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モーツァルトの生涯

こんにちは!せりです!!私が参加している「project z」では、AIを使って作曲をしたので、前回と前々回の2回はAIについて書きました。AIを使って作曲をする時にAIに学習させる曲として、モーツァルトの曲を使ったので、今回は有名な作曲家、モーツァルト について書いていきたいなと思っています!!


音楽至上最高の天才として知られるモーツァルト。ハイドン、ベートーベンと並んで、古典派の三大作曲家として数えられています。

*モーツァルトの生涯

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、1756年1月27日、オーストリアのザルツブルクに生まれました。

( ザルツブルク 風景)


父のレオポルトは、ザルツブルクの宮廷作曲家・ヴァイオリニストで、自分の息子が天才だということを、いち早く感じ取りました。

そして、モーツァルトは、幼少時から音楽の英才教育を受けました。父による早期教育により、モーツァルトの才能は飛躍的に伸びたのです。

そして、父とともに音楽家としてザルツブルク大司教の宮廷に仕える一方、モーツァルト親子は何度もウィーン、パリ、ロンドン、およびイタリア各地に大旅行を行きました。

幼少期のモーツアルトは、どこへ行っても天才の名をほしいままにしました。人々は彼を「神童」とほめたたえました。

( 幼少期のモーツァルト)

でも、21歳のとき、父や姉と別れてパリへ移ってから、彼はなかなか職につけず貧乏な生活をするしかなくなります。

天才と呼ばれる人にありがちですが、彼も世の中を渡っていく処世術が足りなかったのでしょう。

ウイーンに戻っても、貧乏な生活が続きました。でも、最近の研究では、モーツァルトは先輩ハイドンよりずーっと高給取りだったともいわれます。

貴族のように体面を保つために浪費し、ギャンブルにのめり込んで浪費しというのを、繰り返し、莫大なお金を使っていたのです。

幼いころからたくさんの素晴らしい楽曲を作ったモーツァルトですが、生活破綻者に近い状態だったのです。

そうして、モーツァルトは、雪の舞う寒い日に、貧困の中35歳の生涯を閉じたのでした。

ひっそりとしたお葬式が終わると、彼の遺体は共同墓地に投げ捨てるように葬られました。

天才の最期としては、あまりにもさびしいものだと思います。


*最後に・・・

今回はモーツァルトの生涯について書いていきました!この文章を書きながら私は天才だからといってその分野だけを極めていても、世の中に対応できなくなることもあるんだなと思いました。次回はモーツァルトの生涯に残した曲や、その特徴などについても書いていきたいと思います!!