【台湾の反応】台北大空襲を知らない台湾人。いったい誰が歴史を改ざんしたのか?


台北大空襲を忘れるな!ネットで一人の台湾人が訴える
さる5月31日は台湾人にとって忘れてはならない日でした。70年前のこの日、日本統治下にあった台北市が連合軍による無差別爆撃で大きな被害を受けたのです。ところが、どういうわけか台湾ではこの事実を知る人はそう多くありません。そのことを憂えたスレ主がある掲示板で「いったい誰が歴史を隠蔽したのか」と訴えていました。よせられた数多くのコメントの中から議論の流れが分かるようなものをピックアップしてご紹介いたします。

【台北大空襲】by WIKI
台北大空襲(たいほくだいくうしゅう)は第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)5月31日、連合国軍の爆撃機により日本統治時代の台湾台北州台北市に対して行われた無差別爆撃である。この空襲で市民約3000人が死亡、重軽傷者並びに家屋を失った者は数万人以上に上った。

【スレ主の呼びかけ文】(意訳)
ここにある写真を見た人はいるかもしれない。だが、おそらく多くの人はまだ見たことがないはずだ。
最初の写真は当時の総督府、今の総統府が空襲を受けた直後に撮影されたものである。今日は台北大空襲から数えてちょうど70年目にあたる。70年前の今日、この時間、台北は全域が燃え盛る炎に包まれた。市民は家を焼けだされ、不安の中で街路をさまよい歩いた。消防自動車の音が響き、あちこちで救助隊の呼び声が聞こえた。一面の焼け野原と化した台北市街。崩れ落ちる建物と焼死体の横で人々は天を仰いでつぶやいた。「これは台湾人の宿命なのか?」と。
いうまでもなくこれは歴史的な大事件だった。にも関わらず、我々はこの事件のことを何も知らない。どういうわけか、この台北大空襲という史実は我々の歴史教科書からあとかたもなく抹殺されてしまったのだ。
いったい誰が歴史を書き換えたのか?
我々には第二次大戦を記念する施設もなければあの戦争で戦死した人を追悼する殉難碑もない。もちろん第二次大戦に関する平和記念日もなければ、この台北大空襲を追悼するための国民的な行事もない。これはおかしくないか?

空襲後の総督府後門

市内における着弾の密集度

米軍と中華民国軍の攻撃を受ける新竹

爆撃を受けた日月潭変電所

爆撃される高雄軍港

 
 

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