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紙媒体とweb媒体のライティングの違いについて

自己紹介として


私は、10年前まで地方情報誌の編集部にいました。

地方誌というのは自転車操業の極みで、誌面の企画、取材先リスト決め、アポ入れ、取材、原稿書き、校正確認まで全て自分たちで、本当にギリギリのスケジュールで回していました。取材先は主に飲食店、もしくはデパート、そして観光スポット。アポ入れはランチとディナーの間のアイドルタイム、取材も同じ、原稿書きは夕暮れ以降。深夜からリサーチに出かける人も。そんな世界で、会社に寝袋を常備するような毎日を送っていました。

まだ、そのエリアで雑誌の知名度があったこと、webで集客する方法がそこまで発達していなかったこともあり、バブル期には及ばずともまだ雑誌の力は残っていたと思います。アポ入れすると、だいたい受け入れてもらえましたし、むしろ「影響力がありすぎるから取材はお断り」ということもありました。CanCamが何十万部も売れていた時代です。

あの頃、カメラマンさんたちは過渡期で、アナログからデジタルへ一斉に切り替わりました。広告媒体では4×5のポジも使ったし、雑誌取材は35mmが主流。それを取り込んでデジタル化して、修正することもありましたが、まだまだ現場で「いかに綺麗に撮るか」が求められていました。でも、たった数年で、「いかに修正するか」に変わっていくのを目の当たりにしました。

紙媒体ライターがwebライティングの依頼を受ける

時は流れ。

退社後、結婚と出産を経て、細々とフリーランスライターを続けている私は、今でもやはりメインは紙媒体です。地方のフリーペーパー、全国展開する旅行ガイドのエリアページ担当など、できる範囲で書き続けています。そんな私に、「web媒体にものを書く」依頼が時々来る。

それを、のらりくらりと切り抜けてきましたが、どうにもこうにも勉強しなければいけない状況に直面したわけです。

具体的には、SNSやブログを使って集客するサービスを展開している会社から、クライアントのブログ記事を書くオーダーをもらいました。これまでずっと誌面ラフ作成や店の紹介記事を書いてきた私が。

クライアントが「知識はないけどSNSやらなくちゃ」な場合は、それでも問題ありませんが、webマーケティングを少しでも学んだ人の場合、これは悲惨。

「キーワード使ってよ」

「これで検索されるの?」

「文字数、足りなくない?」

さて。

どう返答していいかわかりません(本音)。胃が縮む思いで原稿校正のお話を伺いました。

私が私を助けるために取った手段

困った私は、地元開催のセミナーやコワーキングスペースなどに行き、人脈を広げるところから始めました。その結果、出会った方から「webライターとしてブイブイ言わせている人」を紹介してもらうことができたのです。たまたま、その方が仕事でリサーチしたい分野があり、それを私から情報提供できるとあって、交換条件で教わったわけです。SEOとやらを。普段有料セミナーを開いて紹介しているようなノウハウを。

「Googleの方針が変われば全てが変わる。そんな脆い状態の中でやっていますが、それでも基本はまずここから。はじめに【沈黙のwebライティング】を読んでください」

教わった通りに買いました。今3分の1読み進めたところです(まだ終わってないのかよ、というツッコミはありがたく頂戴いたします)。

それ以外に、そのライターさんがセミナーで使う資料、マニュアルなどを見せてもらい、知らない専門用語を検索しながら少し勉強しました。

紙媒体とWEB媒体の違いは、ここだ

ちょろっと勉強した結果、私の中で結論が出てきました。

紙媒体とweb媒体は、全く違う物だと。

紙媒体は、私が信じている媒体としての役割は、新しい価値観を読者に与えるものだと思っています。なんとなく流行りにはのっかりますが、新しい店、知らない場所、知る人ぞ知るネタ、わざわざ行きたい場所など、「生活の質をワンランクあげる」情報を提供するための媒体。

そもそも、雑誌を買ってくれた人向けの情報なので、「読んでもらえる」前提で作る。だから、よく知った言葉よりも、「半歩先行く」表現を模索する。知ってるようで知らない。見たことがあるようで見たことがない。画像も、文章も、極限まで追求します。

逆にwebは、「流行っているキーワードをありったけ使って、人の視線を集めて、話題のマーケットを押し広げる」ような印象を受けるわけです。半歩先行く言葉を羅列しても、誰も検索してはくれない。印象的な感想文を並べても読みにくいだけ。感想より情報を(というスタンスは雑誌も同じですが)。

つまり、「検索される」ことを想定した文章作成は、「新しい価値観の創造」とは別の場所にある。役割が違うんだなと感じたわけです。

どちらがいいか悪いかの話ではなく、「これは別の仕事だ」ということがわかり、視野が開けました。文章を書くからライターという職業なのだけど、しかしこれは「アナログからデジタルへ」の波に乗った、進化というか、分化というか。方法論も、表現方法も、全く違います。

「キーワードをたくさんとか、文字数とか、その考え方もすでに古くなってきてるんですよ」

そう教わり、時間軸の違いも感じます。

どんどん方法論は新しくなり、どんどんライティング方法も変わる。

「リサーチして、企画を温めて、切り口を考えて、そして誌面に落とし込む」という雑誌制作のスタイルは、「時間がかかる」のが致命的です。週末のイベントなんて拾えません。来月のマルシェ日程だって危うい。さらに、印刷されて配布されたものは修正ができない。

流動的なものが世を席巻している昨今、印刷媒体は「大まかな価値提案」を担えても、「直近のイベント」は追えない。

でも、だけど。それでいい

でも、だけど。という接続後ばかり出てきますが、役割が違うのだから、それでいいような気がします。違う目的を目指して、それぞれが「自分たちがやるべきこと」をやればいいわけです。

問題は、「違うもの」なのに、同じライターだからできるだろうという憶測をもとに、オーダーがきて、私が気軽に受けてしまうことです。

今回、ブログを書く仕事を受けた結果、勉強不足が文章にモロに出て、クライアントから非情なるダメ出しをいただきました。ただここは地方都市なので、関東圏で受注する金額のおよそ1/3で受けている前提があります。クライアント的にも「値段は良心的」だという認識がある。

そのおかげなのか、初回のダメ出しを受けた後、必死でネットを徘徊し、セミナー行ったり、先駆者から話を聞いたりして文章を修正し続けました。その結果、修正後は「よくなってきた」とのお言葉をいただきました。ホッ。

とはいえ、正直、受け取るギャランティはライターとしての1日分しかありません。

私がそこにかけた時間と熱情は計り知れず(電話取材もバンバンして、経費的にも大変)。

また、私の知る限りの地方ライターは、「あまりWEBに出てこない」人が多かったのですが、webライティングをメインで行なっている方はSNS活用がとても活発な印象です。(紙媒体のライターだって、顔が売れてナンボでしょうが)。

つまりは、人間の資質として、2つのライターは若干テイストが違うのではないかと思ったり、思わなかったり。

紙媒体のライター仕事がいつまであるのか、ギャランティとしてどうか、などの問題はまた別にあります。全国的に編プロが縮小傾向にあり、全国ガイドを作る出版社さんが編プロ確保が難しいというのを聞いたりもします。メディアとしての印刷媒体の進路はどうなって行くのでしょう。拡大はしないでしょうから、「違う形」を模索するべきだし、もう動いていないと遅いのかもしれません。

でも、新しい価値観の想像、思いもよらない文章から受ける感銘。

それらを、どこかで生きながらえさせる方法はないかな、と私は思うのです。


↓↓↓ライターの仕事に関する記事はこちら↓↓↓
地方の出版社を経てフリーの編集ライターとして活動しています。
○ライターの仕事を続けるには
○単価アップを叶えるには
○そもそもライターってどんな仕事?
○編集の視点とライターの視点の違い
などについて、自分なりの解釈をしていきたいと思っています。








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