MMTに学力秀才がハマる理由

「反常識」で釣る

現代貨幣理論(MMT)にハマる学力秀才が少なくない理由の一つに、MMTとカルトの類似性があるように思われる。

カルト信者の「自分たちは世の中の人々が知らない真理を知っている」という心理は、「選民意識や過剰な使命感」を持ちがちな学力秀才にも共通する。リフレ派もそうだったが、当初は異端とされる教義を「これこそ真理」と教宣したがるのがこのタイプの特徴である。

2元論的思考や陰謀論の多用、選民意識や過剰な使命感、過度な被害者意識などのカルト性(と思っていたもの)は薄く広く、社会に浸透しているように思えてならない。
そこで皆さん、ここは一つ、あえて自分の脳の機能に逆らって、MMTという少数意見に耳を傾けてみませんか。閉塞感を突破するには、少数意見を尊重し、発想を大胆に転換することが大事なのです。

また、学力秀才は一貫した論理体系に引き付けられるため、入口部分で「常識は実は間違っていた」と思い込むと、体系全体を正しいものと信じてしまうことになる。そのため、カルトは空中浮揚や神秘体験によって「宗教的回心」させるテクニックを用いるわけである。

MMTにも「税は財源ではない」「国債は政府の資金調達手段ではない」などの反常識こそ真理であると誘導する材料がある。MMTの誤りについては既に別の記事で指摘済みなので繰り返しになるが、引っ掛けのポイントについて改めて整理する。

信用創造で驚かせる

MMTが人々をコペルニクス転回させる材料の一つが、銀行の信用創造の仕組みである。

通俗的な見方によれば、銀行は、預金を集めて、それを貸し出しているものと思われている。
しかし、これは銀行実務の実態とは異なる。
実際には、銀行の預金が貸し出されるのではなく、その反対に、銀行が貸し出しを行うことによって預金が生まれているのである(これを「信用創造」という)。
驚かれたかもしれないが、これは事実である。
このように、現代貨幣理論と主流派経済学は、まさに、地動説と天動説のように違うのだ。
Commercial banks can also create so-called “inside” money, i.e. bank deposits – this happens every time they issue a new loan.

ECBも解説しているように、これは銀行関係者には常識であり、何ら驚くようなことではないのだが、一部の人にはMMTが地動説に比肩する真理だと思わせるほどの効果があるようである。信者は自分をガリレオになぞらえて被害者意識と選民意識を強めていく。

はっきり言いますけど、MMTは地動説です。
財務省の国債理論とかあるいは経済学ってのはこれは天動説です。
まさに天動説から地動説に今変わろうとしている状況なので、地動説を散散言っている我々はまさにコペルニクスやガリレオのように迫害されています。
まもなく多分、私とかはスキャンダルでしょうね。[24分頃~]

政府の通貨発行を誤解させる

MMTのコアの主張は「政府には通貨発行権があり、財政支出は通貨発行によって自己ファイナンスされている」「徴税や国債発行は以前に民間に供給した通貨の回収」である("spending first", "taxes drive money")。MMTは、占領軍が物資や労働力の調達のために軍票を発行して通貨として流通させるシステムと本質的に同じものが、現代の民政の国々でも通貨システムとして採用されていると主張しているのである。

これを信じ込ませるために、MMTはまず中央銀行が政府の一部門、つまりはエージェンシー(独立行政法人)のようなものであるとする。歴史的経緯からは、中央銀行は政府とは密接な協力関係にあるものの独立した機関であると言えるのだが、MMTでは中央銀行は政府と一体で「統合政府」を形成しているとされる。

日本では銀行券には日本銀行、硬貨(貨幣)には日本国と書いてあるように、通常、札は中央銀行、硬貨は政府が発行する。統合政府が発行した現金を民間が通貨として使用していることは、MMTの軍票モデルが正しいことを印象付けることになる。

しかし、このロジックにも引っ掛けがある。現金が民間に供給されるルートは銀行券が中央銀行→市中銀行→民間、硬貨が政府→中央銀行→市中銀行→民間で、民間は銀行預金との交換で現金を入手する。現金とは帳簿上に存在する銀行預金(book money)を実体化して持ち運びできるように中央銀行と政府が提供しているものであり、市中の現金量が増えても銀行預金と合わせた通貨量は変わらない。

MMTに騙されないためには、市中に流通する現金の存在は、政府が通貨発行して財政支出を自己ファイナンスしていることの証拠ではないことを理解する必要がある。

「政府支出が民間預金を生む」と誤解させる

MMTがコペルニクス転回に用いるもう一つの材料が、国債発行&財政支出の仕組みである。

下に引用した財務省の解説のように、民間が保有する通貨を借りて支出に充てているというのが常識だが、

国は、(1)外交、防衛、司法警察のほか、(2)教育や科学の振興、保険・年金等の社会保障、(3)道路整備や治水・治山等の社会資本(公共財)整備などの様々な行政活動を行っています。
また、国は、そのための財源として税金や国債等により民間部門から資金を調達して支出を行うといった財政活動を行っており、その所有する現金である国庫金を一元的に管理して効率的な運用を行っています。

MMTはそうではなく、中央銀行が事実上ファイナンスしていると主張している。

第一に、銀行は、日銀に設けられた日銀当座預金を通じて、国債を購入しています。集めた民間預金を元手にして購入しているわけではないのです。ですから、銀行の国債購入は、民間預金の制約をいっさい受けません。
では、この銀行の「日銀当座預金」は、どこから来たのでしょうか。それは、もとはと言えば、日銀が供給したものなのです。
さて、そうだとすると、銀行による国債購入というのは、日銀が政府から直接国債を購入して当座預金を供給すること(日銀による政府への信用創造)、いわゆる「財政ファイナンス」とほぼ同じということになります。もっとも、財政ファイナンスは、法律(財政法第五条)により原則禁止とされています。しかし、銀行による国債購入も、結局のところ、日銀が供給した当座預金を通じて行われているのですから、財政ファイナンスも同然でしょう。
銀行の国債購入という事実上の「財政ファイナンス」は、普通に行われているのです。

これを図示するとこのようになる。

①政府が国債1€を発行してA銀行が買う。中央銀行はA銀行の預金口座の現金(当座預金)1€を政府預金口座に移す。
②政府はA銀行に預金口座があるZ社から商品を1€で購入する。中央銀行は政府預金口座から現金1€をA銀行の預金口座に移す。A銀行は預金1€を発行してZ社の預金口座に入金する。
③は①+②だが、これだけを見れば「銀行の国債購入によって発行された預金が、政府の商品購入に充てられた」と解釈できる。中央銀行はニュートラルで、政府に信用供与したことにはなっていない。

MMTerは

Z社が受け取った預金1€は①のA銀行の現金1€が移転したもの。
現金は中央銀行が発行している。

ことから「中央銀行が財政支出をファイナンスしている」「財政支出によって民間預金が増えた」と主張しているのだが、これも騙しであることは、国債購入者が銀行ではない場合を考えればわかる。

④政府が国債1€を発行して債券投資家が買う。A銀行は債券投資家の預金1€を回収する。中央銀行は現金1€をA銀行の口座から政府の口座に移す。

④+②では、債券投資家の預金1€がZ社に移っているだけで、事前と事後で市中の預金は増えていない。④のA銀行の現金は預金を移動させているだけで、財政支出をファイナンスしていない。

そもそも、現金の役割は、銀行預金を移動させることにある。A銀行からB銀行に1€送金する場合のプロセスは、

⓪A銀行が預金を1€回収する→中央銀行で現金1€がAからBに移る→B銀行が預金1€を発行して振込先の預金口座に入金する

となるが、中央銀行で現金がAからBに移ることでA銀行の預金がB銀行に移動したと見做せる。現金の移動は預金の移動と表裏一体ということである。

政府が市中銀行にも預金口座を置いている場合、

⑤政府が国債1€を発行する。A銀行は預金1€を発行して買い、政府の預金口座に1€を入金する。
⑥A銀行は政府の預金1€を回収する。中央銀行は現金1€をA銀行の口座から政府の口座に移す。
⑦は⑤+⑥だが①と同じになる。①では預金の発行と回収(現金との交換)が同時に生じて相殺されたことになる。

つまり、MMTerが「財政支出によって生まれた民間預金」だとする②のZ社の預金は、本当はA銀行の信用創造によって創られたもので、政府はその預金を借りてZ社への支払に充てていただけである。「銀行の国債購入は、民間預金の制約をいっさい受けません」というのは銀行は預金を発行できるから当然であり、中央銀行がファイナンスしているからではない。現代の通貨システムは政府支出ファーストではなく、市中銀行の信用創造ファーストなのである。

ちなみに、中央銀行が国債を引き受ける財政ファイナンスは

⑧政府が国債1€を発行する。中央銀行は現金1€を発行して国債を買い、政府預金口座に1€を入金する。
⑨は②と同じ。
⑩は⑧+⑨で、③の後で中央銀行がA銀行から国債を買った状態と同じになる。

③の民間銀行引き受けとの違いは、A銀行の資産が有利子の国債から無利子の現金に代わる点である(当座預金に付利しても、利払費抑制=金融抑圧のバイアスがかかることが不可避)。財政ファイナンスの本質は民間の利子収入を奪う民間窮乏化ということになる。

「中央銀行の役割は国債と現金の交換」と思わせる

MMTは中央銀行が短期金融市場の金利と流動性を安定させる日常のオペレーションにおいても「中央銀行の役割は国債と現金の交換」であることを強調する。

確かに、現在の日本やアメリカでは国債の売買がオペレーションの中心だが、過去あるいは他国では必ずしも同じではない。外貨売買が中心の国もあれば、現在の日本でも株式ETFやREITの民間資産も買いオペの対象になっている。『日本銀行百年史』第5章に記された昭和30年代の議論でも、現金供給が国債との交換を意味しなかったことが示されている。

中央銀行が現金を供給するルートは中央銀行の、①対政府信用増、②金・外貨の取得、③対民間信用増ということになる。このうち、①のルートについて「アメリカやイギリスでは、中央銀行の公開市場買操作」という形で行われているが、「この方式が可能であるのは、多くは過去におこなわれた財政インフレーションの賜もの」である。
金融機関が政府短期証券を保有していない現状では、オペレーションの対象銘柄として長期国債、政保債、地方債、金融債、電力債を選ぶのはやむをえないが、「現在のオペレーションが、将来、本格的なオープン・マーケット・オペレーションに発展していくためには、政府短期証券を中心に行われることが望ましい」。

中央銀行の現金供給は市中の低リスク資産の裏付けを必要とするが、その資産は国債とは限らない。現金と国債の交換を強調するMMTはミスリーディングである。

「国」の意味をすり替える

MMTは「自国通貨を持つ国は財政支出を通貨発行によって自己ファイナンスしているのでデフォルトしない」と主張するが、これは「国」を「中央政府」にすり替えて誘導するテクニックである。現代では政府は財政支出を民間からの預金調達で賄っており、デフォルトしないのは通貨発行しているからではなく、

民間全体からの徴税という極めて「太い」収入源を持ち、
永続的存在(going concern)なので元本完済をいつまでも先送り可能、
従って、利払費の対GDP比が発散しなければ持続可能

だからである。

歴史的経緯を無視する

MMTは「現状でも政府は中央銀行に国債と引き換えに通貨発行させている」「国債を廃止して直接通貨発行する方がベター」などと主張しているが、これは通貨システムの進化の経緯を無視している。

歴史上では政府が通貨発行するシステムが普通であり、ゲーテが『ファウスト』で描いたように、ペーパーマネーの発明によってその発行限度の制約はなくなった。

ゲーテの『ファウスト』の第二部で、債権者や軍隊に支払う金が不足した皇帝に対し、悪魔は紙幣の発行を提案する。このとき担保になるものはなかったが、あとから金を掘り起こせばよいと言って悪魔は皇帝を説得した。この場合、貨幣が価値の象徴ではあっても、その価値は抽象的だ。
当初、紙幣は莫大な富を生み出した。皇帝は債権者にも軍隊にも支払いを済ませ、仕立屋でさえ商売が繁盛する。しかし結局、この富は束の間のもので、国庫の状態は悪化していく。深刻なインフレが社会不安を引き起こし、皇帝は厄介な立場に追い込まれる。

しかし、政府に無制限の通貨発行権を持たせると、放漫財政→悪性インフレによって民間が巨額の「インフレ税」を支払わされる事態が度々生じたため、そのような事態を防止する制度が整えられていった。具体的には、

政府は通貨発行権を封印して民間から税か国債で資金調達する。
政府が民間から借りる場合は市場で決まる金利を支払う。
現金を除く通貨発行は民間銀行が一手に引き受ける。
中央銀行は民間銀行が過剰に通貨発行しないようにコントロールする。

というものである。政府に通貨発行権を持たせたまま財政運営させると危険なので、通貨発行を民間銀行と中央銀行に移管したのが現行システムである。このような歴史の教訓を踏まえれば、MMTerの「インフレになれば財政を引き締めればよい」が楽観的過ぎることは明らかである。

また、財政政策を重視するMMTは金融政策が重視される現行システムを批判するが、民間銀行による民間向け信用が市中の通貨量の大部分を占めるのだから、この批判は的外れと言わざるを得ない。インフレ鎮静化に金融引き締めが有効であることは、1980年代のアメリカの経験などが示している。

まとめ

反常識からシンプルな論理体系を構築しているMMTは一部の学力秀才には魅力的なのだろうが、所詮は現実とは合致しない異端の学説である。

日本のMMTerの問題は二つある。

一つ目は「インフレが昂進するまで財政赤字拡大が可能」という結論は同じになるが理由が誤っている点で、害は小さい。

(誤)政府は通貨発行して財政支出をファイナンスしているので財政制約は存在しない。
(正)日本銀行の国債大量買入れがなくても国債利回りは歴史的低水準と推定されるので、国債増発の余地は十分にある。

もう一つは診断と処方が誤っている点で害が大きい。

(誤)日本経済の停滞の原因は政府の財政赤字による需要創出が過少なことなので、国債を増発して財政支出を拡大すれば成長軌道に戻れる。
(正)日本経済の停滞と財政赤字の原因は日本が「追われる国」になり、企業の投資が国外流出してしまうことなので、国債増発→財政支出拡大は根本的な解決にならない。

タンクに穴が空いて漏水しているなら穴を塞ぐのが根本的解決策だが、MMTの解決策は「無制限の注水」であり、さらには「注水すれば漏水も止まる」と不可思議な主張をしていることになる。

投資の海外流出は、人口減少による国内市場の量的縮小と途上国のキャッチアップの国内外の構造的要因によるものであり、金融政策も財政政策も痛み止めにしかならないことを直視しなければならない。リフレ派もMMTerもカネを増やせば解決すると安直に考えている点では同じ穴の狢なのである。

MMTに関する記事はマガジンにまとめている。

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