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【目立ちたくはないけど認められたい、そのめんどくさい衝動が糧になる】

■寺でジャパニーズポップスを聞く不思議な夜

浜松市中区曳馬にある「天王山 福嚴寺」さんにて、高野寛さんのアコースティックライブがありました。

まず情報源は、Facebook。私はインスタで助信駅最寄りの「やま市パン商店」さんをフォローしているのですが(行ったことはない)。このパン屋さんは「天王山 福嚴寺」さんでのイベントに毎回出店されているとのこと。
「あなたがフォローしてるやま市パンさんに関係のあるイベントがあるよ」的にシュルッと表示された広告?を見る。

それがライブの3日前。

実は、私の主人が中学生の頃から高野さんが好きで、セカンドアルバムあたりを溺愛。大人になってから、その後のアルバムを追いかけ、ほぼ制覇。
我が家の車内では365日、高野さんの曲が流れ、私自身アルバム名も曲名も知らないけれど、ほとんどの楽曲をエンドレスで聴きながらここ数年を過ごしてきました。

だから「これは行くほうがいいんじゃない?」と提言。



■本堂で仏様をバックに歌う、謎っぷりが心を掴む

こちらのお寺、SNSを拝見する限り、ミュージシャンを呼んでのライブを度々開催されているそう。

実際訪れてみると、美しい庭を通り、厳粛な雰囲気の玄関をくぐった先にパン屋さん、おでんやさんが出店されていた(いつもは「くらや珈琲」さんもいらっしゃる模様)。

本堂はお寺のお堂の雰囲気そのままに、照明が少しと、音響設備、観客用の座布団と椅子が整えられていて。

太い柱、木組みの梁、天井からぶら下がるキンキラの飾り(名称不明)、それらがステージがわり。

アコースティックなのでバンド設備はなく、あるのはマックブック1台とマイク。木魚は遠くに追いやられている。正直、なんじゃこりゃ。

です。この空間はなんだろう。


■MCから得た知識を総動員

高野寛さんについて。

1964年生まれ、静岡県三島市出身。親御さんが転勤族で、各地を転々とした後、静岡県西部の春野町、そして浜松市で青春時代を過ごされました。浜松西高等学校卒業(今回の会場にも「同級生です」的なことを言いながら握手してもらってるおばちゃんなどがいた)。

彼が音楽に目覚めたきっかけは中学3年、浜松市駅前のYAMAHAで購入したYMO(の何か)。

大学3年生のとき、高橋幸宏さん、鈴木慶一さん主催のオーディションに合格。ギタリスト志望だったけれど、「高野君は、声が面白いから歌ってみなよ」という高橋さんの一声で、シンガー・ソングライターに。

1990年、MIZUNOスキーウェアのCMソングとなった「虹の都へ」と、「ベステン ダンク」が最も売れた楽曲かと。


■city folklore(シティ フォークロア)について

デビュー30周年を記念して、ジャパニーズポップ一本で生きてきた高野さんが、記念に作ったアルバム「シティ フォークロア」。

今回はそれをひっさげてのツアーの一部。

「本当はシティ ポップ、というタイトルにしたかったんです。
でも、僕のいけないところが出てきちゃって。

キュリー夫妻を知っていますか? レントゲン写真を作った人たちですよ。放射線をだす石をね、ポケットとか引き出しに入れて研究し続けて。昔はこの放射線が出る石を、時計の文字盤に使ったりしてね。知らないって怖いよね。

彼らは戦地にボランティアとして赴き、兵士のレントゲン撮ってあげたりね。
最後は白血病になって亡くなるんだけど、被曝を決して認めなかった。

彼らのことをね、どうしても歌いたくなっちゃって。
そしたら、もうポップじゃないでしょ」

やばい。

こじれてる系だ。

それも味わい深い方に。

新曲については、ご自身のバックグラウンド、時代の流れ、背景、現代の情勢など、何をみて、どうインスピレーションを得て曲を作ったのかを語ってくれる。
その視点が絶妙。

時代の流れに身を任せ、空気感を感じながら、とても感性の鋭い作業をされていると感じたんだけど。でも、どこか、「だからと言ってメジャーなものに巻かれたいわけでも、流されたいわけでもなく、どちらかというとキラキラしたものに背を向けたい」感がじわっと広がる。

例えば、彼を有名にした「虹の都へ」。

「僕は、どちらかというとバブル時代も全然馴染めなくて。
輝いている世界に背を向けて生きていたんで。例えばスキーとか一回も行かないのに、なぜかCMソングを描いたり」
と自虐的。笑いが起きる。

だけど、その後に歌い出す歌のうまさ。音楽の可愛らしさ(キュリー夫妻の歌は流石にしっとりしていて、ポップスって感じじゃなかったけど、大体の曲はとても可愛い)。50代半ばなのによく通る声。

小ぎれいなおじさんが、小ぎれいなスーツを着て。ちょっとボブにした髪毛の先っぽがはねているのも愛嬌。ギターをかき鳴らし、「バスの停留所まで一緒に行こうよ」というキュンとした歌を歌う。それが似合う。

でも、「僕はキラキラしたものに背を向けたい」と言い、その反面、「Youtubeにパラパラ漫画付きの動画をあげてるんで、どうかみてください」と宣伝したりする。


■日常が変わるほどのスポットライトはいらない。でも、こっそり誰かに認めてもらいたい

ブログなどをさらっと探して読むと、こんなフレーズが出てくる。
「日本で最も過小評価されているアーティスト・高野寛」
プロデューサーとしての活動。楽曲提供した人たち。

フェスでギタリストとして、他のアーティストから引っ張りだこな感じ。
情報を辿れば辿るほどすごい人々の名前が出てきて、そういう方々と第一線で、ずっと30年やってこれるというのは偉大。

だけど、メジャーな感じではない。

おそらく、箸が転がっても歌が描けるほど感性が豊か。オリンピックを前に賑わう東京を感じて歌った「TOKYO SKY BLUE」もよかった。
少し前まで大学で講師をしていて、SNSに疲れた若い学生たちの生き方に驚きつつも、どこか身近に寄り添いながら描いた「もう、いいかい」。

目の前にあるものを独自の感性で切り取って、朴訥とした、それでいて選び抜いた、宝石のような言葉に変える。そして、リズミカルに、印象的に、軽いようで深い音楽に乗せて届けてくれる。

でも強いスポットライトが当たりそうになったら、きっと逃げてしまう。

「誰か違う人がそこにいればいい」というようなメッセージを残して。

だけど「歌を作る」「それを歌う」「世に出す」という行為は、それと相反する行動。感じたことを歌う。降ってくる。降りてくる。言葉にしたい。

歌いたいけれど、キラキラからは背を向けたい。その矛盾が何よりの魅力で、訥々と語るMCは面白すぎて、「歌より喋っててほしい」と感じた自分をあとで反省、したりはしません。もっと喋ってください。もちろん生歌はよかった。

そしてご本人も、「うっかり電車に乗れなくなるほどの知名度」はきっといらないのかな、と思ったり。この世のどこかでスポットライトを浴びて、ちょうどいいくらいの人たちに好かれて、そしてプロから信頼を得て、ずっと歌い続ける。

それはとても贅沢な人生だな。

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