讀解_難経本義諺解_2_1

【讀解「難経本義諺解」】一難(本文①)

全文

①一難曰.十二経皆有動脈.独取寸口.以決五蔵六府死生吉凶之法.何謂也.
②然.寸口者.脈之大会.手太陰之脈動也.
③人一呼脈行三寸.一吸脈行三寸.呼吸定息.脈行六寸.人一日一夜.凡一万三千五百息.脈行五十度.周於身.漏水下百刻.栄衛行陽二十五度.行陰亦二十五度.為一周也.故五十度.復会於手太陰.寸口者.五蔵六府之所終始.故法取於寸口也.

本文①

一難曰.十二経皆有動脈.独取寸口.以決五蔵六府死生吉凶之法.何謂也.

一の難に曰く、

(諺解)

 按ずるに、始め越人著す所の本書には、ただ各々「難に曰く」と云ふのみ。然るを『難経』の書、華佗が煨燼の余となりしを、呂廣これを考へて雑乱の編章を正せり。
 その時にこのごとく一より八十一までの数字を加えて、その編次をして乱ざらしむるなり。

(解説)

 元々、越人の書いた本には、ただ「難に曰く」とあるだけでした。華佗が燃やした『難経』の燃え残りを呂広が再編したときに、一から八十一までの数字を加えて順番を整え、乱れないようにしました。


十二経皆な

(諺解)

 何れの経にも皆。

(解説)

 十二経絡すべて


動脈有り、

(諺解)

 按ずるに、本義には十二経の中、その動脈の盛んなる者を挙げて注すといえども、越人の意は然からず。ただ十二経脈、各々何れも皆な動脈ありと、広く言うのみ。必ずしも肺経には中府、雲門、天府、俠白の動脈。大腸経には合谷、陽谿等の動脈盛んの者ありと云ふには非ず。ただ広く「十二経皆な動脈有り」と見るべし。抗滞することなかれ。

(解説)

 本義には、十二経絡の中で動脈の盛んな経穴をあげて注釈していますが、越人の本意は違います。ただ十二経絡には、それぞれ動脈がある、と広くいっているだけです。
 必ずしも肺経には中府、雲門、天府、俠白の動脈拍動部があり、大腸経には合谷、陽谿等の動脈拍動部があるとは言っていません。
 ただ「十二経絡にはそれぞれみんな動脈拍動部がある」と解釈すればいいでしょう。固執してはいけません。


独り

(諺解)

 諸経何れも皆動脈あり。その諸経の中において、独り肺経寸口の動脈を取ることを問うなり。
「独」とは手太陰肺経を指して云う。

(解説)

 各経絡にみな動脈拍動部があるのに、『難経』において、なぜ肺経の寸口の動脈だけを診るのかと聞いています。
「独」は手太陰肺経を指していいます。


寸口を取りて

(諺解)

 寸口に諸説ありて同じからず。
 この一の難の本義にいわゆる「寸口は気口を謂ふなり。手の太陰魚際より却き行くこと一寸の分に居す」と。これ寸部を以て云う。張世賢もまたこれに同じ。廣呂、熊宗立は右寸とす。
 また二の難の本義には、三部を通して寸口とす。天民。張介賓もこれに同じ。
 然るときは則ち本義の意は、あるいは寸を以て寸口と為し、あるいは三部を以て寸口と為し、その編に従いて寸部とも、三部とも見て両用にす。王冰もまたこれに同じ。
 これに由て後世に、通別の弁あり。寸関尺の三部を総て寸口とするを、通称の寸口と云ふ。三部のうち、寸の一部を寸口とするを、別称と云う。滑伯仁、王冰は、編によりて、あるいは通称、あるいは別称として、一ならず。然れども、『難経』、内経に謂う所の寸口は、通別の分かちなく、皆寸関尺の三部を通して寸口と称する者なり。

(解説)

 ここでいう「寸口」という言葉の解釈はいろいろあります。
 この一難の『本義』の解説には「寸口とは気口のことをいい、手の太陰魚際の後ろ一寸にある」としています。張介賓も同じ考えで、広呂や熊宗立は右の寸のみとしています。
 また二難の『本義』には「三部を通して寸口」と解説しています。寸関尺すべてを「寸口」としています。張介賓、愚天民も同じ考えです。
 これらをまとめると、時には「寸部」を寸口とすることがあり、また時には「寸関尺」の三部すべてを寸口とすることがあるということです。王冰も同じ考えです。後世では、寸関尺の三部すべてを寸口とするのを「通称」の寸口といい、三部のうち寸だけを寸口とするのを「別称」としています。滑伯仁や王冰は、編によって、どちらの意味でも使っています。
 しかし『難経』や『黄帝内経』でいう「寸口」は、寸関尺三部すべてをまとめたものを寸口としています。

(諺解)

 この第一難の寸口も、また三部を総て言う者なり。張介賓、愚天民の説を得たりとす。そのあるいは右寸のみを寸口とする者は誤りなり。
 西晋の王叔和が脈経に至りて、始めて右の寸後、関前の一分を以て寸口とし、左の寸後、関前の一分を以て人迎とすることありといえども、これもまた素難の本旨には非ざるなり。

(解説)

 この一難でいうところの「寸口」も、三部すべてをまとめたもののことです。張介賓、愚天民の説が正しいといえるでしょう。右寸だけを寸口とするのは誤りです。 

(諺解)

○五藏別論次注に云う。「気口は則ち寸口なり。また脉口と謂ふ。寸口を以て気の盛衰を候ふ、故に気口と曰ふ。以て脈之動静を切にすべし、故に脈口と云ふ」云々。曰く、寸口、曰く、気口、曰く、脈口は一処三名なり、と知べし。名の義は右の次注の説の如し。

(解説)

 『素問』五蔵別論(11)の次注では
「気口とは寸口のことであり、脈口ともいいます。寸口の脈を診て、気の盛衰を候うので、気口といいます。脈の動静を接して診るので、脈口といいます」
 だから、寸口とも気口とも脈口ともいい、一ヶ所で名前を三つ持っていると思ってください。

(諺解)

○あるいは問ふ、素難に謂ふ所の寸口は、ことごとく三部を通して云ふ者に止るか。曰く、前の弁の如く、皆な通称にして別称の義なし。
然れども『素問』至真要大論の南北政に謂ふ所の寸口のみ、独り寸部を指に似たり。然れども運気七編は、内経の要編たりといえども、素より伝る所の者には非ざるに似たり。
かつ、『難経』八十一編の中に存する所の寸口は、ことごとく三部を統へて言ふの名なり。別称の義あることなし。

(解説)

 『素問』『霊枢』『難経』でいうところの「寸口」は、すべて三部まとめたもののことをいっているのですか?
 前述しているように、みんな三部をまとめた「通称」で、寸のみを指す「別称」の意味はありません。
 しかし、『素問』至真要大論(74)の南北政でいう「寸口」のみ、寸部のみを指しているようです。ただ、運気七編は『内経』の大事な編ではありますが、元々伝わったところが違うといわれています。
 そして、『難経』八十一編の中でいう「寸口」はすべて三部をまとめた通称のことをいっています。別称の意味はありません。


以て五蔵六府死生吉凶の法を決すとは、何の謂ひぞや。

(諺解)
 言意は、人の十二経脈には皆なことごとく動脈あり。然るに諸経の内に於て、独り肺経の流れに繋る所の動脈のみを取て、これを以て五蔵六府の気を候ひ、死生を別ち吉凶を定め、一切の診法を此の寸口の動脈にして決断決定する者は、何れの謂ぞやと問いなり。

(解説)

 人の十二経絡すべてにそれぞれ動脈拍動部があります。なのに肺経の動脈のみを診て、五臓六腑の状態を知り、死生を分け予後を決めるのはどうしてですか?

(諺解)

〇案ずるに、越人が齊の桓公の病を知るがごとき者は、これ死を決し凶を定るの義例なり。
また彼の趙簡子が甦るを知るがごときは、生を決するの義例なり。
また虢の太子の死厥を活かすがごときも、生を決し吉を断すの義なり。
これ皆な越人寸口の脈を以する者に非ずんば、之を知り之を活かすこと此の如きこと能わず。然るときは則ち寸口は、蔵府死生吉凶の診法を是に於て決断する者なること明かなり。

(解説)

 越人が斉の桓公の病気を言い当てたというのが、「死を決し凶を定める」ことの例です。また趙簡子が甦ると分かったのは、「生を決する」の例です。虢の太子の尸厥を治したのは「生を決し吉を断す」の例です。
 これらはすべて越人が、寸口の脈を診ることができるぐらい技術が高くなければ、分かることがなく治すこともできなかったでしょう。寸口の脈を診ることで、蔵府死生吉凶を決断することができるようになります。
 
(諺解)

○あるいは問ふ。内経を誦むに、三陽の変は人迎に候ひ、三陰の病ひは寸口に診す。如何して人迎を略して寸口のみを問答するや。
曰く、人迎は足の陽明胃経の脈動なり。寸口は手の太陰肺経の脈動なり。
肺は百脈を朝し、脈は太淵に会す。太淵は寸口の地なり。かつ五蔵は五神の宮たり。蔵脈は寸口を以て主とす。
故に越人問答、独り寸口を以して人迎に及ばざる者か。

(解説)

 『内経』を読むと、「陽の変動は人迎を診て、陰の変動は寸口で診る」とありますが、どうして人迎を診ずに寸口のみを診るのですか?

 人迎は足の陽明胃経の脈動で、寸口は手の太陰肺経の脈動です。肺はすべての脈を集めて、すべての脈は太淵で会います。太淵は寸口にあります。五臓は五神が入るところで、もっとも大切な部位です。その臓の脈を診るのは寸口です。
 ですから、越人は寸口だけを問題にしているのです。


(まとめ)

◎寸口部の脈のみを診て、五臓六腑の状態をうかがい、その難易や予後を知ることができるのはなぜか?

・「寸口」とは手首の橈骨動脈を指し、寸口・関上・尺中の三部すべての総称として用いる場合と、示指を置いた寸部のみを指す場合がある。

・王叔和は『脈経』にて、右の関前の一分を寸口とし、左の関前の一分を人迎としているところがあります。

・三部すべての総称として用いる場合は、「通称」とよび、寸部のみを指すときは「別称」とよぶ。

・『黄帝内経』や『難経』では、すべて「通称」として用いている。

・滑伯仁や王冰は、編によって「総称」と「別称」を使い分けています。

・寸口は別に「気口」・「脈口」ともよばれる。


*「千葉大学古医書コレクション」にて原本の閲覧が可能です。

岡本一抱 「難経本義諺解」巻之三

著者/太田智一・大上勝行

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