
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