MMTカルトから脱会するべき四つの理由

現代貨幣理論(Modern Monetary Theory)を捨て去るべき理由を四つ示す。

1. 通貨システムの理解が根本的に誤っている

MMTでは国家(政府)が発行した通貨が財政支出の財源だとされている。

主権通貨を発行する政府に財政制約がない(「キーストローク」で支出を増やすことができる)ということを「事実」として指摘してはいますが、いくらでも支出「すべき」とは言っていません。

銀行が「キーストローク」によって信用創造した預金を貸し出すように(ⅰ)、中央政府と中央銀行が連結した「統合政府」が通貨を発行して支出しているというのである。

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統合政府が民間のY社から物品を調達する場合、ⅱでは統合政府が現金を発行してY社に直接支払う。軍が占領地で軍票を発行して物品調達するようなものである。

ⅲは間に銀行を挟むケースで、統合政府がA銀行に現金を送金→A銀行は同額の預金を発行してY社の口座に入金する。

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しかし、現実の通貨システムはこのようには動いていない。

ⅲの統合政府を政府と中央銀行に分けるとⅳになるが、政府が支払う現金はこの段階で中央銀行が信用創造するのではなく、事前に民間から調達していたものである(正確には民間の預金に対応していた現金)。

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現実には、政府は通貨発行権を行使して財政支出をself-financeせず、民間と同様に外部から税または借入で資金調達して支出を賄っているので、MMTのキャッチフレーズの「税は財源ではない」は事実ではない。税が主な財源でなければ通貨価値は保たれない。

MMTは錯誤の上に構築された理論体系、事実を歪めて見せるレンズなのである。

2. MMTでなくても財政赤字拡大は正当化できる

最近になってMMTの信者になった人の大半は、以前から国債増発による財政支出拡大を正当化してくれる理論を求めていたところに、MMTの「インフレが昂進するまでは財政赤字を拡大できる(拡大するべき)」という政策的インプリケーションを聞いて飛び付いてしまったようである。人間は信じたいことを信じるという典型例である。

このような人々にとっては、財政赤字拡大を正当化してくれる理論であれば、MMTにこだわる必要はないはずである。

実際、MMTと同様の政策的インプリケーションは、MMTよりも常識的なロジックから導ける。

政府の資金調達は民間企業と本質的には変わらないが、

キャッシュを稼ぐ能力(→返済能力)が桁違いに大きい
企業の倒産・廃業に相当するリスクが限りなくゼロに近い

ため、債務残高増加→デフォルトリスク上昇→調達金利上昇とはならない点で違いがある。永続的存在(going concern)なので元本の完済をいつまでも先送りできる→フローの債務負担が実質的に利払費だけになるためである。従って、利払費が対税収比や対GDP比で発散過程に入って金利が高騰していなければ、国債を増発しても問題ないことになる。

現在の10年国債金利は日本銀行による引き下げが無ければ1%台と推計されるので、国債増発の条件は満たしている。MMTではなく「国債市場参加者の集合知」を頼りにすればよいのである。

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3. 緊縮の「主犯」は政府ではない

2.とは逆行するようだが、下級国民の生活を苦しめている「主犯」は政府ではなく企業である。

まずファクトチェックだが、市中のマネーの残高は2000年代後半から伸び率を回復している。マネーの総量不足ではなく、偏在が問題なのである。

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家計貯蓄率は1990年代後半から急落している。

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家計の資金余剰の縮小と対応するのは非金融法人企業の資金不足から資金余剰への転換である。家計貯蓄が減った主因は、政府の赤字が過小なことではなく、企業に黒字を奪われているからである。

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企業が家計の黒字を奪うとは、人件費の抑圧すなわち分配の問題である。1時間当たり賃金・俸給は1997年度→2017年度に5.4%も低下している(1997年度→2012年度に-9.2%、2012年度→2017年度に+4.3%)。

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金融ビッグバン以来の構造改革によって形成されたマネーを偏在させる分配構造を元に戻さない限り、財政支出拡大の効果は小さくならざるを得ない。この構造問題の解決には直接的に役に立たないMMTは捨て去ることが賢明である。

4. 海外事情に左右される危険性

この度、MMTカルトの教祖たちが「日本の未来を考える勉強会」関係者に対して事実上の絶縁を通告したことは、安易に外来思想に飛びつくことの危険性を如実に示したと言える。日本の政策が海外のイデオロギーに従属させられかねないからである。

日本の衰退の根底に金融ビッグバンによる「グローバル資本の論理」の浸透がある以上、大規模移民(日本への植民)によって日本の経済社会とアイデンティティの解体を目指すコスモポリタン的極左イデオロギーのMMTからは距離を置くの一択しかありえない。黒船(外圧)を利用しようとしたら征服されてしまったのでは元も子もない。

そもそも、日本の積極財政派は「観光立国」のような外需頼みではなく、世界最高水準の技術力・生産力とインフラストラクチャーに支えられた内需主導の経済運営を目指していたはずである。ならば、日本の事情をよく知らない外人にコンサルティングを丸投げせず、まずは自分たちの頭でよく考えるべきであろう(もちろん、海外の知見を否定するものではない)。通貨システムのメカニズムに無知なクルーグマンの思い付きに端を発したリフレ政策の無残な失敗を繰り返してはならない。

付録①:政府支出の財源は民間の銀行預金

政府支出の財源について理解するために、まず民間企業Z社が「社債発行して資金調達→Y社に支払い」のプロセスを確認する。

Z社は銀行に預金口座がないため受け払いはすべて現金で行い、Y社とノンバンクαはA銀行に口座があるとする。

ノンバンクαが社債を買う場合、

①:ノンバンクαがA銀行から現金を引き出す。

②:ノンバンクαがZ社から社債を買う。Z社は現金を調達する。

③:Z社は現金でY社から商品を買う。

④:Y社は現金をA銀行に預け入れる。

⑤:①+②+③+④

銀行預金がノンバンクα→Y社に移動している。

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銀行が社債を買う場合は、

⑥:A銀行が手元and/or中央銀行の当座預金口座から引き出した現金でZ社から社債を買う。

③:Z社は現金でY社から商品を買う。

④:Y社は現金をA銀行に預け入れる。

⑦:⑥+③+④

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事前には存在していなかった預金が出現しているが、その起源はZ社がA銀行に預金口座がある場合を考えればよい。

⑧:A銀行が信用創造した預金で社債を買う。

⑨:Z社がA銀行から現金を引き出す。

⑥:⑧+⑨

つまり、⑦のY社の預金はA銀行が信用創造したものである。Z社の支出が預金を生み出したのではない

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以上のプロセスにおいて、現金は預金を移動させる「乗り物」で、Z社のY社への支払をファイナンスしたのはA銀行の預金である。Z社が現金で受け払いすることは、中央銀行がZ社の支出をファイナンスしたことを意味しない。

Z社⇒政府、社債⇒国債に置き換えれば政府の資金調達と支出になる。MMTでは政府支出は統合政府の信用創造によってファイナンスされていることになっているが、そうではなく、民間銀行が信用創造した預金である。政府や中央銀行の「キーストローク」によって民間の預金が増えるのではないことに注意。

この動画の22:00~で中野剛志が参照している建部正義「国債問題と内生的貨幣供給理論」には

銀行は受け入れた預金を基礎に国債を購入するわけではなく,逆に,政府が国債を発行し,銀行がそれを購入することによって,預金が生み出されるというわけである。これは,預金→国債購入という捉え方を国債購入→預金という方向に,問題を捉える視点を度転換するという意味において,まさに,コペルニクス的ないしアインシュタイン的な発想法の転回と呼びうるものである。
この結論は,さらに転じて,今日のわが国の国債発行システムは,市中消化という形式をとりながらも,その内実は,日本銀行による国債の直接引受と事実上異なるところがないというさらに衝撃的な理論的帰結につながる。

とあるが、コペルニクス的転回ではなく基礎知識、衝撃的な理論的帰結ではなく初歩的な勘違いである(建部はMMTerではないが)。

また、政府小切手で支払うとしているが、『財務省広報ファイナンス』2005年11月号「我が国の国庫制度~出納計理編~」で説明されているように、既に口座振り込みが主体となっている。日本のMMTerはアメリカの制度に基づいたMMTを鵜呑みにしているので、日本の制度についての理解が不足している。

従来、国庫金の支払は債権者に政府小切手を交付して行うのが原則であったが、現在は債権者の預貯金口座への振込みによって行う方法が太宗を占めている。

付録②:日本経済の構造変化

2000年前後に日本経済に劇的な構造変化が生じている。労使協調→株主至上国内→海外への「改革」が、労働者の家計が干上がった根本原因である。

画像16また、遠隔地に居住している受取
また、遠隔地に居住している受取

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この「改革」が止まらないのは、奪われる側の下級国民の根強い支持のおかげである。

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