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恩を仇で返すんじゃない!

どうも、深海からこんばんは。Yas: うつぼです。

今回は「恩」について書いてみようと思い立ちました。

僕は、昭和生まれの人間で関西育ちです。今は、色々あって海外で住んでいますが。僕のアイデンティティは完全にそこで育まれました。

所謂、義理人情ってやつです。じゃりんこチエって漫画がありましたが(アニメで観た方も多いかな?)、大雑把にいうとああいう世界感の中で生まれ育ちました。

「人様に迷惑をかけてはいけない」

この感覚は、日本人固有の特殊な感じであると思っています。お隣の韓国や、中国にも似たような感覚は実はあるのですが、国民の大多数が呪縛のように抱いているのは、おそらく日本人だけでしょう。

僕の肌感覚なので、嘘や大袈裟は往々にしてあります。そこは、話半分ぐらいで読んでいただければ良いです。肌感覚を養いたければ、外にウリャ!っと飛び出してみるとことの真偽を確かめられるので、検証したい方は出てみると良いと思います。

この感覚を強烈に持っていると、基本的に個人としてやらねばならぬ事が増えます。それは、対人として発揮せねばならない事がほぼ全てなので「疲れ」に直結するんだとも思います。会食の席であまり食事を取れなかったりするのも良い例じゃないでしょうか……。

おそらくこの感覚にそこまで取り憑かれていない人は、もっと自分のためだけに費やせる時間が多くなる傾向にあるんだと思います。欧米と比べてみたいな話になるとここが注目されている気もします。

だから、過度に気を使う(遣うでも良いと思うけど)ことによって対人関係に大きなストレスを感じるのでしょう。あれやこれやと先読みしていくわけですから。

でも、これは「日本人らしさ」を醸しだす上でとても大事なことなので避けない方が良いとも思っています。

そして、そう言った複雑性の中でもとりわけ自分の人生にとって大きな貢献をしてくれた人に対して、「恩義」なるものを感じると僕は思っています。

「恩義」は無償に近い奉仕であればあるほど、その価値は尊く、計り知れないインパクトをもたらします。

アンコンディショナルラブですよね、まさしく。

その「恩義」に対しては必死で報いなければならない。これは時として呪縛となり、最早、どうして良いか分からないぐらいの事柄として、のしかかります。「出来ることは何でもしよう、無茶だと分かっていても投資せねば!」みたいになっちゃいます。

どこまで「恩義」を感じるのか、それに対する呪縛の大きさがどれぐらいなのか?というのは、家庭の教育の仕方に直結します。僕のように、「とてつもなく価値があって、果たさねば許されない盟約」のように捉える人もいれば、それほどでない人も沢山いるはずです。

人の世は、このように統一されていない価値観で溢れています。恩義を強く感じる人向けのカウンセリングとかは存在しないですが、そういうのあった方が良いんじゃないかと思うくらいです。多分、あるんでしょうね現代だと……。

なので、価値観の押し売りみたいな事が横行するんだとも思っています。価値観なのでバラバラで良いんですけど、それにしても目に余る事が増えたように感じています。

実際に瑣末な領域でそれは沢山起きていて、結果としてそれが人としての薄っぺらさに繋がっているとも言えるんじゃないかな?と思っています。

例えば、

貴方は電車に乗っています。その時に老人がやってきました。どうやら、足があまり良くなさそうです。この時にどうしますか?

1: 席を譲る
2: 寝たふりをする
3: 平然とスルーする

この3つの選択肢を用意した時に、3つ目を選ぶ人の割合が多くなった気がするからです。

別に、その老人に席を譲ったからといって、老人が貴方に対して強烈な「恩義」を感じるわけではないですし、「恩義」を感じたとしても「ありがとう」と言ってくれるぐらいです。大したレベルの事ではないと思っています。

ビジネスを進めていく上でも同じ事が無数にあります。ビジネスには絶対的にお金がついてきます。ミスが原因でとんでもないお金が一瞬で吹っ飛んだりもします。

そうならないように助けてもらった……こんな行為には「恩義」を感じるはずです。

少なくとも、小さな「恩」のやりとりも知らない人が果たしてこういうところの事の大きさに気がつくのでしょうか?

ビジネスでは、いくらでも仮想の自分、性格を産み出せるものなので、その仮面被っている間だけは出来るみたいな人もいると思います。いや、寧ろ、そっちの方が多いんじゃないかって思います。

でも、それは「演じてる」だけなので、そのうちボロ出てきちゃうんです。

そうなると望まずに「仇」で返すことになるんだと思っています。

それで良いのかな?

僕は、疑問を常に抱いています。ということは、それは「僕にとって、度し難い行為」なんですね。もっとはっきり言うと、そういう人は「信じられない」カテゴリーにプロットされてしまいます。

ビジネスマンな貴方なら良いかもしれませんが、それだと色々と不味いんだと僕は思っています。

だからこそ、些細な「恩義」のやりとりを日常生活で常にしておくことが必要だと思っています。

僕は、「ホンマすんません、おかげで助かりました、ありがとうございます!」という言葉を祖父からも、祖母からも、母親からも沢山聞きました。もちろん、それは自分に向けられたものではありません。「こないして、やっとくことで仮に損しても、アンタにええ事が回ってくるんやで。」カッコつけるでもなく、平然とそういうことを言われて育ちました。

その結果、僕は義理人情に固執するようになりました。固執したら良いんだと思ってますし、「情けは人のためならず」で、何ら問題なく来てます。

ですので、受けた恩義は必ず返す。

そのために金も惜しまない。

という僕が出来上がったんだと思っています。もちろん、義理人情や、「恩義」だけが大事だとは言いません。僕も全部が全部出来てるわけじゃありません、不本意ながら反故にした(なってしまった)事もあります。

が、王政復古の大号令ではないですが、こういうのは今後も大事にしたいなぁとは思っているのです。

恩義には全力で報いる

お金だけではない、日本らしくて良い社会だとは思わないですか?

仇で返しちゃダメですよ。まずは、隗より始めよ。出来ることからコツコツと。大きな絵図なんて要らんです。小さな事からコツコツと。

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