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マナちゃんの七回忌が終わって帰りの新幹線でふと思ったこと「毎年のお参りはお仕舞いにしよう」

バタバタと1泊の広島行きから帰ってきました。無事にマナちゃんの七回忌が終わりました。

マナちゃんが亡くなって6年。4年前の三回忌のときも1月に広島で法事があり、その時はまだ独身だった二女のサヤも東京から一緒に来てくれました。

三回忌の時には帰りの新幹線で大阪まで指定席がどうしても取れなくて、満員の混雑の中で夫とも離ればなれになり、二女のサヤが必死に私を守ってくれました。

私がパニック障害で具合が悪くなるのを心配して洗面所の鏡の前に場所を確保して「お母さん、大丈夫?大丈夫?」と繰り返しながらサヤが人混みから守ってくれました。

あ~、まるで古代の奴隷船の船底に居るような気分だわ~(見たことないけど)と私は青い顔で冷や汗を流していました。

大阪から東京まではグリーン車だったので快適でしたが、帰省の新幹線の自由席混雑はものすごいですね(泣)

昨日も自由席はトイレの前まで人々がぎっしりで指定席が取れてほんとに良かったなあと、、しみじみ、、

若い頃は自由席で家族四人で福岡まで毎年帰省していましたが、あまり苦にならなかったのはやはり若さでしょうね。

マナちゃんが亡くなって6年。
無事に七回忌が終わり、帰りの新幹線でふと思ったこと。

毎年、夏のお盆にもマナちゃんのお墓参りに広島に通っていたのだけれど、七回忌で一区切り。

次に広島にお参りに行くのは13回忌の時でも良いのではないかしら?
毎年のお盆のお参りはこれでやめにしよう。

新幹線の中で何気なく夫に言うと
「えっ、今年のお盆から広島に行かないつもり?」
「うん、、ごめん。
行くならひとりで行ってね。
私は七回忌で一区切りだから次の13回忌の法事まで行かないかも」
「、、。全く、まりりんは外出が苦手だからなあ。。
家にばかりいると老け込むよ。
夏も今まで通り、お盆はマナちゃんのお墓参りに二人で広島に行こうよ」
「いいえ。いつも歓待して下さる広島の御両親は私達より五つ歳上。
だんだん大変になると思うわ。
今回の七回忌が良い区切りよ。」
私が頑として言うと夫は黙ってしまった。言い出したら私は頑固なのだ。それから新幹線での会話は途切れ勝ちに。夫は寡黙になった。私も黙った。

品川駅で降りて混雑した山手線へ。
高田馬場で降りてタクシーに乗る。

「次のリナの七五三は3年後かな。
その時には大阪でまた広島の御両親に会えるよね、、」とタクシーの中で夫がボソリと言った。

七回忌を一区切りに広島のお参りをやめることに賛同してくれたらしい。

歳をとって、だんだん理解ある夫に成長してくれたなあ。ありがとうね。

若い頃は家族四人でお正月もお盆も福岡に帰省。しかもほとんど夫の家に滞在で、もともと同居の嫁だった私は帰省すれば家事を任せられました。

子どもが熱があっても、私の体調が悪くても、夫は家族全員を連れて法事や行事のたびに帰省しました。

私が帰省したくないと行っても聞く耳はなかったです。
「嫁として親戚に可愛がられるのが、まりりんの幸せなんだよ」とか訳のわからないことを言っていました。

私は自分の家でお正月をするのがずっと夢だったんです。

長女のアヤが小学六年生の時、初めて東京で四人家族でお正月を迎えることになりました。嬉しかった。
なぜかその年初めて福岡に帰省出来なかったので(理由を忘れました)

私は「お屠蘇セットが欲しい」と夫に言いました。
「必要ない。ほんとの家は福岡なんだから」
夫が放った言葉はショックでした。

福岡の実家には塗り物の古い立派なお屠蘇セットがあります。

でも、私は我が家のお屠蘇セットが欲しかったの。
私は泣いて駄々をこね、近所のスーパーで安いプラスチックのお屠蘇セットを買いました(見出しの写真)

今でもその時のプラスチックのお屠蘇セットを大事に使っています。
思い入れのあるお屠蘇セットです。
初めて我が家でお屠蘇をした記念のセット。。

社宅暮らしは17年。。
社宅の小さな四人家族の家がいつも私の本当の家でした。

でも夫には社宅は仮の住まいで、本当の家はずっと福岡の家だったのよね。

長女のアヤが高校生の頃、社宅の近くに小さな家を買いました。
ああ、自分のお城ができた。
本当に嬉しかった。
夫の気が変わらないうちにとあまり選ぶこともなく社宅に一番近い建て売り住宅を。
夫が言い出してから1ヶ月で、社宅を出て新しい小さな家で暮らし始めていました。

実は夫は娘たちを社宅からお嫁に出したくないなあと急に思ったらしくて(飲み友達とそんな話になったらしい)、「東京に家を買うけど、最後は福岡に戻るけんね」と言ってました。

私は頷いたかもしれないけど、心の中ではもうこの家からずっと離れない。私はこの家で死ぬの。と決めていました。

思ったら頑固なんです。

福岡の帰省も去年から私は一緒に帰らなくなりました。

義母が入院し、空き家になった家に夫は2ヶ月に一回くらい帰省し、家や庭の掃除をし、お墓参りをしています。

夫はやっぱり福岡が大好きなのね。
私は東京の自分の家が好き。

ほんとは私と一緒に帰省したいのだろう。でも私は行かない。
今は「行かない」と言える。
昔は言えなかった。

広島のお墓参りも七回忌を区切りにしようと帰りの新幹線で思い、率直に言うことが出来ました。

広島で、お墓のマナちゃんの名前を撫でてきました。話しかけてきました。
マナちゃんもお墓参りはもういいよ、いつも側にいるからと言っている気がするのです。

歳を取るほどに私はわがままになると夫は思っているだろうなあ、、

それでいいわ。

六十歳を過ぎてやっと夫に好きなことを主張できる。
やっと一人前の人間になった気分。

今が一番幸せかも。
わがまま万歳!


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