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『カムフラージュ』〜貝楼諸島より〜

犬と街灯さまによる島アンソロジー #貝楼諸島より  参加作品

—貝楼諸島には島々を繋ぐ共通言語がない。人々は生まれた島から出ず、ことばは島を離れない。島人たちは風をみ、ことばを刻む。そうしてまとまった『ことばのわた』を飛ばし、島々にことづけを送る。届いたことばの棉を詠むことができるのは、まだことばを知らない赤子だけだ。
 人魚の肉を食べたヒトは『人魚の島』に集められた。人魚の島ではヒトが三人以上に増えないよう制御されている。ある晩、双子のナチュアとダーは、老女のセルマとともに人魚の島から海界うなさかに投げ出されてしまう—
(「remove」『海界』~十二の海域とそのあわいにたゆたう~より)

 ぼくがヒトだった最後の日。ペン先型の船底がゆっくりと『人魚の島』に向かうのを見上げていた。ボートは海中にインク色の影をこぼしていく。ぼくもナチュアもブルーブラックに染まる。人魚の肉を食べたヒトがまた島に補充されたのだ。
 セルマは桃のようなうぶ毛に泡の粒をびっしりとたくわえてとても軽そうに揺らいでいた。まるでソーダの精みたいに。ぼくらが海底に向かって沈殿しているのか、セルマが浮き上がっているのか、ナチュアの口かられる気泡の行方でぼくは占う。

 ぼくらがヒトでなくなったのは、生きていた印が消えたせい。『死』とは肉体ではなく記憶の消滅だと信じたセルマは間違っていなかった。『樽の島』のセギを記憶の中で生かすために人魚の肉を食べたセルマ。ぼくらの命も愛も、迷子。

 ぼくは生まれつき声を持たない。みんなは『双子は以心伝心』と言ってぼくのことばを透明にした。ナチュアは双子の代表のように振る舞った。彼女はぼくにとても親切にしてくれた。ぼくが彼女の分身だから。
 赤子より先にこっそりことばの棉を食べるのがぼくのちいさな革命だった。声を持たないぼくにも棉に刻まれたことづけを理解することができた。
 嵐が迫っていること、『基盤の島』が消散したこと、人魚の肉の予約販売が始まったこと。ぼくのお腹は秘密で膨らんだ。
 それでもぼくとナチュアが人魚の肉を食べる番はちゃんと回ってきた。『難病の治療薬の完成を待つため』とパパは言ったけど、きっと妹が生まれたせいだ。

 ヒトが三人しか住めないはずの人魚の島で、赤子と老女とぼくとナチュアは四人で暮らした。そこでもぼくら双子はふたりでやっと一人前。ぼくの仕事は島の土台になっている人魚の骨がバラバラにならないように島を歩き回ることだった。骨と骨がぶつかって島の土台は四六時中ぽくぽくと鳴る。その音が『音』でなくなるまでぐっすり眠れなかったけど、何を待っていたのかはすぐに忘れた。

 ナチュアはときどき岩場に腰掛けて歌ってみせる。絵本で見た人魚の真似だという。怖くないのと聞くと、ヒトはもう人魚の肉を食べるような野蛮なことはしないとナチュアは笑った。わたしたちは彼らから『バグ』って呼ばれてるんだよ。夜の蜘蛛や春の入道雲と同じ。

 ***

 この海域はミルクの匂いがする。

 おびただしい数のことばの棉が海面すれすれまで立ち込めている。三角の波がガラスの破片で武装してぼくを威嚇する。ぼくは全身をくねらせ乱暴に分け入る。

 ミルクの匂いがいっそう濃厚になると突然目の前に男の人魚が現れた。ギザギザの波に挽かれ、ガラスの鱗で上半身を煌めかせている。彼はぼくだ。

 海に浮かんだ四角いコンテナは壁一面の鏡で景色をカムフラージュしていた。近づくとそれはデジャブに似たバグだとわかる。一コマだけ無関係なカットが挿入されたフィルムのワンシーンと同じ。ぼくが辿り着いたのは鏡で出来た島だった。

 鏡のコンテナの壁はマジックミラーになっていた。その内側は冷蔵庫みたいにしんしんと冷えた透明な部屋で、二人の女がきょとんとした顔をしてぼくを見返している。
 やだ、人魚初めて見ちゃったかも。
 台所でじゃがいもを洗っている女がもうひとりの女に言った。もうひとりの女は床に座っていて、いなり寿司を牛乳で流し込んでいる。
 じゃがいもの量は二人暮らしなら『大量消費レシピ』で食べつくさなければ発芽して彼女たちの健康をおびやかす病毒になりかねないほど大量でたとえばコロッケを成形するとして人魚向きの作業はどの行程だろうかとぼくは考えを巡らせた。卵液をつける係だけは嫌だなぁというぼくの夢想を引き取るように、いなり寿司の女が鱗に触らせてとおいでおいでをする。無数の鏡が集まって出来た島の土台を揺らさないようにぼくはするすると泳いで慎重に女に近づく。ミルクの匂いがこの女のものならいいのにと期待する。

(二人だけで暮らしているの?)
 そう、わたしたちはここで革命の準備をしている。
(だれかと戦うの?)
 きみは革命をわかってないね。うちらは透明になる訓練をしてるだけ。透明になって元いた場所に戻るの。
(それがあなたたちの考えるしあわせ?)
 不幸じゃないのがしあわせというならそうだね。家族の台本からもわたしたちはサクッとリム―ヴされた。最初から透明でいればだれからも干渉されない。透明ならシームレスに存在できるし。
(いつまでここに?)
 さあ。ところできみ、鏡の破片を返してくれる?

 ぼくは身体に刺さった破片を慎重に引き抜いた。その断面はどれもざらりとして刺さったときよりも深くぼくを傷つけた。

 じゃがいもを洗う女が手を休めて壁を凝視している。一匹の蜘蛛が糸を垂らし宙に浮かんでいた。女は(きやっきやっと)歯をこすり合わせて何かをしがんでいる。

 ねえきみ、いまは朝? それとも夜? 今は何年?

 女は一体なにを食べているのだろう。

 ぼくが人魚だった最後の日。春の入道雲が鏡を白くした。氷の粒が降り始め、ことばの棉を砕く。貝楼諸島のことづけが混線したラジオのようにうるさく耳に障る。春の海界で、ぼくはガラスよりも透明な光る粒になる。

<交差する世界線>
〇文芸ユニットるるるるん
「るるるるんvol.2—冷蔵庫—」 「るるるるんvol.3—鏡—」
〇海界制作委員会
3月クララ「remove」『海界』~十二の海域とそのあわいにたゆたう~ 

https://note.com/denpun/n/n294bb82e7d00

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