忘れえぬ傷1 こどものころ

傷を癒やすには、傷があること・痛みを感じること自体を自分で認めなければいけない。

長い自分語りになる。

それでも読んでくれるという変わり者のあなたに、愛をこめて。


お嬢から父無し子になった子ども時代

田舎で一番大きな工場の次期社長である父と、武家の血を継ぐ豪農の娘である母との間に、私は生まれた。
小さなころは、それこそ蝶よ花よと育てられ、絵に描いたような幸せ家族だった。

しかし、父と母は別れを選んだ。

私の親権をめぐって言い争う(ときには手を挙げ、物が飛び交っていた)姿や、緑の紙切れ一枚を置いて背を向けて出て行った父の背中に、『家族』=もろいものというイメージがいまだに拭えないでいる。

お嬢生活から一変、母とふたり極貧生活が始まった。

母方の家系では『離婚は一族の恥』だったらしく、しばらく私たちは親戚中から白い目で見られていた。父無し子が、と言われるたび歯を食いしばりながら頭を下げていたのを覚えている。

母はよく私にすがりついて泣いた。もとからそんなに強いひとではない。

「ママを置いていかんといて…あなたはママが一番好きやんね?」

「うん、母さんが大好き。大丈夫よ、一緒におるから」

生活が苦しくて余裕をなくした母が、どんなに私を殴ろうとも罵倒しようとも、私は「母さんが大好きよ」と言った。


そんななかで、いよいよ限界がきた。

母は私の細い首を両手で掴んで、きりきりと力を込める。だんだんと苦しくなって、顔が鬱血していくのを感じた。たまらず母の指を剥がそうとするが、子どもの力でかなうはずもない。

私はやがて意識を失った。

 

気づいたときには、母が私を抱きしめて泣きじゃくっていた。

「ごめん、ごめんね…ママはあなたが世界で一番大事なんよ…ごめんね、大好きよ」

「うん…私も大好きよ」

そう言いながら、心では別のことを思っていた。

 

母は、追い詰められれば私を手にかける人間だ。
自力で生きていく力がつくまでは奴隷でいなくては、きっとまたこういうことになる。 

母が追い詰められないように、私がなんとかしなくては…

それが私の最初の覚悟だった。


「私は世界一不幸だ」と思いこんでいた

中学生になる頃には極貧生活にもすっかり慣れ、漁港で手伝いをしてはお小遣いをもらったり、売り物にならない魚をもらい受けたりすることが板についてきていた。
母も正社員の仕事を見つけ、電気やガスが止まったり、取り立てに怯える夜もなくなった。

やっと平穏な生活が…と思っていたそんな折、母が私をファミレスに呼び出した。
母の隣には見知らぬ男。もう察しはついていた。 

「ねえ、このひとと付き合ってもいい?」

恥じらうような母に、どうしようもない苛立ちを覚えた。

今なら「母も女だから」と理解できる。けれど、当時の私は「娘の前で女の顔を見せないでくれ」と思ってしまった。 

あんなに泣きついていたのに、男ができたら私はもういらないって?
それって調子良すぎやない?

そんなふうに感じていた。

「…私が何て言おうが付き合うんやろ。勝手にしたら?」

ひどく冷たい口ぶりだったと思う。けれど母は嬉しそうに微笑んで、彼氏の腕にしがみついていた。

 

それから、彼氏は家によく来るようになった。母と男が微笑みあうと、たいして興味もないテレビ番組を眺めているときと同じ気分になった。

そこに私はいない。私はせいぜい、ふたりを盛り上げるための小道具にすぎなかった。

それでも母が幸せになるならと、私は男がどうすれば喜ぶのか、どんな仕草に反応するか研究した。試行錯誤して媚びを売って、なんとか彼氏がこぶつきでも結婚しようと思うように仕向けたつもりだった。

 

けれど、それは思いもよらぬ結果を招いた。

 

私の上で腰を振るそいつに、「愛などと言ってもこの程度か」と失望した。


母にそのことを告げることはなかったが、なにかを察したのか、母はそれ以降あからさまに私を敵視するようになった。
私に向かって「あんたは男好きやから」などと言うようになり、彼氏に私の体を触らせて「私(母)とどっちがいい?」と訪ねたりもした。

母へのいたたまれなさと、彼氏への不信感から家に寄りつかなくなっていった。

遅くまで友だちとファミレスで過ごし、他校の先輩のバイクの後ろで風のなか大声を上げた。友だちの家に泊めてもらったり、公園で寝泊まりしたりもした。情け無いことに警察に補導されたこともある。

それでも、母は特に何も言わなかった。むしろ私が家に帰ると、

「なんで帰ってきたん?」

と言うようになった。
私がいなければ、母は女でいられるのだ。

 

そのときの私は、自分のことを「世界一不幸だ」と思いこんでいた。

なんで私がこんな目に…と。
それこそ、よくあるテレビドラマのように。


もう、限界だ。

そう思って、ひとり夜の海のなかへ進んでいった。
水を吸った服が私を海中へ引きずりこみ、上からは波が押さえつけてくる。沈んでいくまま身を預け、無事に逝けることだけを祈っていた。

 

目を開けると、浜辺に横たわっていた。
あたりはまだ暗い。体を起こしてみると…なんてことはない、家のすぐ近くの浜辺だった。

悔しさと無念さで動けずに、結局そのまま浜辺で朝を迎えた。

 

海水を吸ってぱりぱりに乾いた服のまま家に帰った私は、早々に母のビンタを食らった。異常な私の様子について聞かれ、とうとう事の顛末を白状すると、二発目のビンタが私の頰を打つ。

 「ここまであんた育てるのに、母さんがどんだけ苦労してきたか、わかってる?!母さんがあんたのためにどんだけ犠牲にしてきたか!」

たしかに自分が悪かったために、何も言えなかった。

ただ、自分が一番不幸だと思っていた私は、

「娘の命より自分の苦労が報われないことのほうが、母さんにとっては大事なんだ…」

「あのまま波に飲まれて沈めばよかったのに…」

と、土下座している自分の膝を見つめながらそう思っていた。

 

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