「働けど賃金低迷」の本当の原因とその副作用

東京新聞に「働けど賃金低迷」の記事が掲載されたが、分析が不十分なので補充する。

記事では「1時間当たり賃金」として民間部門のHourly Earnings (MEI) を用いているが、ここでは1時間当たり雇用者報酬(Labour compensation per hour worked)を用いる。

G5諸国では日本の伸び率が突出して低い。増加に転じた2012→2017年も年平均+1.1%にとどまっている(同期間の4か国は1.8~2.4%)。

しかし、労働生産性(GDP per hour worked)の上昇率はアメリカには及ばないものの、独仏英とほぼ同水準である。

その結果、円建ての単位労働コストは20年間で約20%も低下している。

労働生産性上昇を上回る賃金上昇(→単位労働コスト上昇)が物価上昇の原動力なので、単位労働コストを引き下げた日本がデフレに陥ったのは必然である。賃金抑制がデフレの原因であり、リフレ派やMMTerが主張する金融政策や財政政策の引き締めではない。

記事では、急速に進む少子高齢化が賃金抑制の要因の一つとして紹介されているが、これが主因ではないことを財務省「法人企業統計」で検証する。対象は金融保険業を除く全産業(全規模)である。

人件費は1990年代半ばから200兆円前後で停滞しているが、当期純利益は2000年代から目に見えて増大している。

利益に関連する項目と人件費の比について、1975-97年度平均→2017年度の倍率を示す(括弧内は純粋持株会社を除く)。

営業純益:4.7倍(4.4倍)

当期純利益:4.4倍(4.0倍)

配当金:4.8倍(4.1倍)

内部金融(営業キャッシュフロー―配当に相当):1.8倍

賃金が上がらないのは、企業業績が低迷して賃上げの原資が足りないからではなく、資本の取り分が急拡大したからである。パイに例えると、パイは大きくなっているのだが、増分がすべて資本に分配されるからである(→労働分配率低下)。

資本への分配はさらに配当金と内部留保に分かれるが、配当金は2001年度→2017年度に18.8兆円(純粋持株会社を除くと15.7兆円)も増えている。

巨額の内部留保はバブル期のような設備投資ブームではなく、

金融資産(主に現金・預金と株式)取得に充てられている。

株式の多くは対外直接投資だと見られる。

20年以上前までは賃金→家計消費に回っていた金を、企業が貯蓄してしまうために、経済の好循環が止まっているのである。

賃上げの原資は十二分にあるのに賃金抑制が続くのは、経営者と労働者の力関係が圧倒的に経営者に傾いたため、というのが最も素直な説明になる。

日本では

労働組合が産業別ではなく企業別が主流(分割統治されやすい)
1980年代の中曽根行革によって労働組合が弱体化されていた

ために、潜在的には労働側は経営側に対して構造的(制度的)に劣勢だったが、1980年代までは

経済成長率が高かった
労使協調がコンセンサスだった
株主第一主義が浸透していなかった(「物言う株主」は労使共通の敵)

ことから、パイが拡大すればほぼ比例的に人件費も増えていた。

しかし、1990年代後半に株主利益最大化のために人件費を最小化することが「正しい経営」だとする株主第一主義が浸透したため、経営側が「パイの分配」に関する暗黙の了解を反故にしてしまった。こうなると、元々劣勢だった労働側には賃金抑制を食い止める力はなく、一方的に受け入れさせられてしまったわけである。

「企業は、株主にどれだけ報いるかだ。雇用や国のあり方まで経営者が考える必要はない」
「それはあなた、国賊だ。我々はそんな気持ちで経営をやってきたんじゃない」
94年2月25日、千葉県浦安市舞浜の高級ホテル「ヒルトン東京ベイ」。大手企業のトップら14人が新しい日本型経営を提案するため、泊まり込みで激しい議論を繰り広げた。論争の中心になったのが「雇用重視」を掲げる新日本製鉄社長の今井敬と、「株主重視」への転換を唱えるオリックス社長の宮内義彦だった。経済界で「今井・宮内論争」と言われる。

東京新聞の記事には

根本的には一人当たりの生産性を上げ、日本経済の生み出す付加価値を増やさないと、賃金上昇は続かない。

とあるが、一人当たりの生産性を上げても賃金上昇につながらない構造になっていることが問題の本質なのである。

さらに、賃金抑制には労働生産性向上を妨げる効果もある。

賃金を上げない→需要が増えない→企業に設備投資や研究開発のインセンティブが働かない→生産性向上が促進されない
賃金を上げない→低賃金だから成り立つ低生産性の産業が発達する

It did not take technology to spur the on-demand economy. It took masses of poor people.

つまり、賃金抑制を続けていると、経済構造が「技術進歩による生産性向上を原動力として成長する」先進国型から、「低賃金労働者の人海戦術に依存する」後進国(あるいは植民地)型に退化してしまうのである。

いうまでもなく奴隷制の生産活動には致命的欠陥がある。すなわち近代的設備産業と異なり大規模化による効率上昇(スケール・メリット)が望めないことである。生産工程の高速化、高能率化への研究開発を妨げていたのは、「物をいう道具」の優秀さそれ自身である。少なくとも安価に奴隷が入手し得る限り、ちょっとやそっとの技術革新ぐらいでは奴隷のコストパフォーマンスに太刀打ちできる高性能な代替物(機械や家畜など)を提供できるわけがなかった。わが国においても昭和四十年代の中期に人手不足と賃銀上昇が起こって初めて、自動化、省力化、無人化技術が急速に普及したという経緯がある。いずれにせよ本格的な機械の導入はローマ時代よりはるかに下った十九世紀の産業革命まで待たねばならない。

これ(⇩)は南北戦争前のアメリカ南部の奴隷制のことだが、日本では1999年の労働者派遣法改正が企業を救った「公共政策」だったと言える。企業は事業リスクを「従業員の奴隷化」によって避けることで、高度成長期を上回る高収益体質に転換したのである。

奴隷制度は、綿の生産者を競争市場のさまざまな奇禍から救ったはじめての「公共政策」だ。綿農園主にとって、労働力を奴隷制ではなく競争的な労働市場から調達することは、是が非でも避けたいリスクだった。・・・・・・もし彼らが市場原理で調達するというリスクを負っていたら、米国の綿産業がこれほど爆発的な成長を遂げることはなかっただろう。。

「奴隷」が意欲を喪失するのは当然で、賃金上昇率が「一人負け」だから上昇志向も「一人負け」になるのである。

日本だけ「一人負け」といってよい特異な数字が出た調査結果となった。
日本では経済成長が低い中で、出世しても給与が増えず権限も与えられないため、能力を高めようという意識が乏しくなっているのではないか。

後進国型から先進国型への転換を目指した中国の大躍進と、先進国型から後進国型に構造改革した日本の劇的な退潮は対照的である。

栄えていた国や文明が、グローバリゼーションによって「低開発化」されてしまった例は世界史にいくつも見られるが、日本は橋本龍太郎の金融ビッグバンによって、グローバル投資家が日本人労働者をこき使えるようにプログラムされてしまったのである。激増した配当金と内部留保は、低賃金で働く日本人労働者の「血と涙と汗の結晶」である。

「一言で言えば、後進国は先進国のために、こき使われるようにプログラムされちゃったということですか?」
「そうです。さっきの例えでわかりやすくいえば、先進国が発展するために“賢者の石”化されていったというわけです
“等価交換”の原則を無視してなんでも錬成できちゃう幻の錬金術の増幅器が“賢者の石”です。マンガの最後でその正体が明かされるのですが、それはなんと生きた人間を対価に錬成された魂が結晶した高密度のエネルギー体です。つまり人そのものというわけです。“砂糖”は、イギリス人が奴隷貿易でアフリカから連れてきた黒人奴隷を酷使してつくった黒人奴隷の“血と涙と汗の結晶”です。まるで“賢者の石”みたいじゃないですか?

このように、データを確認すれば、「働けど賃金低迷」の原因が少子高齢化ではなく、中曽根・橋本・小泉・安倍による日本の低開発化であり、その根底には株主第一主義労働側の交渉力の弱さがあることは簡単にわかることである。

大手メディアがこのことを報道しないのは、彼らにとって「不都合な真実」だからだろうか。

参考

1997年度以降、日本経済が賃金が上がらない「新常態」に移行したことが鮮明である。

労働者の「奴隷化」によって企業の収益率は著しく高まり、株主還元も激増したが、マクロ経済は購買力の伸び悩みと生産性向上インセンティブの低下によって大停滞に陥ってしまった。

ソ連は共産主義によって崩壊したが、日本は新自由主義によって崩壊に向かっているのである。

ケインズ理論の主たる帰結は、もちろん景気後退期における国家による投資であるが、それより目に付きにくいが構造に関わるものだけにより重要な帰結は、自国の労働者階級を豊かにすることが得策であるという考えを西側ブルジョワジーが受け入れた、ということである。経済発展期における労働者の賃金の持続的上昇は、消費の規則正しい上昇をもたらし、それが生産の総体を吸収する。
共産主義諸国のプロレタリアートの奴隷的境遇は、長期的にはいくつもの経済的帰結をもたらすが、その最も重要なのが技術的停滞である。東欧諸国とソ連の労働者は、いかなる自衛手段(組合、スト権)も持たない。その結果、賃金に関わる要求を実現することができない。賃金の上昇が停止していると、工業への技術的進歩の適用による機械の生産性の上昇も、[労働者の生産性が低いため]無駄に終わるのである。

ネオリベラリズムとフェミニズムは、日本の上級国民がグローバル投資家と手を組んで下級国民を奴隷化する「上からの革命」のイデオロギーなのだが、下級国民がそれを「自分たちが解放される/豊かになる」と錯覚して熱烈に支持しているのは悲劇であると同時に喜劇でもある。

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