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結果、ミニマル。(ミニマリストではない)

今年のテーマを「整える」にしたという記事を以前書きました。

テーマがしっくりきていたのか、何をするにも意識するようになりました。
具体的にいうと、物を買う時に「私はこれを使い続けるのだろうか」と考えるようになったわけです。
もしかすると当たり前かもしれないけれど、今までの私は価格や質を見て「これが欲しい!」と思えば即購入するような人間だったので。最近は、例えば消耗品を買う時は「これを今後も使い続けるだろうか」とか、服を買う時は「どうやって合わせるか、来年も着るのか」とか、とにかく買う瞬間ではなく先のことを考えるようになりました。
・・・うん、なんか当たり前のことのような気がする。私ってズボラだったのかしら。

瞬間的な購買ではなく、継続的な利用を軸に置いて買い物をするのは、結構めんどくさい。何があるかっていうと、「これを使い続けるとどうなるか」「これを食べ続けるとどうなるか」を知る必要があります。毎日●●を食べよう!と思うことは簡単だけれど、実際に食べ続けるためにはそれの栄養価や健康への影響を知っておかないとモチベーションが続かない。また、「良いものだけど毎日はNG」という物を避ける必要があって。何かにつけて調べて学ぶという過程が発生してしまうのですよ。だからめんどくさい。「自分はこれ!」という物が固まるまではすごく時間がかかります。ほんとめんどくさかった。

でも、そういうめんどくささを加味しても、得るものはあるなと。整える生活2ヶ月目にして既に感じております。なんだかすごくメンタルが安定している気がする。嫌なイベントが発生しても、前ほど慌てふためいたりすることがなくなったような。
で、「この落ち着きっぷりはなんだろう」と考えたところ、落ち着いたのが「ミニマル思考」です。
ミニマル思考っていうと、一時期メディアでも取り上げられていた「ミニマリスト」の考え方になるんですけど、なんかちょっと違う気がします。
別に断捨離もしないし、無印で揃えたりもしないし、洋服は10着でokなんてあり得ないし。でも、要らないものは捨てるし欲しいものが無印であれば買うし、服が制服化している部分はあると思う。
ミニマルって「ある定められた範囲における最小限」という意味で、相対的な意味での最小限なわけです。「10着だけ!」という絶対的なものではない。「自分にとって必要な最低限」が、恐らく本来のミニマリストにとってのミニマルだと思います。

あと、ミニマリストになると節約になるよ!なんてのも違うと思います。
別にお金を節約したくてミニマルに過ごしている訳ではなく、自分にとって必要なものを選んできた結果、不要な支出が減るってだけじゃないかなぁと。ダイエットのためにヴィーガンになるとかもそう、なんか本来の目的とずれてるじゃないですか。ヴィーガンも糖質制限も、本来ダイエットのために存在するものではないのに、痩せるからといって手を出すのは違うと思うんだよなぁ。※別にそういう人をディスってる訳ではないです。個人的にそう思うってだけなので悪しからず。

そもそもなぜ整えたかったのかといえば、次の飛躍に向けての助走だと思っているからで、多分それって脳みその使用可能領域を増やしたかったんだろうと思います。私は極端なところがあるので割と徹底的にやってますが、多分ルーティン化してメモリの消費量を減らしたかったんだろうと。そのために色々考えたり行動したりしていたら一定の法則性が見えてきて、これってなんだろうと思って調べたら「ミニマル」という名前が付いていた。という感じです。
だから別に、こういうことを人に勧めるつもりもなければひけらかすつもりもない。
ネットでたまに見かける「ミニマリストに憧れて断捨離しました!」というブログに違和感を覚えていたのは、これが原因なんだなぁと腑に落ちたところでございます。

人間100人いれば100通りの考え方生き方があるので、人と同じとか違うとかそういうことは関係なしに、自分に合った方法でやっていけばいいと思います。
私はこの生活が合ってた。それだけの話かと。

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